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休校、在宅、そしてそれから

自宅学習で多くの親がさまざまな嘆きをあげるいま。子どもたちは少し長くなった夏休みに歓喜の声がおさまらないようだ。学校に代わって寄り添う低学年の親には負担が多いけれど、家族との時間で取り戻したものも多い。それぞれの複雑な感情をのせて、今日もカレンダーは進んでいく。

息子はクラスメートの顔を知らず、入学式もなくなった何百人の「まぼろし一年生」のひとり。3月は保育園から小学校へ変化の時だった。1月からは<おひるねの時間>もなくなって、友人と衝突すれば「小学生になったら一人前の行動を!」とたしなめられる日々に「学校ってどういうところ?」の期待と不安で少々センシティブになっていた頃もあった。ドキドキしていた入学式もクラスメイトも夢のようになくなってしまった。そんな「おあずけ状態」だった彼に同情する瞬間もあったけれど、いまの彼は自宅学習のストレス対処すら上達してきつつある。私の仕事時間をかせぐために導入した『1日1ドラえもん映画』は、しっかりと彼のルーティンに組み込まれ、宿題やスマゼミの時間調整に役立っている。1981年の映画と現代のリメイクを見直して、情緒ある昔の方がおもしろい、大山のぶ代さんの声がしっくり来る、ひみつ道具にこんなのがある、などとドラえもん話に花が咲く夕食を私も楽しんでいる。

誰かに褒められる重圧

自宅学習の最初のうちは、子供との時間をいかに充実させるかにやっきになっていた。パンを焼いたりケーキを焼いたり。知り合いのSNSで見かける素敵なお母さん像を追求してみても、自分が焼くケーキは全然食べてくれない。結局ほとんどは私の胃の中に消費され、またたくまに3キロの増量に成功した。

インスタグラムの #ブックカバーチャレンジ もとっくに飽きて、料理家のレシピを探すことも辞め、ライブの数も淘汰されてきたのをみて正直ホッとしている。他人とつながり新たな発見を促すツールとして役に立つSNSだけれど、その便利な<アクション>によって自分がつながっていないことを再認識させられるという恐ろしい<人脈発見器>でもある。このツールで関係性を測るのはやめたほうがいいとわかっているし、できれば他人の投稿は見ないほうがこころがすっきりしている。それでも新しい出会いに期待して、気づいたら開いている。本当の敵は自分の中にいるとつくづく思う。

新しい風、その後の私たち

緊急事態宣言は8都道府県を残すのみとなり、街にもひとけが戻りつつある。大手アパレルの経営破綻のニュースが珍しくなくなり、飲食業はサービスの切り替えによって明らかな明暗が別れたという。家族向けに強い、またテイクアウトに強いハンバーガーや餃子などに対して、居酒屋の落ち込みは察するに余りある。

我が家も「くら寿司」や「モスバーガー」のテイクアウトやuber eatsなどを利用したほか、行ってみたかったけどチャンスがなかったビストロが始めたランチをピックアップしに渋谷まで車を飛ばすこともあった。そこはスパイスの配合が独特で少々お高めだったけれど大満足で、コロナ収束後にわざわざ行きたい店となった。需要をとらえてさっと切り替えができるフットワークの軽さが功を奏した自粛中のビジネス。今後はそれができないと生き残れないのかもしれないし、それは飲食業だけに限らない。リモートワークや副業が当たり前の今、フリーランスの立たされる場所はコレまでにも増して厳しいものになっている。自分がどんな成果に結びついているか、サービスの強みが明確でないといけないところが、さらに色濃くなってきている。というか時代を読むのはビジネスの基本だけれど、対応速度がどんどん高速化しているというだけなのかもしれない。

自分を高めるという選択肢

考えるほどこれからどうなっちゃうんだろうと不安が募る。やみくもに手を出したくなる。でも今こそ、自分の持ち物に磨き上げるべきなんじゃないかと思っている。持っているけれどうまく活用できていなかったこと、手がつけられなかったこと。今までやってきたことに誇りを持ちながら新しい挑戦を続ける。心の奥にある琴線と共鳴することで、新しい価値を生み出す。金のために仕事で人生を棒に振らずに、豊かさを広げるための挑戦を続けていきたいと思う。人間らしいつながりを再認識したのだから。


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