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「私の好きな音楽・映画・本・それから」グカ・ハンへのインタビューVol.3

グカ・ハン『砂漠が街に入りこんだ日』は、架空都市LUOESを舞台に、さまざまな「越境」を描いた8つの短編からなる小説集です。

ルオエス / 雪 / 真珠 / 家出 / 真夏日 / 聴覚 / 一度 / 放火狂

その魅力を日本語でも味わえるように訳し上げた原正人さんにお力添えいただき、グカ・ハンさんへのインタビューを敢行しました。

(前回までの記事はこちらから)
Vol.1「韓国からフランス語の世界へ飛び込んで」
Vol.2「さかさまの世界LUOESに 私を描く」

【3】「私の好きな音楽・映画・本・それから」

—— 『砂漠が街に入りこんだ日』の冒頭に韓国のアーティストJowall(조월 ジョーウォル)の「街中が燃え尽きる夢」の歌詞が引用されていますね。最後の短編「放火狂」を連想させる歌詞ですが、この曲はこの本のインスピレーション源になっているのでしょうか?

 私にとって火とはどこか悲劇的なものです。人類は火を制御することで文明と呼ばれるものを発展させてきました。しかし、火は人類が築き上げてきたものを焼き尽くしてしまいます。それも、あんなに美しく。火事で山や建物が燃えているのを見ると、私は時に申し訳ない気持ちになります。というのも、何もかも燃やし破壊し尽くしてしまう火を見て、私は美しいと思う気持ちを抑えられないからです。「街中が燃え尽きる夢」の中で、Jowallは、暴力的と言っていいほど素っ気ないその美しさと悲劇を歌っています。
 この本を執筆しているあいだ、私はこの曲を何度も聴きました。火に包まれた街のイメージと曲の幻想的な雰囲気は、私の文章の中にはっきりとこだましています。それだけに、この歌詞をこの本の冒頭に引用するのは、私にとって当然のことなのです。

—— 本書のなかで、音楽が重要な役割をしている作品に6作目の「聴覚」があります。「音楽」を発見することで、物語の語り手は彼女を取り巻く混沌から逃避することに成功します。ご自身にとっても、音楽は生活に欠かせないものなのでしょうか?

 多くの人が同じだと思いますが、私にとって音楽は、私たちをあっという間にとても遠くに連れ去ってくれる魔法のような力を持った存在です。「聴覚」の語り手と同じくらいの年齢だった頃、私は本当に音楽に夢中でした。CDをたくさん買って、しょっちゅうコンサートに行って、ほとんどいつも耳にイヤホンをつけていました。この物語のように、ラジオやテレビをつけて家中を騒音だらけにする母親がいたわけではありませんが、今になって思うのは、韓国という国自体が語り手の母親のようだったということです。
 韓国では、大自然の中にでもいるのでなければ、レストランにも、バスの車内にも、お店にも、そして通りにさえも、たいていK-POPのような音楽が常に流れています。そういった音楽や雰囲気が好きな人にとってはいいことでしょうが、私はそうではありません。私はいつも私のいる場所は騒々しいと思っていました。逆に静かで穏やかな場所にいたら、あれほど一生懸命音楽を聴いていたかわかりません。そもそも音楽を聴いてすらいたのか……。いずれにせよ、私はひとりきりになるために、ここではないどこかへ行くために音楽を聴いていたのです……。

——フランスのラジオに出演されたときに、Lee Minwhee(이민휘 イ・ミンフィ)の「Borrowed Tongue」という曲を紹介されていましたね。日本でも活躍されているイ・ランさんの音楽がお好きだとも伺いました。韓国のアーティストの楽曲や彼らのスタンスに共感するものはありますか?

 ふたりともすごく大好きなミュージシャンです。ふたりのことは大学で知り、それからというもの、かなり近くでずっと追いかけてきました。イ・ミンフィの音楽が詩を想起させるのに対し、イ・ランの音楽にはどこか日記を読んでいるようなところがあります。どちらもそれぞれのやり方で、自分たちが生きている世界やすれ違った人々、話している言語について問いただすような歌詞を書いています。その世代の女性のひとりとして、私はそれらの問いや不安、世界の見方を共有しています。

—— フランスでは、この『砂漠が街に入りこんだ日』という作品を「デヴィッド・リンチ的」と形容する媒体がありましたし、あなた自身、インタビューの中でタイの映画監督であるアピチャートポン・ウィーラセータクンの名前を引き合いに出していました。
 2作目「雪」の語り手は映画を勉強するために異国を訪れた女性だったわけですが、あなた自身、映画や映像作品からインスピレーションを得ることはありますか?

 考える余地を与えてくれる映画や、何かを理解させるのではなく、見せてくれる映画が好きですね。アピチャートポン・ウィーラセータクンやツァイ・ミンリャンの作品がまさにそんな映画です。どちらも独特な時間や空気を構築しています。
 ツァイ・ミンリャンの映画では、作品を覆っているメランコリーと、孤独な登場人物たちが自分たちを取り巻く陰鬱で非人間的な世界を生き抜いていくさまが感動的です。アピチャートポン・ウィーラセータクンの映画で注目すべきは、あらゆる境界が溶けてしまっていることでしょう。生者の世界と死者の世界、夢と現実、人間と動物のあいだで、常に行き来がなされています。登場人物たちやその世界に向けられたまなざしが優しく、そこもすばらしいと思います。

—— フランスのインタビューでは、外国語で創作する作家ということで、多和田葉子さんと比較されていました。実際、ご自身も多和田さんの作品から刺激を受けているそうですね。他にも気になっている作家がいたら教えてください。

