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2024.3.31 東京都現代美術館

サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」


これは非常に短い展示だったけどフィクションと現実の狭間で生きている者として、脳みそに指を突き立てられたような衝撃を受けた展示だった。

入ってすぐの場所には、簡単な紹介文や過去の映像などがあり、そこを抜けて少し薄暗い所へ入っていく。

ラバーで出来た虫、うんこ、木、家。ポップでありちょっと不気味な空間。写真を撮りながら更に奥へ向かう。

だだっ広い空間の中央に円形のステージがあり、そこには犬のラテックス製スーツに入った『人』が、まるで『犬』のようなふるまいをしていた。

私は、ディズニーランドやアニメのキャラクターの様な存在については、実在しているように接するのが、客側のたしなみであり、より楽しむ方法であると経験則として学んでいる。

学芸員に促されるように、ぱっと見は不気味な『犬』に対して、手を振り、お手をしてみた。
最初は怖がっていたが、手を差し出してくれた。だんだん可愛く見えてきて頭を撫でたり、かわいいねと言って写真を撮った。
手を叩いて大きい音を出したり、こぶしを振り上げて驚かせている人も私の前にはいたが、なんだか可哀そうでそういうことは出来なかった。

だがここでこの空間、この関係性に妙な空白があることに気付いてしまった。

ドラえもんは、未来から来たネコ型ロボットで、便利な道具でのび太君を助ける。どら焼きが大好きでネズミにトラウマがある。

マイメロディーは、おばあちゃんが作ったずきんを大切にしていて、明るくて素直。ママが作ったアーモンドパウンドケーキが大好き!将来の夢はお菓子屋さん。

じゃあコイツはなんだ?

犬なのか?いや、どう見ても人だろう。
しかし仕草や動きはさながら犬だ。

そこには設定や存在意義は無い。
『犬』のラバースーツを着た『人』がそこにいるだけだ。

わたしは、この存在を『犬』と定義するのか!『人』と定義するのか!!!

ゴムがギシギシとこすれる音を発しながら、つい先ほどまで可愛いとまで思っていた存在が、とても恐ろしいものに感じるようになってしまった。

私の呼吸の音。ツバを飲み込む音。すべて聞き取られているんじゃないか。その虚無の目で滑稽な存在だとこちらを見ているんじゃないかっ!!!!
いやいやただのゴムのスーツだ。犬でもあるまいし、少し離れたらそんなもの聞き取れるはずがない。

私が完全にこの存在を『犬』と断定し、驚かせたり、ボールを投げて取らせたりすればこの美術館という場を満喫している事になるんじゃないか!!!!!

ちがう。それじゃあ自分に設定を、ここに存在する意味を後付けしているだけだ。
そして、おぞましいことに、その行為は『人間』を『犬』扱いして笑っている者になるということなのではないか!?
人を人とも思わない、自分が楽しむためのおもちゃの様にしか見ない、自分が一番嫌いなあいつらのような生き物になってしまうのではないか?

じゃあ!!!じゃああ!!!コイツは!!!!!なんなんだ!!!!!!
『犬』なのか!!?『人』なのか!!?

高速で回る脳。静かなのに轟音が鳴っているような、血流の音を感じ、視界は白か黑かわからなく明滅する。遠くで耳鳴りが聞こえる。

足が接地している感覚も薄くなってきたが、腹に力を入れ何とか意識を取り戻す。
何事もなかったかのように、軽く微笑みながら学芸員へ「近くで見ると結構可愛いですね」
会釈をしてなんとかその場を去る。

時間にして数分の出来事だっただろう、とてつもない思考の宇宙への旅だった。

フロアから出て下りエスカレーターに乗る。
まだ感覚がふわふわしている。
サエボーグの過去のパフォーマンスの映像が流れている場所があった。
カップルが近くで談笑していたが関係ない、私は豚のスーツを着て豚の複乳に群がる映像が流れるモニターの前の椅子にドカっと座り、ぼーっと自分が愛する想像の産物を振り返った。

人間の創作が、エンターテイメントが大好きな自分にとって、なんだかすごく細い柔らかい棘を刺されてしまったような気持ちになった。

空想は実在しない。でも存在する。

後日。

なんだか自分の思考に飲まれてしまった気がする。真夜中に考えても仕方が無い事で悩みまくって絶望した時みたいに。
冷静になってから展示を振り返ると、実際に交流して見た目や種族を超えて自分の感覚に正直になろうって感じだったのかな?って
そういう意味では疑心暗鬼で深読みし過ぎるまさに性格が出る展示だった。
おもしろい!他の人の感想も聞いてみたい。

サエボーグ《I WAS MADE FOR LOVING YOU》から(東京都現代美術館)


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