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正義の味方になれなかったよ

幼稚園で大人になったらなりたい職業を書いて提出する授業? があったんです。で、「正義の味方」って書いて提出した訳です。そしたら何ていうか、めちゃくちゃ怒られたんですよ。トラウマになるレベルです。

当然書き直しさせられる訳なんだけど、当時から頑固な私は拒否したんですね。そしたら居残りです。他の皆が帰った後も「ちゃんとした職業を書くまで帰しません」と言われて、納得はいかないんだけどその場にもいたくないし帰りたかったんで「新幹線の運転手」って書いて提出したんです。そしたらその先生が、「ちゃんとあるじゃない! なんで早く書かないの!」ってニコニコして言い放ったんで凄く悔しかった思いをしたんですよ。

他にも幼稚園の頃から背が高かった私は、立候補した訳でもないのに劇の主役とかさせられたりと理不尽な思いを感じてました。幼稚園なんて行きたくもなかったですよ。

今思えば以上に正義感強いのはこの頃からなんだなーとしみじみと思ったり。
そんな衛宮士郎みたいなガキンチョだった私も無事に大人になりましたが、当時と変わらない位世の中の理不尽は感じております。本当に生き辛い世の中ですね。

2004年にMr.Children(ミスターチルドレン)が発表したHEROという曲の一説に、

「例えば誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして、僕は誰かがの名乗り出るのを待ってるだけの男だ」※作詞, 作曲, 桜井和寿・唄, Mr.Children【HERO】の歌詞より引用

という一説があります。

これって結構昔から話題に出る議題なんだけど、昔真剣に考えた事があったんです。その時は7割は行くかなって感じだったんですけど、その話を母親としてた時に、「あんた小さい頃、夢で怪獣に襲われて『僕は美味しくないから他の皆の方が美味しいから!!』ってあたし達(家族)怪獣に食べさせたじゃない」ってツッコまれたんですよね。

めっちゃリアルで、最後に自分も食べられて生温かい中飛び起きるという夢だったので一瞬にして思い出して恥ずかしい思いをした事があります。

それを何十年振りかに思い出したのが、東日本大震災での福島第一原子力委発電所の事故の時でした。いや、当時じゃない。事故の状況が大分解って来た頃にドキュメンタリーを見た時でした。

子供の頃のチェルノブイリ原子力発電所の事故で、放射能汚染でソ連の広範囲が住めなくなってしまった事は記憶にありました。そして高濃度の放射能に侵されると人間は短時間で死に至る事も理解していたつもりでした。でも、実際にそれが起きた時に自分はこの原発のスタッフのように立ち向かえるのかと考えた時に初めてリアルに感じた気がします。

怖かったです。飲み屋で働いてた時に酔っぱらった人が包丁持って「ぐぉらぁぁぁ」って向かってきた時に感じたヤバいけど何とかしなきゃって取り押さえる為に前に出た事や、スタッフの女の子の為にストーカーと直談判した事や危ない橋は結構渡ってきました。殺されそうになった事も3回くらいあります。でもそんな感覚とは明らかに違います。

行けるのか? いや、その場で震えて足が動かないかもしれない。いや、きっと「なんで俺がこんな目に合うんだ」と、正直思ったんじゃないか……。

自分にガッカリです。

そして新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るった昨年、映画「Fukushima50」が公開されました。

同じ原発事故を描いた「太陽の蓋」を見た時には思わなかったんですが、このFukushima50を観て、「ああ、その職に就いていてその場にいたら俺も行くんだな」と思ったんです。

決して彼等をヒーロー視して思った訳じゃないです。仕事の責任だけじゃない何かを感じたんです。
映画になった事で、原作を読んだ時には想像しきれなかった部分が物凄くリアルに感じ取れる事が出来たんです。

もちろん逃げ出したいと思う気持ちが多くを占めるでしょう。でもあの場所にいたら「誰かが名乗り出るのを待っているだけの男」でいてはいけないと思ったんです。映画の雰囲気に酔った訳ではなく、自分の仕事に対して抱いてきたものを思い出させてくれたのが大きいです。

震災から今年で10年。今一度、震災の事、原子力発電所の事故の事を考えていこうと思います。忘れない為に。

でも、宇宙人が攻めてきて誰か一人が犠牲になるなら地球は助けてあげるよって言うヤツなら、やっぱりだれか出てくるだろうってギリギリまで待つだけ待つと思いますが……。

私の「Fukushima20」の感想はこちら

「太陽の蓋」の感想はこちら

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