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8時5分おじさんの思い出

電車のドアがぴしゃりと閉まる。
つり革につかまり、ふと横には黒のスーツが目に入る。

「あ、今日は8時5分おじさんの隣だ」

口元がゆるむのを押さえ、うきうきした気持ちで、準急電車に15分間揺られていた。

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23歳。いわゆるOLだった私は毎日1時間かけて都会へ通勤していた。最寄り駅は小さい駅だが、準急が止まるおかげで15分で第一都会へ出られる。途中の停車駅もたったの一駅だ。
ところがこの電車、とっても揺れるのが難点だ。毎日乗っているので「揺れるポイント」は心得ているのだが、油断して立っていると転けそうなくらい、ぐわあんと大きく揺れるのが欠点だ。仕方が無いので、毎度立っていた私はつり革を必死で握りしめていた。

周りを見渡せば、大げさではなく、同じ車両の95%の人がスマホをいじっていた。猛者は立っていてもつり革を掴まず両手で必死にスマホをいじっているのだが、(女性に多い)厄介なことに奴らが隣の場合、大揺れの時にもたれかかってきやがる。その度にめっちゃむかついていた。

個人的な主義で電車内ではできるだけスマホを触らないことにしていた。会社に行けばどうせ1日中パソコンとにらめっこっで目が死ぬし、車内じゃまとめサイトとか恥ずかしくて絶対見れないし・・・というごく個人的な理由だった。その代わり、ずっと窓の外の景色をみていた。ただひたすらに、ぼーっと。毎日、同じ角度の同じ景色を。まぁ、1日の中で15分くらいぼーっとする時間があってもいいじゃないかしらんと思っていた。

そんなある日ふと横目に、とあるおじさんを見つけた。私と同じく、おじさんは立っていて両手でつり革をつかみ(痴漢えん罪予防?)窓の外をぼーっと見ているのだ。95%の外側にいた私はなんだかそれだけで嬉しかったことを思い出す。ああ、おんなじ景色を見ている人もいるんだな、と。

私の通勤にはもう一つマイルールがあった。荷物を網棚に乗せるのだ。
別に人の邪魔にならないように、ではなく単純に手ぶらになりたかったのだ。ウォークマンで音楽を聴きながらぼーっとするのが日課だったので、右手はつり革、左手はいつでもウォークマンを操作できるようにしていたかっったのだ。そして、「おんなじ景色を見ているおじさん」もまた、網棚にかばんを乗せる派だった。

ある日、電車を降りる時にかばんのキーホルダーが網棚に引っかかり、背伸びをして何とか取ろうとしていたら、左隣の男性がひょいと取ってくれた。「あのおじさんやん・・・!」
マスクをしていたので気づかなかったが、それは私と同じ「ぼーっとする」おじさんだった。「ありがとうございます・・・」とお礼を言って、何だか照れくさかったのでそそくさと電車を降りた。

その後も、そのおじさんとはちょくちょく車内で出会った。おじさんは私を覚えてくれていたのか、私が隣に並ぶと同時に、網棚に乗った自身のかばんを横にずらしてくれた。特に二人の間にあいさつや目配せなどは無かったが、「お互いがお互いを認知している感」が確かに在った。

驚くべきことに、おじさんとの共通点はもう一つあった。なんと、職場の最寄り駅が一緒だったのだ!!つまり、私とおじさんは出発地点も目的地も同じということだ。デスティニー。これが少女漫画なら、わたしたちは必ず付き合っているだろう。同じ駅・同じ電車で毎朝顔を合わす彼。そんな彼とは次第に心の距離が近づき、ある日彼は私に話しかけるのだ。
「よく会いますね。」と。

そんな妄想が現実にならなかったのは、ひとえにおじさんの持つ「家庭感」によるものだった。

おじさんはいつも小綺麗な身なりをしていた。着飾るとかではなく、すべてがシンプル。それでいてある程度上質なものを身につけていることが、若輩者のわたしにでも分かった。パリッとしたスーツに、踵がすり減っていない磨かれた革靴。銀色のごく普通のめがねや薄く上品なかばん全てがおじさんの「清潔感」を形作っていたし、いさぎよい短髪や太ってはいないが恰幅のよい感じはとても私の好みだった。(元々おじさん好き)40代中頃かな?最寄り駅のホームで電車を待ちたたずむ彼もまた、いいアジを出していた。だって、スマホをいじってないおじさん、他にいなかったんだもん。

いつの間にか私は彼のことを「8時5分のおじさん」と心の中で呼んでいた。おじさんと会えるのは、寝坊して8時5分発の電車に乗る時だけだった。おじさんの名前なんて知りようがないし、むしろ「知らない関係」がベストだと思っていた。そりゃぁ少しくらい、車内で隣になった時はあいさつや世間話などしてみたい気持ちもあったが、アウトゴーイングさに欠ける私にはできなかった。おじさんも、私に話しかけることは一度たりともなかった。そして、いつもお互いに窓から同じ、変わらない景色を見ていた。

仕事を辞めることになった私は、自然とおじさんともお別れすることになった。しばらくはこの通勤ラッシュの電車に乗ることはないだろう。厳密に言うとおじさんとは「知り合い」ですらないが、なんとなく寂しかった。

月日は流れ退職してから1年ほど経った頃、とある用事の帰りに最寄り駅に着くと、前を歩く人の中に知っている背中を見つけた。

「8時5分のおじさんや・・・!!」

その変わらぬ品のある出で立ちに、すぐにおじさんだと気がついた。1年ぶりの再会に舞い上がった。おじさん、元気にしてるんや、よかった、とほっとした。もちろんおじさんは私に気づかぬまま、私たちは別々の道を帰った。

おじさんは今も、あの駅から、あの電車で、両手でつり革につかまり、あの窓の景色を見ているのだろうか。いま、あの景色が無性に恋しい。


余談:鳥取県出身の友達が「スマホをかまう」と言っていたのを思い出した。意味は「スマホをいじる」です。かまうってかわいくないですか?







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