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『マッドハッターのティーパーティー』ズー・ネイション:『不思議の国のアリス』が原作の精神病棟を舞台にしたヒップホップダンス

英国ロイヤル・バレエ団から委託され、ロンドンのラウンドハウス(Roundhouse)という劇場で上演された、ズー・ネイション(ZooNation)の『マッドハッターのティーパーティー』(The Mad Hatter's Tea Party、「頭のおかしな帽子屋のお茶会」の意)。

ルイス・キャロルの児童文学『不思議の国のアリス』を翻案した、ヒップホップダンスの作品。せりふもあって、演劇の要素も多分にある。ロイヤル・バレエ団はバレエ『不思議の国のアリス』を制作しているため、両者の「マッドハッター」によるコラボ動画もある。(この記事の最後に動画あり)

期間限定で無料配信された動画で視聴した。約2時間。

ヒップホップは技として感嘆するが飽きてくるかもと思いかけた前半だったが、後半を見るうちにヒップホップで多様な表現が可能ということに気付かされた。しんみりしつつ元気になれる作品。

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不思議の国の住人たちに治療を試みる心理療法士

若き心理療法士のアーネストは、「正常化」(normalization)の博士号を携え、「非常に正常な行動のための施設」(Institute for Extremely Normal Behaviour)に就職する。

前任者は事情があって辞めてしまったと聞かされたアーネストが任されたのは、「正常でない」患者たち。

アリス、マッドハッター、三月ウサギ、白ウサギ、チェシャ猫、ハートの女王、トゥイードルダムとトゥイードルディーは、「ワンダーランド(不思議の国)」だの「ティーパーティー(お茶会)」だのとわけのわからないことを言っている。

アーネストは「治療/セラピー」を開始するが、患者たちは一筋縄ではいかない。

戸惑うアーネストだったが、徐々に「正常でない」ことは本当に「治す」べき悪いことなのだろうか?と思い始める。自身の「正常さ」にも疑問を持ち始め、患者たちと一緒になって、施設長やほかの医療スタッフに対抗する。

原作の登場人物の特徴を精神疾患・障害に見立てる

映像の冒頭でズー・ネイションの芸術監督であるケイト・プリンス(Kate Prince)は、『不思議の国のアリス』(や『鏡の国のアリス』)の登場人物たちには精神的な問題と通じる要素が見いだせると述べている。

セラピーが始まると、踊りながら彼らが抱える問題が提示されていく。

■トゥイードルダムとトゥイードルディー

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ジョン・テニエル - John Tenniel's illustration for chapter 4 of Lewis Carroll's Through the Looking-Glass and What Alice Found There, originally published 1871. Scanned from a print edition (Modern Library).

そっくりな二人組、トゥイードルダムとトゥイードルディーは「マザーグース」のキャラクターで、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に登場する。

本作では長身の2人が演じ、おなか周りには詰め物をして太っちょな雰囲気を出している。1つの物を奪い合う2人に、アーネストは同じ物を2つ、それぞれに与える。

すると、問題が解決するどころか、2人は不安になる。結局、1つの物を2人で取り合っている方が安定していられるようだ。

語り手(詳細は後述)によると、この2人は実は1人(かもしれない)。双子の兄弟として生まれたが、幼くして1人は亡くなり、生き残ったもう1人は、今も2人でいるのだと想像することで元気でいられるのだ。

これはおそらく解離性同一性障害を表していると考えられる。

■白ウサギ

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Illustration d'origine (1865), par John Tenniel (28 février 1820 – 25 février 1914), du roman de Lewis Carroll, Alice au pays des merveilles.

