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盛岡の”なんかいい”をもっと多くの人に知ってもらいたい

こんにちは。リトルもりおかのユウゴです。
盛岡への想いを紡ぐ、note。
今回は、ちょっと視点を変えて、私がリトルもりおかに参加するきっかけとなった想い。
そしてKozukata制作の原動力となった想いについて書いていこうと思います。

盛岡の”良さ”を言葉で表現すると

私は、東京に出てきて14年が経ちますが、友達や同僚に、「盛岡の良いところは?」「見どころは?」「何が美味しいの?」と聞かれるたびに、なんだか納得のいく返事ができていませんでした。

「自然が豊か」「街中を川が流れている」「食べ物が美味しい」「盛岡冷麺」「じゃじゃ麺」、、、
どれをとっても、盛岡の良さであり、愛すべき特徴です。
しかしながら、私の口から発せられる、その一つ一つの言葉では伝えきれない良さがあって、その部分をうまく伝えられていないと感じていたのです(私の語彙力・表現力がなかったのでは?ということはさておき)。

職場の同僚を盛岡を案内したときのこと。
2泊3日で盛岡を満喫した感想を聞くと、いろいろな感想を話してくれました。
実は、その中で一番心に残ったのは、「なんかいいね」この一言でした。
「すごいよかった」でも「楽しかった」でもなく「なんかいいね」。
おもむろに発せられて、とても抽象的な表現ですが、私には、盛岡の良さを表現する言葉に、これがぴったりなような気がしたのです。

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盛岡の”なんかいい”とは

さて、なぜこの言葉がぴったりだと思ったのか。
言語化しようとして、ある意味言語化できていないような言葉です。
一方で、いろんな要素を取り込める言葉でもあります。

例えば、食べ物自体が味覚として”美味しい”だけではなくて、作り手の優しさや、落ち着く空間だったり。
味覚だけではない+αの要素が、美味しさをより一層増している。
そんな状況が盛岡にはたくさんあるような気がします。

また、盛岡には、後からわかる良さのようなものであったり、素朴だけど良いものがたくさんあると思います。
じゃじゃ麺の美味しさは3回食べないとわからないともよく言われます。
つまり、”高揚感”ではなくて”安心感”、高級品を手にする喜びよりも、身近に置いておきたくなるような日常感。
そんな良さが盛岡の良さなのかもしれない。

輪郭がはっきりしない良さ、でも確かに人の心に響く良さ。
"いろんな要素を取り込んだ良さ"を表現し、安心感も表現するのに”なんかいい”がぴったりなような気がするのです。

盛岡にはこの"なんかいい”がたくさんあって、それをいいと感じる人がいて、その全体が盛岡の良さなのではないかと思うのです。

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もっと多くの人に知ってもらいたい

この”なんかいい”は間違いなくどんな人にとっても”いい”と思えるところがあるはず。
ただ、実体験をせずに、感覚的な”なんかいい”を伝えるのはとても難しい。
でも、これをうまく伝えることができたら、多くの共感を生み、盛岡はもっともっと注目される場所になるはず。

「もっと多くの人に知ってもらいたい…」

そんな時に出会ったのが、「リトルもりおか」でした。

初めてリトルもりおかのWebサイトを見た時に感じた盛岡愛。
首都圏から盛岡を発信するという今までになかった視点。
首都圏に出てきている人だからこそ、客観的に盛岡を見つめ、新たな視点が生まれる。

このコミュニティなら、盛岡の"なんかいい"を多くの人に伝えることができるかもしれない。
これが私がリトルもりおかにジョインしようと思ったきっかけでした。

そして、この想いが、後に私がKozukataを制作する原動力にもなるのですが、その辺のお話はまた別の機会に紹介したいと思います。

”なんかいい”の概念や、その伝え方については、まだまだ模索中です。
このnoteの更新を通じて、深めていきたいと考えています。
まさに、盛岡への想いを紡いでいきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

最後に、リトルもりおかでは、なんかいいイベントを12月12日に開催します!
もはや、"なんかいい"ではなく"すごくなんかいい"です!
ぜひご参加ください!
詳細は↓



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