見出し画像

遠いぬくもり

指輪を外しジュエリーケースに収め、ハンドクリームを塗る。床に就く前の習慣だ。

アクセサリーの数に比べケースが大きすぎるのは、元が葉巻を保管するための木箱、ヒュミドールだからである。

表面は黄土色と暗褐色のつややかなマーブル模様。木の根元などにできる瘤を薄くスライスして貼ったものだ。本体と蓋の合わせ目や蝶番に狂いがないので、小気味よく「ぽふっ」と空気が抜けて隙間なく閉じる。内部の湿度を保ち、葉巻を乾燥させないためのつくりだ。1940年代のものだという。

葉巻については若いころに耳にして以来、忘れられない噂がある。上質な葉巻は若い女性の太腿の上で巻く、というものだ。繊細な力加減が必要な巻き作業をわざわざ曲面の上で行うとも思えないが、作業のために肌を借りるという倒錯した贅沢に、想像せずにはいられない。

たとえばキューバの、倉庫のような古い建物。直射日光を嫌い鎧戸は閉めてある。隙間から漏れるわずかな光の中、黙々と葉を巻く男女がいる。女は脚を差し出しているだけで、巻くのは男だ。滑らかな太腿に葉を押し付け、ほどよい弾力を巧みに御してリズミカルに巻く。巻き上がればかすかに体温の残るままにブランドのラベルを貼り、箱詰めする。そんな光景。

ぽふっ。

一日の終わりに指輪を外し、ヒュミドールに収めて蓋をするたびに、誰かの太腿の遠いぬくもりを閉じ込めるような気分になる。眠りにつく前のささやかな妄想である。

〈了〉



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?