 ここ数年、外国語で執筆する日本人の女性作家にとても興味があります。まずはもちろん多和田葉子さん。私は彼女の、漂っているような、液体のような、これといったはっきりした形のないものという「自分自身」の定義がとても気に入っています。彼女はご自身の文章の中で、その不確かで不安定な状態の力を見事に示していると思います。どんな言葉や物を取り上げる際にも、彼女は対象から距離を保ちながらも無垢であることを忘れませんが、その点もすばらしいです。彼女の作品を読むと、世界がまるで違ったものに見えるのです。
 アキ・シマザキさんも気になっています。彼女が興味深いのは、フランス語で執筆しつつも、極めて日本的なものを書いているという点です。ここでもまたあらゆる境界が曖昧になっています。これははたしてフランス文学なのか、それとも日本文学なのか。そもそも現代の世界において、このような区別を設けることにはたして意味はあるのでしょうか。
 斎藤真理子さんは韓国文学の翻訳者としてよく知られているかと思いますが、実は30年以上前に韓国語ですばらしい詩集を1冊書かれています。私が読んだのは、数年前に再版されたものです。韓国語を母語としない作家が書いた韓国語の本を読んだのはそれが初めてでした。文章の美しさにたちまち魅了されました。彼女の韓国語はとても澄んでいてどこか直接的でした。彼女が描く90年代初頭のソウルは、韓国人作家が描くソウルよりずっと「ソウル的」だと思いました。斎藤さんが私の本の日本語訳に推薦コメントを寄せてくださったと知って、とても光栄でしたし、とても感動しました。
 好きな作家はたくさんいるので、こんなふうに話しているとキリがありません。最後に何人か名前だけあげておくと、ファン・ジョンウン、ペ・スア、オリヴィア・ローゼンタール(Olivia Rosenthal)、アンヌ・カルソン(Anne Carson)といった作家が好きです。

—— グカ・ハンさんの作品は今回初めて日本で翻訳紹介されたわけですが、日本を訪れたことはおありですか?

 実はまだ一度も訪れたことがないんです。とはいえ10年ほど前に、飛行機の乗り継ぎで一瞬だけ東京に降り立ったことがあります。ヨーロッパから韓国へと戻る途中でした。どこだったか、あるお店でうどんを一杯食べたんです。ロシアとヨーロッパに9カ月滞在して帰る途中だったのですが、滞在中は肉の多い、しばしばとても塩気の強いものばかり食べていました。なので、格別おいしいというわけでもなかったのですが、そのうどんを食べた瞬間、すっかりうれしくなってしまったんです。やっと韓国の近くに戻ってきたなという気がしました。私の日本体験はたったそれだけです。近いうちに、今度はきちんと日本を訪れることができたらと思います!

—— 今年に入ってから新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっています。このようなパンデミックを異国で迎えるというのは大変なことだと思います。今回の体験を通じて、世界の見え方が変わったりしましたか?

 フランスではほぼ2カ月間にわたって、厳格な外出禁止措置が取られました。その期間はとても生きづらい思いをしました。パリは突如として幽霊都市になってしまいました。外出するには署名入りの許可証が必要でしたし、警察が定期的に通行人を検問していました。本当に恐ろしい雰囲気でした。私は本を読むことも書くこともできなくなってしまいました。まるで読み書きが違法で禁じられた世界に迷い込んでしまったようでした。まるで休止時間といった感じで、そのことがどんな影響を及ぼすのか、今はまだわかりません。
 とりあえず私たちの習慣や自由なんて、ほんの数日で消えてしまうものなんだと思い知らされました。他者との関係も大きく損なわれました。おそらく私たちは、私たち誰もが負ったこの大きな傷跡を、抱えたまま生きていく術を学ばなければならないのでしょう。

—— 最後に、今後の予定についてお教えください。

 今はファン・ジョンウンの小説をサミー・ランゲラート(Samy Langeraert)と一緒にフランス語に翻訳しています。数年前に2冊目の小説を書き始めたのですが、今はしばらく脇に置いている状態です。美大を卒業した後、私は絵画の道を断念したのですが、ここしばらくはその絵画にもう一度挑戦したい気持ちが高まっています。実はもう趣味程度に暇を見ては絵を描いているんです! 正直、フランス語であれ、韓国語であれ、言語に向き合わなくて済むとホッとします。筆とカンバスと絵の具を用意して、黙々と心安らかに、言語とはなんら関係のない問題と格闘しています。

(了)

書影

『砂漠が街に入りこんだ日』
164頁/四六変形/並製/リトルモアより、2020年8月1日発売。
全国の書店、ネット書店、またはLittleMore WEBにて好評発売中。

◆著者略歴
グカ・ハン(Guka Han)1987年韓国生まれ。ソウルで造形芸術を学んだ後、2014年、26歳でパリへ移住。パリ第8大学で文芸創作の修士号を取得。現在は、フランス語で小説を執筆している。翻訳家として、フランス文学作品の韓国語への翻訳も手掛ける。
(Portrait ©️Samy Langeraert)

◆訳者略歴
原 正人(Masato Hara)1974年静岡県生まれ。訳書にフレデリック・ペータース『青い薬』(青土社)、トニー・ヴァレント『ラディアン』(飛鳥新社)、ジャン・レニョ&エミール・ブラヴォ『ぼくのママはアメリカにいるんだ』(本の雑誌社)、バスティアン・ヴィヴェス『年上のひと』(リイド社)、アンヌ・ヴィアゼムスキー『彼女のひたむきな12カ月』、『それからの彼女』(いずれもDU BOOKS)などがある。




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