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ようやく立てたスタートライン

※初めに、ありのままの自分を表現するために、一人称を「俺」と表記させて頂いています。

「俺は、ファイナリストとして立っていいのか」
自分がLittle Youのファイナリスト(出場者)に選出されて、一番最初にぶつかった壁だった。
元々、学生の挑戦を実現させるための空間を構築するといったミッションを掲げ、自分の運営する学生団体での活動と平行して深めていこうと考えていた。しかし、本当にこれがやりたいことなのかと自問したときに、素直に頷けなかった。そもそもなぜこのような問いを持ったのかというと、自分はこれまで、「人のために」を何よりも優先して生き続けてきたことに気付き、自分を置いてきぼりにしてしまっている、どこか孤独を感じたからだ。

振り返れば、幼少期からそうだったのかもしれない。幼少期、親が大好きで、特に母親にべったりだった。しかし、共働き家庭であったことから親と居れる時間は少なく、育て親も祖父母であった。今でこそ特に祖母には感謝しているが、当時は寂しさが強かった。
そんな中、小学一年生の時に妹が生まれた。産休で母親は家にいる期間が続き、自分にとっては最も理想的な状態であったのかもしれない。しかし、もうその頃には友達という存在が沢山いて、友達への思いが強まり、昔から感じていた親への強い思いは弱まっていった。
また、自分は体が弱く、スポーツなどを出来ることが十分に出来なかったりもした。なるべく怪我のないように、そして、将来も困らないようにと中学受験を勧められ、中学、高校それぞれそれなりのところへ進学した。親は自分を想っての選択の提案だったが、自分は意思を持つことなく、親を悲しませないため、誰かから認めてもらうために生きてきた。

そうして18歳になり、自分は進路選択に悩んでいた。これまでは何となくやってこれていたのが、どこか大学受験だけは違う気がしていた。この選択で自分の人生が決まってしまうような、そんな感覚をもっていた。
そんな時、縁あってキャリア教育を専門に活動するNPOに出会い、自分のキャリアを自分だけでなく、人にも相談を乗ってもらいながら一年を過ごした。結果、何も見出すことが出来なかった。結局何がしたいのか分からなく、自分の考えにいつまでたっても納得がいかない状態だった。
当時は本当に地獄だったが、何を思い切れたのか、大学に行くことを一年辞めて自分のために費やすという選択を自分の意思で決めることが出来たのだ。今思えば、大きな大きな原点だったのかもしれない。
また、一年間自分のキャリアと悩む中で、圧倒的な「経験不足」が故にキャリアが定まらないことに気付いていた。
だから、もっと社会を知ろう、もっと色んなことを経験しよう、そんな思いつきで学生団体を立ち上げてみたのだ。エンタメと社会課題を掛け合わせていかに面白く、社会の現状を知り、知見を広げられるかをテーマに活動していた。
そして、いつか自分の解決したいと思える課題に出会えるだろう、そんなないものねだりを信じてひたすら動き続けた。そうしてまた一年が経ち、気付けば40人の仲間ができ、周りから団体自体を評価されるようになっていた。

しかし、依然として俺は一人、悩んでいた。色々動き続けたのに、未だやりたいことが何か分からなかったのだ。しかし、友達を大切にしてきた延長なのか、仲間に対する思いが誰よりも強く、困っていることがあれば何時であろうと話は聞くし、仲間たちがやりたいと思うことには、ちゃんと実現できるよう環境づくりに力を注いでいた。これこそ、Little Youに最初提出していた内容のキッカケだった。

話が大きく拡がりすぎてしまったが、結局自分は「人のために」頑張り続けていて、Little Youに参加する中で、改めて自分と向き合った時にもう一度「自分の本当にやりたいこと」を考えたいと思い、すごく抽象的な「自分の本当のやりたいを見つけて、叶える」をテーマに掲げた。最初に書いた「俺がファイナリストでいいのか」これは、他のファイナリストが具体的に落とし込まれているのに対して、0に戻った自分でいいのだろうか、そんな思いから出た悩みだった。そのため、焦りながら、でも生き急がないように自分と向き合っている。

