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「表現の不自由」の原体験は小学校  We are all gifted! 誰もが特別。

 8月の頭のあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」から派生した渦に、胸が苦しくなるほど気持ちを寄せていた。それから1か月半以上たった今、ここで書きおくのはごく個人的な体験と、それを越えようとする私の次のステップについてだ。

 絵が好きで、書が好きで、着ることが好きで、なんだか踊ってしまって、歌っていて、写真が好きで、映画が好きで、楽器も嫌いじゃない、四六時中何か言葉を書き留めている、、そんな私にとって当たり前のライフワークである、垣根なき表現活動に、なぜこんなにも引け腰で自信がなかったか。

これからの人生で、大いに表現を楽しむために、向き合っておかなくてはならない原体験がいくつかあることに行き当たった。

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 小学3年のとき、作品展のための絵を描くのに、たしか「空想の世界」とか「こんな世界があったらな」みたいなお題だったのだと思う。

 私は木にも花にも、、万物に人面を描いていた。

 万物に命が宿り、神のような、友達のような、そんな世界観を当時の自分はできる限り表現したかったのだと思われる。私にとっての「平和」な世界を表現したはずだった。

しかし、作品展どころか、それ以前に描きなおしを命じられた。

 私は担任の先生が大好きだったし、もしかしたらその先生の意思とも反していたのかもしれない。学校としてその絵を展示するのはNGとされたのかもしれない。もう真相はわからないのだが、ちらっと聞こえたのは「死体が転がっているようだ」と。確かにつたない私の表現力ではそう見えてしまったのかもしれない。気持ち悪い絵だったと、かすかに覚えているその絵を思うに、、うん、まあ、確かに気持ち悪かったかも。笑

しかし、当時の私としては、私の感性の全否定とも受け取られた。

 その後、先生の付きっきりで居残り、「ほかの案」を出すところから始まった。絵本から実物が飛び出してくるような絵ということになり、大まかにスケッチした後、先生がおもいっきりトリミングして構図を決め、描き上げた絵は、学校の作品展の後、どこかのコンクールでなんとか賞をもらったが、それはどうでもいい話だ。

 先日、碧南市藤井達吉現代美術館にて「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」に足を運んだ。彫刻が好きだ。ジャコメッティ氏のモデルで哲学者の矢内原さんや舟越桂さんの手記を高校生の時夢中で読んだりしていた。彫刻展のためだけの上京もちょこちょこあった。大学にも彫刻の先生がいたから選んだはずが、1年でご引退されちょっと迷子になっていた。

 立体、存在感、「ある」ということそのものの力

そんなものに惹かれていたのだと思うけれど、今回の展覧会で感じたのは

彫刻がロックで、パンクで、やさしい。笑 

自然や素材に対しての謙虚さ、忍耐。

まさに万物からあらわれてくる形。

その断片を書き留めるデッサンやメモ、あらわれてくるその一本の線をさがす行為。

 これらを目の当たりにしながら、私は幼いころの傷にふれ、大いに癒された気がした。私もこの人たちとそんなに違わない。笑 そう思えた。

万物に何か姿を見出していた私の幼い感性、手が動くままにかき留めた走りがきも、

何かを探す、一本の線を、真実を、美を、ことばを、かたちを探す その姿勢に、そのプロセスに 共感した。その各々の変態性にも。

変態万歳である。

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話を戻して、表現に関する挫折体験はもっとさかのぼってもある。

 行事だらけの幼稚園で、いつもなにかの準備をしていた幼少時代。舞台に上がるのは好きだったけれど、お遊戯会ではオーディション的なものまであった。森鴎外の「山椒大夫」(って、、めっちゃ重い題材やってたな!)の舟で母と子らが引き離されるシーンで、母親役として涙ながして入り込んだ演技は認められずだったのか?あっけなく私はどこか違う場面の娘役となった。試しに演じさせたわりにフィードバックもなく配役されて、こちらとしては、で、どうだったん?という釈然としない、幼いながらに説明責任を果たされない=「一人の人として尊重されていない感」が残った形となったように思う。これは今書いてみたら、挫折というか、ちょっとした絶望体験でもある。

 小学校高学年では、PTA会報かなにかの短文を引き受けて書いたのを、冒頭のふわっとした書き出しが「自分のことばじゃない」「情報が何も伝わらない」と家族にダメだしされ、提出直前に書き直したり。

 大学進学にあたり必要だった画力に関しても、描ける人が山ほどいて、私などはデッサンの濃淡が淡すぎたり、時間がかかりすぎたり、なにより気持ちや手が重たくなって、すっかり描く自信を失っていた。

 浪人時代、存分に一人の時間を生きていたときに、文も絵もいたずらにいろいろかいて、あるいは歌にしてみたりもしてたけれど、ほんのマスターベーションとしか自分でも自覚しておらず、でもその割には捨てられないまま、そのときの純度の高い思春期の私を手放さずに持ち続けて今に至っている。

 その合間には、ほめてくれる人たちもいた。ピアノ弾いたら泣いた人もいた。最近は小学校の校歌歌ったら、娘が泣いた。でもそんな言葉は私には届かなかった。何をしても自信がなかった。そのわりに、周囲に対しては「この程度で?」みたいに嫉妬したりもして、我ながらめんどくさい反応をもてあましていた。

しかしそろそろ、そんな昔の私もあけっぴろげにして、捨て、

今の私=もっと深く、より澄んだ私 

が何を表現するのかを、次の私を見てみたい。

自信ていうか、私がこの生ですることってそれしかないじゃない?っていうところにきてる。

また、服をつくりたいな。とかそんな気持ちにもなってる。

その時々に心向くままに。

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そのための「自分回顧展」みたいなことを通過すべきか、

そんなことはほっといて、どんどん今を生きて、表現活動を日常にとりこみ加速するのか。

そろそろ一人旅をお休みして、だれかと何かを実現するスピード感、奇跡、達成感を味わいに行くのか。

なんなら全部同時進行でもいいか。。


恥ずかしがってる時間はない。笑われたっていい。下手だとか、ナンセンスだとか、収入とは無関係でも、

まずは 自分に正直に生きるという、美学に忠実であるということが、

それが誰にでもできる生き方だということを、子どもたちや周りの誰かに届けられたらいい。

やりたいことをやって、生きていける、そういう時代になっていく。

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毎年家族写真撮るみたいに、家族展を企画するのも素敵だなと思ってたりする。その時々の自分を発表するお祭りでもいいし。

そういえば結婚式の2次会のライブや、友人たちに声かけたライブ&泡盛まつりとか、ダンサーや飛び入りパフォーマンスを含んだ野外のお祭りとかね。振り返ればそんなことちょこちょこやってたな。。

また、波がきてるのかも。

表現者たちが集まって、サーカスみたいな、生きるハローワークみたいな場を作りながら、大人も子どももまじってこれからの共育現場づくりについて語らうみたいな。

これ、今一番きてるかも。サーカスですわ。

We are all artists!   We are all gifted!

誰か特別な人、じゃなくて、誰もが特別。

一人一人に力がある。






書くことで社会循環に加わりたいと思っています。 サポートいただけると大きな励みになります。よろしくお願いします!