白ウサギは『不思議の国のアリス』で、アリスを不思議の国へといざなった人物(動物)。懐中時計を持ち、いつも時間を気にしている。

本作で白ウサギを演じたダンサーは、かなりの腕前。体幹がとてもしっかりしていて、どんな大技を披露しても、軸がまったくぶれない。

アーネストは時間を気にして不安になる白ウサギを落ち着かせようと、時計を取り上げる。しかし、白ウサギは不安を加速化させてしまう。時計を握り締めていた方が結局は安心なのだ。

これは強迫性障害を表しているのだろうかと思った。トゥイードルダムとトゥイードルディーと同じように、はたから見ると「異常」に見えるかもしれないが、おそらく本人たちはその行為をすることで、大きな不安を打ち消そうとしている。

■アリス

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Illustration d'origine (1865), par John Tenniel (28 février 1820 – 25 février 1914), du roman de Lewis Carroll, Les Aventures d'Alice au pays des merveilles.

不思議の国で、飲み食いするたびに体が大きくなったり小さくなったりするアリス。

本作では、アリスは本来の自分がわからなくなるというアイデンティティー・クライシスに陥っている。だからおそらくあまり自信が持てない。

■チェシャ猫

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Illustrationen: John Tenniel Divided from the original into two separate images for use on s:Alice's Adventures in Wonderland/Chapter 6

チェシャ猫は消えたり現れたりする猫で、確か自分でもそれをコントロールできない。

本作でも、セラピー中に乱入してくる。予測できない行動を取り、自分でも次に何をするのかわからない。そのため、周囲から怖がられてしまう。

■三月ウサギ

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Mad tea party, John Tenniel, 1865
Von John Tenniel stammende Illustration aus Lewis Carrolls Alice im Wunderland.

ジョン・テニエルによる上の挿絵で、中央にいるのが三月ウサギ。(その右で眠りこけているドーマウスも後で登場する)

本作では、人に愛されず、自分を愛せないという問題を抱えている。

■ハートの女王

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The Queen of Hearts glaring at Alice, screaming "Off with her head! Off—". "Nonsense!" said Alice, very loudly and decidedly, and the Queen was silent.

すぐに激昂して「首を切れ!」と命じる(トランプの)ハートの女王。

本作でも、白ウサギやトゥイードルダムとトゥイードルディーをいじめていて、高飛車な態度。

しかし実は子どものときにネグレクトなどの虐待を受け、そのトラウマで攻撃的になってしまうらしい。

最後の方でマッドハッターが女王にキスし彼女もそれに応じるシーンがすてきだ。

女王を演じたダンサーは、演じていた当時、乳がんにかかっていて、公演後に亡くなったという。映像の冒頭でケイト・プリンスがそう語っていて、映像の最後では彼女にこの作品をささげるという追悼の画面が入っていた。

深刻な病気にかかっているとはみじんも感じさせない、パワフルなダンスを披露している。

■マッドハッター

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Illustration d'origine (1865), par John Tenniel (28 février 1820 – 25 février 1914), du roman de Lewis Carroll, Alice au pays des merveilles.

マッドハッターは、『不思議の国のアリス』でアリスが遭遇する「狂ったお茶会」を仕切っている帽子屋。

本作では、子どものときに賢かったという歌詞の歌をバックに踊っていた。血を吐き、先が長くない病気にかかっているという設定のようだ。

■ドーマウス

「狂ったお茶会」でいつも眠りこけているドーマウスは、本作ではティーポットの中に入っている人形の姿で登場。

チェシャ猫を演じているダンサーが、人形を動かす役目も担っていた。ティーポットをほかの登場人物たちが持ち、人形を操るダンサーの姿が見えないようにしていた。

ドーマウスは実はアリスが好き、という歌と踊りのシーンがあり、観客に大受け。せっかくアリスを口説き落とせそうだったドーマウスは、アリスとキスする直前にやはり眠り込んでしまう。

■アーネスト

アーネストはもちろんルイス・キャロルの童話には登場しない、本作オリジナルの人物だ。

「正常」の権化のように振る舞おうとする彼にも実は「普通」とは違うところがある。吃音(どもり)があるのだ。患者たちを静かにさせようとするせりふで何度も吃音が出る。

この設定により、誰が正常で誰が正常でないなんて、いったい誰が決めるのか?というテーマが浮かび上がるようになっている。

アーネスト役は、前半は踊りのシーンは少ないが、患者たちに翻弄されながら体が動いてしまったりといった、演技を伴うダンスがうまい。女王とのデュエットも、いやいや振り回されている様子がよく出ている。

