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『アンダンテ・カンタービレ』

 伯母の訃報を合図にしたように、良くないニュースや小さな事件が続く。
 都心の寓居に戻ってから、初めは堕落的な安逸を満喫していたが、やがて変になってきた。
 何のことはない、積るキッチンシンクや俺の体温が復活した部屋の感じ。
 自堕落とはこのことだ。
 聖書預言、世界情勢、陰謀論、666、いくらでもまみれて、祈ったり、疑ったりしている。
 クリスチャンの友人は、部屋に住む悪霊のせいだといい、バプテスマ(洗礼)を勧める。
 俺が今はそんな気が無いと知っている彼女は、賛美歌を勧めた。
「ラジオでいいチャンネルがあるはずよ」

 Appleのラジオは今や世知辛く、うかうかしてると俺には不要な有料のプランに導かれる。
「auですか?」なんて、どういうビジネスの計画なのか。
 なんとか出会ったチャンネルでは、ブラームスが鳴っていた。
 音楽史には疎いが、聴くなり思った。
「ああ、これがロマン派というのか」
 なぜクリスチャンミュージックにそれが入ってるのかわからない。
 あとでカンニングすると、バッハ、ベートーベンと並んで、三つのBとされる、聖的な音楽家なのだとか?
 しかし直感は間違ってなく、ベートーベンはもちろんそうであるところの《ロマン派》。
 俺の解釈では、人間主義、なかんずくワタクシ主義。
 押し付けがましいテーマ(音楽でいうところの基本のリフ)と味の濃すぎる楽譜記号。
 辟易してチャンネルを変えると、あるものが来た。
 ヴォルフガングアマデウスモーツァルトの、セレナーデ13番だったか、映画『アマデウス』の冒頭の次のシーケンスで鳴る、美しい曲だ。
「ああ」と思った。
 フリーメーソンリー、つまり神に反抗する秘密結社(とも思わないけど)のメンバーとされるモーツァルトは、このように、自己主張ではなく、賜物の音楽を成したのだと。
 癒された。
 しかるのち、鳴ったのがボブマーリー。
「怖がるな。神が屋根とマンナ(神様の食べ物)をくれる」というような歌詞。
「なるほどこれもクリスチャンミュージックか」と、クリスチャンでない俺も癒された。
 次が、チャイコフスキーだった。
 曲名はまるで知らなかったが、ある仕事、というより制作に使い、何百回となく聴いた曲だ。
『アンダンテ・カンタービレ』というらしい。
「歩くテンポで歌え」ということか。
 カチッとハマったのは、マルグリットデュラスの『モデラート・カンタービレ』は、これ前提の題名だったのかと。
 ヨーロッパの下地。
 モデラートはたしかアンダンテよりすこし遅かったのでは?

 聖歌が「歩むように歌え」というのに対して「もう少し遅く歌え」というわけかと、勝手解釈して、いい気持ちになった。
 チャンネルは次にラヴェルの『亡き王女のためのパバーヌ」を出してきた。
 徹底的に美しい曲。
「これもクリスチャンミュージックだったのかい」と思いながら、心はとても落ち着いた。
 次はロックで、やかましいのは歓迎だが、入って行かれなかった。
 曲名を調べた。
 あえては言わないけど、題名や演者の想いはともかく、神の賜物とは違ってると感じた。
 すこし耐え難く、これも悪霊の仕業かとチャンネルを変えた。

 いまラヴェルがまた鳴ってるが、なんて曲なのか、組曲ぽいが、やかましい。
 音楽には魔力がある。
 この歳で改めて知った。
 いいものを聴くと胸がすっとする、つまり胃の動きまで良くなるようなのに、違うのを聴くと、体調が変になるようだ。
 おそるべし。
 願わくば神様の賜物を聴きたい。

てんでまとまりのない文章を、連想しながら勝手に書いているだけです。 たまに霊感が降りて、意味ありげなことも書けたらいいなと思っています