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トミヤマユキコ「ネオ日本食ノート」16

冷やし中華の元祖を食べる――神保町「揚子江菜館」

 前回、「日本の夏は『冷やし中華はじめました』の張り紙によって始まる」とか書いておいてあれだが、発祥の地とされる店では、一年中冷やし中華が食べられるという。はじめないし、終わらない。そんな冷やし中華もあるのだ。
 神保町駅のA7出口を出て、すずらん通りを入ってすぐのところにその店「揚子江菜館」はある。学生時代から神保町には何度となく来ているし、すずらん通りも何往復したかわからないが、揚子江菜館に入ったことは一度もない。なぜって、店構えからして高級感があるから貧乏学生にはちょっと勇気がいるのだ。ここに入る勇気も金もねえよ! みたいな時代を経て、いまや何の躊躇もなくサラっと入れるようになったわたし(アラフォー)。ずいぶんと大人になったもんだ。
 閉店時間の迫る店内には、先に到着したKくんとおかもっちゃんしかおらず、1階フロアは貸し切り状態である。きれいなクロスのかかったテーブルを囲む男ふたりは、寂しげにザーサイをつまんでいた。お待たせしてすみません、さっそく元祖冷やし中華を頼みましょう。
 揚子江菜館の冷やし中華は、正式名称を「五色涼拌麺」という。昭和8年に誕生したというから、80年以上愛されてきたわけだ。運ばれてきてまず目を奪われたのは、その美しさ。丁寧に細切りにされた具材が麺の山肌を覆い、これでもかとそそり立っている。ほかで見かける冷やし中華より明らかに標高が高い。実家で母が作ってくれる冷やし中華も「ちょっとこんもり」程度の標高だった。あれは丘、そしてこれは山である。
 この標高の高さは、日本一の山、富士山を意識してのことなのだろう。「富士山の四季を彩る飾り」(お店のHPより)が売りであることからもわかるように、ここの冷やし中華は“食べられる富士山”なのである。

(後ろに見切れているのは、「五色炒麺(五目焼きそば)」です。冷やし中華が「五色」涼拌麺なので、五色繋がりにしてみました。具材がごろごろと贅沢に使われていて美味しかった!)

 チャーシューが大地を表しており、そこに、初夏(春+夏)=キュウリ、秋=煮たけのこ、冬=寒天……と季節が巡ってゆくのだそうだ。頂上にふんわりと乗っかった錦糸卵は、富士山頂にかかる雲。すごい、完璧な富士山の四季だ。元祖冷やし中華がここまで風流なコンセプトを持っていたことに、ちょっと驚かされた。そして、それが一般に流布する中で、徐々に富士山のイメージを失っていったこともまた面白い。これぞ解釈につぐ解釈によって変化してゆくネオ日本食の姿である。
 で、肝心の味だが、われわれ3人の意見は完全に一致した。「や、やさしい〜!」……とにかくやさしい。味が丸い。
 一般的な冷やし中華が、醤油の塩気とお酢の酸味、あるいは紅ショウガの辛さによって、けっこうインパクトのある味に仕上がっているのに対し、こちらの冷やし中華からは、そのようなインパクトが感じられないのだ。ふわっと舌全体を包み込むようなその味は、コンビニの冷やし中華と比較してしまうと、もはや「ぼんやり」と呼んでもいいくらいなのだが、このやさしさ、ジャンク感のなさこそが、「繊細に設計された逸品」であることを強く感じさせる要因でもある。ホテル・ニューグランドで元祖ナポリタンを食べた時にも思ったが、ネオ日本食における「元祖の味」は、往々にして料理としてのまとまりが良い。発想自体は大胆だとしても、仕上がりはすごく上品なのだ。
 上品なお店で、上品な冷やし中華を、上品な店員さんに見守られながら完食したわれわれは、店を出て、ぶらぶら歩きながら駅へと向かった。帰り道の議題は「あれは冷やし中華だったのか?」である。あのやさしさ、あの上品さが、ネオ日本食としての冷やし中華とはまるで違っていて、なにか別の料理を食べているかのような気分になった。たしかに冷やし中華の見た目だし、味だし、間違いなく美味しい(また食べたいかと聞かれればすごく食べたいというのがわれわれ3人共通の感想だった)。
 なかなか答えのでない我々は、帰るに帰れなくなり、神保町駅すぐ近くの大衆酒場「酔の助」に寄り道することに。さっきとは打って変わってドヤドヤと賑やかな店内で「たこ焼きのミートグラタン」をつまみに、ハイボールを飲んだ。繊細でも上品でもないが、庶民の舌にガツンと来る旨味。凶暴なのに安心感があるのはなぜだ……。

(酔の助の「たこ焼きのミートグラタン」)

 若干話が逸れてしまったが、冷やし中華の元祖には、揚子江菜館説のほかに仙台「龍亭」説がある。そっちの元祖はどんな味なのだろうか。いつか食べてみたい。繊細な料理か、それともジャンクな庶民フードか……? いずれにせよ、また新たな発見があるに違いない。

揚子江菜館

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