【オダウエダインタビュー後編】世界が滅びたあともラジオをやっていたい
オダウエダインタビュー前編では、芸人になるまでの経緯と、2人の出会いについてうかがった。徐々に認知度が上がってきている2人だが、山あり谷ありの道のりを歩んできた。
――これまでの芸人人生で大変だったことはありますか。
植田:大阪の劇場では、お客さんはスタイリッシュで小気味いいネタを求めているのに、わたしたちは変な小道具を出して気持ち悪いネタをやっていたので、ここじゃ売れへんとずっと思っていました。
小田:でも大阪ではヤングさんとか村橋ステムさんがすごく良くしてくださったので、腐らずにやってくることができました。
植田:劇場のお客さんにハマらなくてどうしていいかわからなくなっているときに、『ヤバメンツオブザピーポー』に呼んでいただいて、自分たちの好きなものを100%表現できる場を提供してもらいました。
東京吉本に移籍してからも無限大のお客さんにはハマらなかったんです。そんなときにポピー(藤原)さんから『ライジングドラゴンボール亭』に呼んでいただいて、大阪よりもいろんな武器で戦っている芸人さんがいることを知りました。
そこでキュウさんとか街裏ぴんくさんとか矢野号さんと出会って、吉本の外にもまだまだ広い世界があったんやなと実感しましたね。
――主にコントをやられているのはなぜですか。
小田:愛媛にはお笑いがないんですよ。ツッコミっていう文化がなくて。
植田:そんなん言うたらアカンよ!
でも確かに、小田はボケに対して「へえー、そうなんや」って笑顔で返すだけですね。
小田:漫才をしている人をあんまり見てこなかったので、コントがしたいと自然に思っていました。あとはめちゃイケとかレッドシアターの影響も大きいです。
植田:わたしは『オールザッツ漫才』を見ていて、コントが1番おもろいやんって思っていました。
あと、三浦マイルドさんがやってらっしゃった『ブラックチャリティーライブ』でのローズヒップファニーファニーさんのコントを見て、言ったらアカンことをこんなにも気持ちよく言えるんや!と、だいぶ影響を受けましたね。こんなん言うたらムーラちゃん喜ぶで!ムーラちゃんまた楽屋でおっぱい触ってくるわ。
――今後やりたいことはありますか。
小田:わたしの舞台衣装は『コブラ』のアーマロイド・レディをイメージしてて、H&Mで700円だったんですが、お金ができたらパワーアップさせて、本物に近づけたいですね。
植田:いつか超合金の姿で舞台に立ってるかも知れないですね。
最近『オダウエダのキョウイクラジオ』というラジオをYouTube上で始めたので、おしゃべりが上手になっていくと嬉しいです。
小田:植田はラジオ好きなんですよ。オールナイトニッポンとかサンドリとかも聞いてますし、『ズンズンポイポイのけんかラジオ』とか『ガクヅケハウスラジオ』みたいな自主ネットラジオも聞いてます。
植田:あ、今ガクヅケの名前出したらあかん。木田が捕まったんでしたっけ?
最終的にはこの世界が滅びたあとも2人でラジオを配信していたいです。奇跡的に生き残った主人公がわたしたちのラジオを受信する、みたいな。
小田:「オダ…ウエダ…?」
植田:「日本よ!日本にまだ人間が残っているわ!」ってね。
小田:あとは単独ライブもしたいんですが、わたしの計算だと単独できるのは20年後なんですよ。
植田:オバハンなってもあんなネタやってたら見てられへんで!
★オダウエダ
キングオブコント2019準々決勝進出、女芸人No.1決定戦THE W 2018・2019準決勝進出
オダウエダのキョウイクラジオ→ https://www.youtube.com/channel/UCfQCIls2zUzLEedGkXF4KsA
小田(写真右) 愛媛県出身、1995年6月26日生まれ、大阪NSC36期生、Twitter→ https://twitter.com/huwahuwananyo 、酒チャンネル→ https://www.youtube.com/user/yamaityan
植田(写真左) 大阪府出身、1991年7月1日生まれ、大阪NSC36期生、Twitter→https://twitter.com/odaueda
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?