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#18 いつもビリってことないぞ!

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

ゴルフだけは、少ない人の勝つスポーツである。

ゴルフ場は、山を切り開いてコースを作る。所謂ところの開発ってやつである。大体の場合、コースは自然との融和が図られている。朝早くから集まって、気心の知れた、もしくは知れない仲間とも、のびのびと、もしくはガチガチに緊張してプレーをする。

緊張と緩和が入り乱れるスポーツで、常にプレッシャーの中に自分を置いていると言っても過言ではない。メンタルも非常に重要なファクターであると言える。

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上記は、「ゴルファーライフスタイル調査」報告書(サマリー版) - 日本プロゴルフ協会からの抜粋。ゴルフをプレーする人の中で20〜30代は、全体の21%でしかない。主には、40〜60代で構成されるスポーツである事が分かる。資料は割愛するが、プレイヤーの男女比率で見ると、男性が85%を占める。男性で40歳〜60歳がコア層であれば、これは一言で表せる。

「ゴルフはおじさんのスポーツである。」

ゴルフ用品を揃える事が出来て、土日の休みを家族に費やさなくても良くて、5000〜20000円くらいのプレー費を払えることもできて、何らかのコミュニティーに属していて、そのお付き合いも上手でそうする事が必要な人が、ゴルフをプレーする。・・・様に思える。

確かに大人の男性が集まって遊ぶ。と言っても、その選択肢は一般的に多くは無い。激しいスポーツになると体力が持たない。経験者でないと出来ないスポーツだと、やったことの無い人は混ざれない。決まった人数でないと出来ないスポーツだと、集まりが悪いと出来ないし、新規参入への壁はより高くなる。

その点ゴルフは別の班で一緒にプレーしないとしても、カートに乗れば息も切れないし、同じ日に同じコースを回る事が出来るので、皆でやった感が得られやすいのではないか考えられる。

特に青春時代に運動部などで汗を流してきた人たちは、皆で一つのスポーツをする楽しみや一体感などが思い出されるのではないだろうか。

だが、ゴルフという競技自体は「個人競技」である。団体戦などもあるようであるが、それでも基本的には「自分」がどのようにプレーするかが結果を左右する。

もしゴルフの魅力の一つが「みんなでやった感」であるとしたら、プレーの本質はそれとは真逆であるように思える。

なぜそれが好まれるのだろうか。

例えば、仕事でも社内が一体となって仕事を行えば、一緒に汗を流していると言えるのではないだろうか。それなのになぜわざわざゴルフを大人数でやりたがるのだろうか。

おそらく自然の中で体を動かすというのが大きなポイントなのではないだろうか。特に、普段建物の中にいる人たちにとっては。

解放感がそこにあるのだろうと思う。経営者連中がゴルフに夢中と言うのはよく聞く話である。これは、普段抑圧されている分を上手く開放しているのではないだろうか。

普段からたくさんの人を集めて仕事をしているので、連帯感は生まれるけれど、やはり仕事と遊びでは大きく違う。そして往々にして、経営者が人を集めるとそれは仕事の延長線上にあるように思えてしまう。

だからゴルフは普段孤独を感じているような経営者にとっても、いつもとは違った連帯感を得られる良いスポーツなのだろうと考える。

しかし、ゴルフにも当然「上手い」とか「下手」が存在する。

たとえどんなにゴルフが好きでも、その人が必ずしも上手いとは限らない事もある。例えばこのコマのように。

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藤子F不二雄ビックコミックス「未来の思い出」からの1コマ。かつての代表作「ざしきボーイ」で一世を風靡した漫画家、納戸理人が育英社のゴルフコンペに出かける時に、妻から「何がおもしろいのかしらね。人一倍ひっぱたいて走りまわっていつもビリ・・・」と言われた時の一言である。

「いつもビリってことないぞ!藤木・Fさんなんかハーフで80たたくこともあるぞ!!」

いつもビリではないという事は、ブービー(下から2番目)だったり、上位では無い事を意味すると考える。納戸理人は漫画界の大御所であるため、同じく大御所の藤木・Fさんと回る事もあるようである。藤木・Fさんとは言うまでもなく、F先生の事である。

これまでもドラえもんを含む多くの作品に、フニャコ先生などの名前で自分(達)を出演させてきたF先生だが、この「未来の思い出」では2回ほど台詞の中だけで登場している。

F先生とゴルフについては、こんな話がある。下記はwikipediaからの抜粋である。

デビュー後も、社交的でテレビ出演やエッセイ執筆、ゴルフなどもこなす安孫子とは対照的に、コツコツとマンガ執筆に専心していた。ゴルフは個人的にたしなんでいたが、自他共に認めるかなりの「下手の横好き」である。

同じ記事にA先生が社交的でゴルフなどもこなす反面、F先生は漫画執筆に集中していたとあった。

しかし、個人的にはゴルフなどもしていたらしい事が分かる。そして、その腕前は「下手の横好き」との事。下手の横好きとは、下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。を指す。

これはつまり、F先生はゴルフは好きなのに残念ながら下手なので、個人的にプレーしていたという事だと思われる。

僕も一時期ゴルフコンペに呼ばれていたことがある。接待的なコトではなく、単に集まって遊ぶためのコンペで政治的なコトはほとんど無い物だったが、いざ1番ホールに立つと恐ろしい程緊張してしまった事を覚えている。

楽しいハズの集まりなのに、だんだんと嫌な気持ちになっていく自分を必死で隠していた。一緒に回ってくれていた方々は、最初こそ励ましてくれていたが、立ち直れそうにないとわかると最後には声もかけてくれなかった。おそらくいたたまれなかったのだろう。申し訳ない事をした。

そして前半の9ホールで86、後半の9ホールで80叩いた。そして、ブービー賞をいただいた。これでもビリではなかった。

このコンペの前に、その場で打つだけの練習、いわゆる「打ちっぱなし」には何度も通った。僕にはコーチもいた、ハンディキャップ5のシングルプレイヤー(どういう意味かは今もわからないけれど)という素晴らしいコーチだった。

どう素晴しいかというと、教わった通りにクラブを振れた時、思った通りのところへ飛んで行くのが実感できたからである。だから、僕は楽しくてしょうがなかった。

でも、コースに出るのとは違う事を知るべきであった。

周りの人を気にしすぎてしまうのだ。申し訳ない。という気持ちほどプレーに悪影響な物は無い。

と言う事で、ゴルフ自体は好きだけど、周りの人の為に一緒にはプレーしないようにした。コンペにも景品だけ協賛して、参加は遠慮させていただいた。

あぁもっとうまくできたら、もっと楽しいのに。皆ともっと楽しめるのに。と苦々しく思った。

という経験があった為、僕はこのコマを見た時程うれしい事は無かった。

僕にはF先生との共通点があったのだ。

もちろん、これはどちらかと言えば不名誉な共通点である。F先生にとってもそうかも知れない。

だが、今僕の心は誇らしさでいっぱいである。F先生も僕のように、ゴルフが好きなのに、周りに悪いから一緒にはプレーしなかったのではないだろうか。

もちろん、これは間違っているかもしれない。でもいい。誰かに怒られてもいい。しらん。

なぜなら憧れの存在との共通点には、胸を高鳴らせる何かがある。これは僕の物だ。僕だけの物だ。

そして、声高くこう言おうと思う。

「あぁゴルフが下手で良かった!」

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