後半では、白衣やお堅い衣服を脱ぎ捨て、派手な軽装になってバリバリ踊るシーンがあり、巧みなダンスを見せる。

ダンスを盛り上げる音楽と物語を知らせる語り手

舞台の上にバルコニーのような場所が設けてあり、そこで演奏や歌唱が行われている。音楽も歌も、登場人物たちの感情を表現しながら、ダンスシーンを盛り上げる。歌もとてもよい。

さまざまな事情を語る語り手もいて、原作からの言葉も使っているのか、韻を踏むせりふが多く、聞いていて耳に心地よい。

語り手は実はアーネストの前任者だったアルバート・ロングボトムであることが最後に明かされる。ワンダーランドのことを話すマッドハッターたちのことを信じなかったことを謝り、アーネストを含むみんなの記念撮影に加えてもらうのだ。「チーズ!」ではなく「ティータイム!」と言いながら笑顔で。

バラードに乗せた抒情的なヒップホップダンス

アーネストがバラード調の曲でロボットダンス的な動きをするシーンがよかった。思うようにいかない体や心を表しているようで、彼が吃音に苦しんできたことを表しているのかもしれない。じーんとくる。

その後、これまでの自分を吹っ切るかのようにみんなともっと激しく踊って、気を失ってしまう。マッドハッターたちはドアの鍵を開け、逃げ出すのかと思ったら、アーネストを介抱するつもりなのか、部屋から運び出した。

「ワンダーランド」と大きく書かれた文字が掲げられた場所に着き、長テーブルでお茶会が始まる。このテーブルの上も踊りの舞台となる。

アーネストを椅子に座らせ、踊りまくるマッドハッターたち。その後、クラシックっぽい曲でゆっくりカクカクと動きながらお茶を飲んだりして団らんするシーンを無言で演じるところもよかった。箸休め的な効果を出しているのかもしれない。

相変わらず意識のないアーネストをアリスが心配して手を差し伸べる。トゥイードルダムとトゥイードルディーがアーネストを支えて、アーネストが意識を取り戻さないままアリスとデュエットを踊るシーンが美しい。ここもバラード調の歌で、「You'll be OK」という歌詞に、アリスたちの優しさに、泣ける。

数人の観客が舞台上へ

アーネストがまだ起きないので、今度はマッドハッターが働き掛ける。踊るうちにアーネストの首がノリノリで動き、ついに覚醒して一緒に踊り出す。

アーネストは派手な下着姿になり、アリスと女王も服の一部を取り去って身軽な格好になって踊る。

アリスたちが観客席に下りて、数人の観客たちの手を引いて舞台に上げる。椅子に座らせ、その観客たちは舞台上でダンスを鑑賞。

施設長たちが乗り込んでくるが、マッドハッターが「ワンダーランドは無視されたりするのではなく祝福されるものだ」と宣言し、みんなが「ノーマル(正常)なんてものはない!」と叫んで、彼らを退散させる。

舞台上の観客たちはダンサーたちに立つよう促され、ヒップホップの基本的な動きを一緒に少し練習。その後、「さあ、あなたの番!」と声が掛かり、観客たちがスポットライトを浴びて踊ると、客席の人たちは拍手喝采で大喜び。

前述の記念撮影後、カーテンコールとなり、舞台上の観客たちもダンサーと一緒にお辞儀をしていた。とても楽しそう。

マッドハッターが「メキシカン・ウェーブ!」と叫び、観客たちは大盛り上がりでウェーブ。彼が音楽のメンバーを紹介して、ダンサーたちも一人ずつ紹介していき、紹介された人はひと踊りして、終演となった。

温かい気持ちになるダンス作品

ヒップホップの動きは似たり寄ったりなのではないか、結局は技の競い合いでスポーツ的な要素が強いのでは、などと思っていたところもあったが、本作でダンサーたちの踊りを見るうちに、それぞれの個性が見えてきた。

