奇跡の瞬間ーs

第1話 オーディション "奇跡の瞬間"

※本作品は、「夏の蜃気楼」の続編です。

 Bridgeを辞めた後、僕は広告代理店のポスター貼りと小学生向け学習塾の教師のバイトをした。二つとも時給が良いので短時間でバイト代を稼ぐことができ、余った時間を使ってギターの練習や曲作りに没頭できた。

 家には電話がないから、こちらから連絡を取らない限り綾野も詩織も連絡を取る手段がなく、二人とも加奈子のように大家さんの家に電話をしてくるような積極的なタイプでもなかったから、僕たちは完全に疎遠になっていた。

 やがてオリジナルの曲も少しずつ増えてきて、ギターもそれなりに指が動くようになってきて、僕はいよいよライブハウスのオーディションを受けることを決めた。
 
 --- 渋谷のライブハウス、@PIA(アットピア)。
 
 アコースティックライブの殿堂で、多くのアマチュアミュージシャンの憧れの店だ。イベント情報誌の "ぴあ" に毎週ライブ情報を掲載していて、そこに名前が載ることがプロになるための第一歩だった。まずは実際にライブを見て店の音響や観客の反応などをしっかり把握しておこうと思い、店を訪れることにした。

 入口でチケットを買い、空いてる席に座ってコーラを注文した。ステージは決して広くはないけど、客席との距離感が絶妙で、一体感というかアコースティックライブのリアリティが全身で感じられるような店づくりだ。
 
 やがて今日のアーティストがステージに現れた。
 
 ピアノとベースとドラム。そしてボーカルは女性だ。JAZZ風のアレンジの落ち着いた歌で、年齢は25歳くらい。経験豊富な感じでその迫力あるステージに僕は圧倒され、自分とのギャップに落ち込んだ。
 
 --- プロの洗礼・・・
 
(こんなすごい店で歌わせてもらえるのかな?・・・) 
 
 ステージが進むにつれて、不安は募るばかりだった。
 
 やがてステージが終わり、ファンと言うか友だちと言うかそういう人たちが彼らを取り巻くようにして今日のステージの事について談笑していた。
 僕はステージ横でミキサーを操作していた40歳代と思われる男性のところに行って声をかけた。
 
「すみません、この店のマスターはいらっしゃいますか?」
 
 男は一瞬驚いたような顔をした後、とぼけた顔をしながら「あ、マスター?おい、マスターって誰だっけ?」と、さっきのボーカルの女性に声をかけた
 
「何言ってんのよ~自分でしょ~?」
「あ、オレか?ははは」
 
 そう言って、みんなが爆笑した。
 
「あ、ごめんなさいね、このオヤジがマスターですよ~」 
 
 ボーカル女性がニッコリ笑って言った。
 
(こ、この人がアットピアのマスターか・・・)
 
 年齢は多分40代前半。髪はスキンヘッドに近い五分刈りで頭にバンダナを巻いている。
 
「で?何のご用でしょう?マスターですが」 
 
 マスターはおどけた感じでニコニコしながら聞いてきた。
 
「あ、あの・・・僕はまだ学生なんですけど、この店で歌わせてもらいたいと思っていて・・・」
「ん?」
 
 マスターは相変わらずとぼけた顔で無反応である。
 
「つまり、えっと、オーディションを受けさせていただきたいんですけど・・・」
「オーディション?」
「はい・・・」
 
 マスターは一瞬ちょっと何か考えた後ポツンと言った。
 
「あっ、じゃあ・・・今ちょっとなんかやってみてよ」
「え?今?・・・ですか?」
「うん。ちょうどほら、この人たちもいるし聞いてもらおう、ね」
 
 マスターがそう言うとボーカル女性が「あ、聞かせて~」と言った。
 
(い、いきなり?マジかよ・・・なんにも準備してないよ・・・)
 
 突然の出来事に心臓がバクバク音を立てて苦しくなってきた。だけど心の奥でもう一人の自分が「チャンスだ!」と叫んでいる気がした。
 
 --- チャンスを掴むために練習してきたんじゃないか・・・
 
「あ、あの・・・じゃあ、ギター貸していただけますか?」
 
 僕がそう言うと、さっきのバンドのひとりがギターを貸してくれた。僕は深く息を吸い込んでそして吐き出し、呼吸を整えてステージに上がった。

 自分の人生が大きく動き出すような、そんな予感を感じた。

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第2話 プロのステージ につづく

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上海、台湾に住んでいた頃の経験をベースに、中国語初級者が日常よく使う、またはよく触れる言葉や構文を、簡単な会話形式で紹介していきます。 また、マレーシアで使っているいい加減な英語を「とりあえず通じる」ので、男女の会話形式ストーリーで紹介しています。