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稲田俊輔『おいしいもので できている』より「ミニサラダの永遠」 特別公開!

飲食界随一のエンターテイナー、稲田俊輔(イナダシュンスケ)による初のエッセイ集『おいしいもので できている』。珠玉のエッセイのなかから、「ミニサラダの永遠」を特別公開いたします。試し読みにぜひ!

ミニサラダの永遠


 とあるちょっといいお寿司屋さんでランチを食べていた時のことです。カウンター席で食べていると隣に、いかにもお金持ちらしい服装とアクセサリーのマダムが座りました。どことなくやり手の女性経営者といった風情です。マダムは席につくやいなやテキパキと「五目ちらし」を注文しました。ほどなくして彼女の前にガラスの小鉢に入ったサラダが先ず提供されたのですが、それを一瞥したマダムはカウンターの中の職人に向かってやおら問うたのです。 
 「なによこれ?」
 カウンターの中の職人はその鋭い詰問口調にうろたえつつ「ランチサービスのサラダでございます」、と答えたのですが、マダムは職人をキッと見据えたままさらに言いました。
 「いらないわよ、こんなの。下げてよ」 
 サラダは手付かずのまま黙って下げられました。
 
 隣で見ていてさすがにこれはかわいそうでした。若い職人さんは何の落ち度も無いはずなのに心なしかしゅんとしています。なにもあんなキツい言い方じゃなくても……。
 かわいそうと言えばサラダもかわいそうです。僕もその時お寿司の前に同じものを食べました。まあ確かに何の変哲もないサラダではありました。が、それは レタスと大根を主体にしつつ、さすがの包丁捌きでごく丁寧に切り揃えられたニンジンと紫キャベツが彩りを添える、誠実なサラダでもありました。なのに「こんなの」呼ばわりでその存在は全否定され、おそらくはそのまま廃棄されたことでしょう。

 マダムに対しては正直、憤りを覚えました。「あなたには人の心というものが無いのか」と詰め寄りたかったくらいです。ですが、そうは言いつつ、彼女の苛立ちに対しては共感する部分があったのもまた確かです。
 日本の外食、特にランチタイムにおいてはこの種の「ミニサラダ」が幅を利かせすぎている気もするのです。カレーはもちろんパスタにもオムライスにも、和定食にも中華定食にも、この「あっても無くてもどっちでもいいようなサラダ」 はやたらと登場します。
 マダムはもしかしたらそのお寿司屋さんの夜の贔屓客だったのかもしれません。その店はまだ新しいお店でしたが、正統派の江戸前寿司を提供する店として評判でした。そういう店でもランチだと江戸前寿司とは何のゆかりも無いありきたりなサラダをさも当然のように出してくる、それが彼女にとっては許せなかったのでは、と想像するのは容易でした。

 この種の「ありきたりなミニサラダ」がやたらと浸透しているジャンルのひとつにインドカレーがあります。日本人が最も頻繁に目にするであろうインド料理、すなわち「インドカレーとナンのセット」にほぼ100%サラダが付いて来るのは皆さんもよくご存知のことでしょう。ですがこのサラダ、少なくともインド料理好きの間では実はたいへん評判が悪いのです。インドでは生野菜を食べる習慣はあまり無く、あってもその調理法や素材は極めて限られています。少なくとも、レタスやキャベツなどの葉野菜を主体にしてそこに何らかのドレッシングがかかっているこの種のサラダは、インドではほぼ食べられることは無いはず。
 インド料理好きにとってはこのような「インド料理とは何のゆかりも無い一品」が皿の一部を占拠していることが許せないわけです。僕もインド料理好きの一人としてこの感覚には完全に共感しています。許せない、とまでは言いませんし出てきたらありがたくいただきますが、できたらこのポジションにサラダではなく何かしらインドの野菜料理的なものがちょこっとでも添えられていたらどんなに嬉しいことか、とよく思います。

 ですから僕自身、過去にカレー店やインド料理店を営む中で、ありきたりなサラダの代わりにインドの野菜料理を付けるということを何度も試してきました。サブジと言われる野菜のスパイス炒めや、刻んだ野菜をヨーグルトで和えたライタなどです。しかし残念なことにその試みはことごとく失敗してきました。どういうことか。サラダではない野菜料理を出してもそれはかなりの確率で残されてしまうのです。もちろんそれを喜んでくれる方も一部にはいました。安易なサラダじゃなくてこういうものを付けてくれるなんてサスガだね! というような賞賛も時々はいただきました。でも必ず一定数確実にそれは残ってくる。サラダだったら特に褒められもしないかわりに、残ってくることはまず無いのに。
 僕は早々に見切りを付け、インド料理好きしか頼まないような一部のマニアックなセットを除き、それ以外には素直にサラダを付けることにしました。
 同じようなことは和食屋でも経験しました。主菜とご飯、味噌汁に小鉢とミニサラダが付く、というのは安めの和定食によくあるパターンだと思いますが、そこでミニサラダを付けるくらいなら小鉢を二つ付けよう、という試み。しかしこれもまたあまり評判がよろしくないのです。やっぱりサラダが無いと寂しい、という意見が少なからず寄せられました。そしてインドの野菜料理ほどではないですが、残され率はやはりサラダの時より増えました。