さて、本当に書くべき本題はこれまでの回想ではなく、今の挑戦やそれに対する気付きや成果だろう。笑
自分はまず、もう一度自分と向き合うこと自体が挑戦だった。いつも忙しさを理由に、見えない自分と向き合うのが嫌で逃げてしまっていた。だからこそ、考えただけかよとは思わず挑戦として読んでもらえると嬉しい。

自分と向き合う中で、俺はいつの日か、自分のやりたいことや在りたい姿、ビジョンを求めていたのに、頑張るベクトルをズラしていってしまったのかもしれない、そう思った。野球選手になりたい人が深ぼってみると、人に笑顔を届けたいからだっていう人のためのビジョンを描き、野球が手段であったことに気付くなんて話を聞いたことがある。

自分もずっとそう思い続けてきて「誰を幸せにしたいのか」を追い求め続けた。でも、そこに答えはなかった(あくまで自分は)。では、自分と野球選手の違いは何かを考えたときに、キーワードを持つか否かなのではないかと考えた。

「誰か」を追い求めるには、追い求めることが出来る手段が必要で、自分の場合ならそれは何にあたるのだろうかと考えた。考える中で、なぜか自然と受験期の自分を振り返っていた。自分が分からなくて、焦り続ける自分を改めて俯瞰して見る中で、あることを思い出した。

それは高3の時、進路調査の横にあるなりたい職業欄に、なんの躊躇もなく「社長」とだけ書いて提出したことだ。なぜそんなことをしたのかは覚えてない。カッコつけたかった、ほかの人と違うことをしたかった、そんな理由だったのかもしれない。でも、何よりも素直な思いなのではないかとも感じたのだ。
現に今でもいつか自分でカタチを起こしたいと思っているし、ずっとビジョンややりたいことが見えてなかったから自分には起業する資格なんてないと思い込んでいた。
周りに相談する中で、ほとんどの人が口をそろえて「もうたぐっちゃんは自分でカタチ作るべきだよ、絶対やったほうがいい」と言った。
それから、思い切って「ビジネスを起こしてみる」ことを大きなチャレンジに設定することを決めたのだ。多くの声はもらったが、周りに後押しされたから決めたわけではない。自分の中にある不安や心配が消えたわけではない。ただ、自分の素直な声を実現しようとすることは一つの「自分らしく生きる」ことで、どこか自分のために行動する自分になれるのではないかと考えたのだ。

また、大学を一度行くのを辞めた選択をとったあの日から、きっと親が想像していた自分とは違う生き方をしていくのだろうと自他ともに思ったはずだ。だからこそ、親に頼らず、自立して生きていけるように自分に挑むことにも大きな意味があると思っている。少し吹っ切れてはきたが、実際、自分にとっての幸せとか、人生通して成し遂げたい志が今あるわけではない。でも自分らしく生きる中で、人に尽くす。その繰り返しの中で大切にしたいことや人が見えてくるのではないかと思うのだ。これまで、沢山経験しようと生き急いできたが、どれも困っている当事者ではなく、大きく社会課題というものを追っていたことにも気付かされた。だからこれからは、ビジネスを通してもっと人を見て、カタチにしていこうと考えている。

今こうして文字に起こしてみると、仲間を思う気持ちが誰よりも強く、そこに対して惜しみなく時間を注げたのは、もちろん大切な存在だからもあるが、「仲間」という具体的な人が見えていたからなのかもしれない。人のためにしか頑張れない自分をマイナスではなく、プラスにとらえてビジネスを起こす挑戦に挑もうと思う。中身も少しずつ見えてきてはいるが、そこまで話始めるとキリがないのでそれはまた今度語ろうと思う。

ただ一つ、今自信を持って言えることは、自分はLittle Youのファイナリストになれたってことだ。


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