ストーリーも、「個性を尊重して祝福して、みんなで助け合って人生を精いっぱい楽しもう」というメッセージを伝えている。

マッドハッターは重い病気を患っているらしいのに、ほかの人たちに親切にして、女王に愛を伝える。ほかの人物たちも、女王も含め優しさに満ちている。

順繰りに技を披露するのも、競うどころか褒め合うためという気がしてくる。心が温かくなるヒップホップダンス作品だった。

2020年8月14日まで無料配信中。(下にリンクあり)

▼英国ロイヤル・バレエ団、クリストファー・ウィールドン振付『不思議の国のアリス』のレビュー

▼ズー・ネイションと英国ロイヤル・バレエ団の関連動画

作品情報

The Mad Hatter's Tea Party in full from ZooNation #OurHouseToYourHouse

This video will be available on-demand until 14 August 2020

Cast & creative team:

Director, Writer, Lyrics: Kate Prince
Music and Lyrics: DJ Walde
Music and Lyrics: Josh Cohen
Set and Costume Designer: Ben Stones
Lighting Designer: Andy Murrell
Sound Designer: Clement Rawling
Associate Director: Carrie-Anne Ingrouille
Assistant Choreographer: Rowen Hawkins

Ernest: Tommy Franzen
Alice: Kayla Lomas-Kirton
The Mad Hatter: Issac Baptiste (Turbo)
The March Hare: Bradley Charles
The White Rabbit: Jaih Betote
The Cheshire Cat: Andry Oporia
The Queen of Hearts: Teneisha Bonner
Tweedle-Dee: Manny Tsakanika
Tweedle-Dum: Rowen Hawkins
Bertie: Josh Cohen
Swings: Carrie-Anne Ingrouille, Michael Ureta, Jade Hackett, Ryan Hughes
Dr Fontwell: Josh Cohen
Dr Helvetica: DJ Walde
Dr Gill Sans: Elliotte Williams N'Dure
Dr Monaco: Sheree Dubois
Dr Bodoni: Andy Bryant

Thanks to Corey Culverwell, Lizzie Gough, Ross Sands, Shaun Smith and Duwane Taylor

Filming by EdwardsFilms Ltd

The Story:

Young psychotherapist Ernest is an expert in being normal – he even has a PhD in normalization. He’s just begun his first job, at the prestigious (if rather gloomy) Institute for Extremely Normal Behaviour. It’s immediately clear his patients need his help: the March Hare, the Mad Hatter, Tweedledum and Tweedledee and the furious Queen of Hearts all claim to be from somewhere called Wonderland. But as Ernest gets to know them all, he begins to ask himself two big questions: what is ‘normal’ and what’s so great about it anyway?

Background:

ZooNation: the Kate Prince Company creates irresistible narrative hip hop dance theatre. Their exuberant, sell-out show The Mad Hatter’s Tea Party taps into the heady imagination of Lewis Carroll’s much-loved world, exploring its unique characters and wondering what has made them the way they are. The show was commissioned by The Royal Ballet to complement the now-classic large-scale Alice’s Adventures in Wonderland, choreographed by Christopher Wheeldon, uniting ballet and hip-hop under one tradition of excellent storytelling through dance. ZooNation’s take on Carroll’s classic is a riot of invention and infectious energy, and the amazing physicality of such dancers as Tommy Franzén, Turbo and Teneisha Bonner brings a new dimension to the characters we thought we already knew so well.

ZooNation has won nationwide acclaim with its hugely popular shows, including Into the Hoods and Some Like It Hip Hop. Playfully drawing on everything from Shakespeare to Sondheim, Artistic Director Kate Prince and her company present brilliantly exuberant dance adventures overflowing with energy and wit. The Mad Hatter’s Tea Party brings together regular ZooNation collaborators Ben Stones, with his innovative and colourful set designs, and the musical team of Josh Cohen and DJ Walde. As The Telegraph commented: ‘You’d be mad to miss this party!’

The #OurHouseToYourHouse online Friday Premiere is dedicated to the memory of Teneisha Bonner, creator of the role of the Queen of Hearts, who died in 2019 from breast cancer.


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