 そんなこんなの経験を通して僕は学びました。結局日本人はなんだかんだ言ってあのミニサラダが好きなんです。それは料理としての味だけではなく、「野菜 はなるべく摂取しなければならない」という常識と「生野菜じゃないといかにも野菜って感じがしない」的なある種の錯覚にも支えられているのかもしれませんが。
 冒頭のマダムやインド料理マニアのようにミニサラダに対する不満を表明する 人々は一定数いるにせよ、その他のサイレントマジョリティーには、確実に(ただしうっすらとではあるかもしれないけれど)愛されているのがランチセットのミニサラダ。だからミニサラダは永遠に無くならない。
 そしてそこには実のところ飲食店側の都合もあります。ミニサラダははっきり言って「楽ちん」なんです。たいした仕込みの手間も必要ない割に少量でなんとなくサマになる。少量でサマになるから原価も低い。インドの野菜料理であって も和食の小鉢であっても、サラダに代えてそれを用意しようと思うと手間も原価も確実に増えてしまう。そういうことなんです。わざわざ手間と原価を増やして 残されるものを作り続けられるタフな飲食店はあまりありません。だったら素直にミニサラダでしょう。ミニサラダを介したお店とお客さんの薄ぼんやりとした蜜月は、だから永遠に続くのです。

 ここまでお読みいただいたら明白でしょうが、僕はミニサラダに対して決して全面的に良い感情は持っていません。サラダという食べ物が嫌いなわけではないのです。むしろ大好物のひとつです。
 サラダのおいしさは量も大事だと思っています。家でサラダを食べる時は、まずレタスを中心とした葉物野菜を馬に食わせんばかりに大量にちぎります。さらにそこにはセロリやピーマン、水に晒さない玉ねぎなどの香りや辛みに一癖ある野菜や、あればハーブも何かしら加えます。きゅうりやトマトといった定番野菜以外に、小松菜や蕪などあまりサラダらしくない野菜も生のまま入れるとより食べてて楽しいサラダに。
 ドレッシングはビネガーと塩とオイル中心のシンプルなものに限ります。それをボウルの中で指先を使って、優しく、そして満遍なく野菜に纏わせるのです。フランスだかどこかでは「サラダは乙女に混ぜさせよ」という言葉があるそうです。残念ながら僕の指先は乙女からはほど遠いのですが、サラダを混ぜる時の気持ちだけは乙女です。トマトが入る時は乙女なりに少し力を入れてそれを軽く潰し気味にします。肉厚のトマトにも味が馴染むと共に、トマトからわずかに染み 出すエキスがドレッシングの味を深めてくれるという寸法です。

 残念ながらランチタイムのミニサラダは、こういうサラダとは全てが真逆です。 量が少ないのは、これはもう仕方ない。でもセロリもハーブも辛い玉ねぎも入っていないのは寂しい。その代わりなぜかいつもトッピングされるのは粒コーン。 ドレッシングをいちいち乙女の指先で、しかもトマトを軽く潰しながら混ぜよな んて無茶は言いません。が、なぜそこにかかっているのはいつも「胡麻ドレッシング」なのか。酢と油でいいではないか。
 身勝手は重々承知ですが、世の中のミニサラダのほとんどに対して僕はこういう不満を抱いてしまうのです。そして本当は僕もよく知っています。僕の理想そのままのミニサラダを出したら、それはやっぱりきっと一定数残されてしまうのです。

(『おいしいもので できている』より一部抜粋)

帯付き_書影

おいしいもので できている』稲田俊輔 初のエッセイ集、好評発売中!

これを読めば、食事は最高のエンターテインメントになる!
食べ物への偏愛が注ぎ込まれたエッセイ集。ミニマルレシピ4点付き。

■目次より
幸福の月見うどん / 一九六五年のアルデンテ / サンドイッチの薄さ / 手打ち蕎麦の困惑 / ヤマモトくんのおやつ、キリハラくんのおやつ / ホワイトアスパラガスの所在 / 菜っ葉とお揚げさんのたいたん / カツレツ贔屓 / コンソメスープの誇り / チキンライスの不遇 / 幕の内大作戦 / 史上最高のカツ丼 / ストイック宅配ピザ / 小籠包は十個以上 / カツカレー嫌い / 天ぬきの友情 / 食べるためだけの旅 / ビスクの信念 / お伽噺の醤油ラーメン / ポテトサラダの味 / ポトフとpot-au-feu / 麻婆豆腐の本質 / ミールスの物語 / 誰が為のカレーライス / かっこいいぬた / ミニサラダの永遠 / から揚げ稼業

■収録レシピ
・東海林式チャーシュー「改」とチャーシュー麺
・ミニマルポテトサラダ
・塩漬け豚のpot-au-feu
・ミニマル麻婆豆腐

《全篇書き下ろし》


■プロフィール
稲田俊輔(イナダシュンスケ)
鹿児島県生まれ。京都大学在学中から料理修業と並行して音楽家を志す。卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。音楽でも一度はインディーズレーベルよりデビューを果たすもいつしか見切りをつける。以降は飲食に専念することになり、和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。和・洋・エスニック、ジャンルを問わず何にでも喰いつく変態料理人として、またナチュラルボーン食いしん坊として、ツイッター(@inadashunsuke)などで情報を発信。過去のブログ「サイゼリヤ100%☆活用術」が話題となり、書き手としても人気を博す。
著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』、『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)がある。

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