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演劇『アマデウス』ナショナル・シアター・ライブ:芳醇な英語の洪水、甘美なモーツァルトの音楽、エキセントリックな演技

イギリスのナショナル・シアターが世界中の映画館でライブ中継し、日本では録画がシネマ上映された映像が、期間限定で無料配信された。

『アマデウス』といえば1984年の映画版が有名ではないかと思う。アカデミー作品賞を含む計8部門でアカデミー賞を受賞した、評価の高い作品だ。

その映画は子どものときに家で親が見ていたので一緒に見ようとしたことがあるが、豪華絢爛な美術には目を奪われたものの、モーツァルト役がひっきりなしにヒステリックに話し続けるのを聞いているのが苦痛で、最後まで見ることができなかった。モーツァルトがひたすら不快で、そういう役だから演技が上手なのだと感心はしたが、残念な思い出として残っている・・・。

映画の原作が、1979年に舞台で初演された戯曲ということさえ知らなかったのだが、配信を機に再挑戦して本当によかった!3時間もの大作だが終始引き付けられ、演技にも演出にも音楽にも魅了された。

ちなみに私は、本作のタイトルがヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの名前から取られているということも言われて初めて気付くほどクラシック音楽に疎いが、それでも劇は十分楽しめた。(もちろん、モーツァルトや当時の音楽に造詣が深い方がより一層楽しめるだろうが)

また、配信されたYouTube動画では英語字幕が出せるが、少しだけ出てくるイタリア語とフランス語とドイツ語のせりふは字幕ではそのまま(英訳されずに)イタリア語とフランス語で表示されていた。

しかし、フランス語の内容はだいたいわかったが、イタリア語とドイツ語は英語やフランス語と似ている語以外は理解できなかったものの、文脈から推測できるし、わからなくても大して支障はないと思う。

▼『アマデウス』公式予告編

冒頭、「サリエリ」というささやき声が、暗闇の中から聞こえてくる。男性1人と女性1人が「サリエリ」についてうわさする。

車いすに乗ったサリエリ本人が現れる。年老いた彼がモーツァルトに対して行った行動を回想するという構造になっている。

観客席にパッと照明がつくところでサリエリが観客に語り掛けたり、クリスピー・クリーム・ドーナツをむしゃむしゃと食べたりして、一気に観客を舞台の世界へと引き込む。

回想シーンではサリエリが若き自分を演じるが、所々で冒頭の「現在」に戻り、車いすに座って語る。

サリエリ役はほぼずっとしゃべりっ放し。英語の言葉の渦に巻き込まれていくような感覚がある。日常生活であんなにずっと話されたらうんざりするだろうが、本作では膨大な言葉を浴びるのが快感のようになってくるから不思議だ。

隙間がないくらいすべてを言葉で表現しながら、モーツァルトの誰もが聞いたことのある傑作の数々やサリエリの(おそらくあまり知られていない)楽曲が挿入される。

音楽もオペラなどで歌が入るのだが、せりふで言われる言葉と音楽の演奏と歌われる歌とでものすごい濃度の舞台世界が立ち上がってくる。

舞台上にいる演奏家たちも、俳優のように立ち歩いたりして作品に参加する。

サリエリとモーツァルトの演奏シーンは、音は吹き替えだったのだろうか?

サリエリとモーツァルトは同時代に実在したが、本作で描かれる2人の確執は史実ではなくフィクションだそうだ。

史実に完全に無関係ではないかもしれない興味深いテーマがいくつか浮かび上がる。

下品な言葉を連発するモーツァルトは王族や貴族にたしなめられるが、「オペラは現実を描くべきだ」と主張する。

サリエリは宮廷お抱えの作曲家・音楽家で、多くの弟子がいるが、モーツァルトがウィーンに現れたことで、自分の中の嫉妬などみにくさに気付かされて苦悩する。自身のイタリアの出自についても誇りにしながらも葛藤もあるようだ。

サリエリは熱心で敬虔なキリスト教徒だったが、努力してきた自分よりもモーツァルトに才能があることを知って、神を疑うようになる。神へ反逆し、モーツァルトを罠にはめて破滅させてやると、神に向かって宣言する。本当に神がいるなら、そんな自分に罰を与えてみよ、と。

しかし、サリエリがモーツァルトに親切にするふりをしながら陰で彼をおとしめ、仕事をできないようにして孤独にし、追い詰めてついに死に追いやっても、サリエリの名声は高まるばかりだった。

サリエリはモーツァルトを嫌い、恐れるが、実は彼の音楽の素晴らしさをいちばんよく理解しているのもサリエリだ。だからこそ憎しみが募る。

一方、ファザー・コンプレックスで、亡くなった父親を憎みつつ慕い、いまだにとらわれているモーツァルトは、どん底の中でサリエリを父親のようだとさえ思い、頼ろうとする。

甲高い声で話すモーツァルトは不愉快な役だが、だんだん哀れに思えてくる。最後は涙さえ誘われてしまった。

モーツァルトの妻コンスタンツェも重要な役どころで、本作では夫に愛想がつきながらもやはり好きで最後は看取るという演出だった。サリエリとの絡みなども演技力が問われる部分だと思うが、この俳優は見事に演じていた。

モーツァルトはフリーメイソンの会員となり、貧しくなってから会員仲間に金の無心をして援助してもらっていた。それを知ったサリエリが、モーツァルトにオペラでフリーメイソンの秘儀を表現すればいいとそそのかし、モーツァルトを『魔笛』で実現する。サリエリはわざとフリーメイソンの有力者をその初演に誘い、怒った有力者はモーツァルトへの援助を断ち切る。

というエピソードも興味深かった。モーツァルトは『魔笛』でフリーメイソンの秘密を描いたから暗殺されたのではという疑惑があったことを下敷きにしているらしい。

この『魔笛』は大衆向けに作ったという文脈で出てきて、『ドン・ジョヴァンニ』は父親を思って作ったという文脈、そして『レクイエム』は自身の死のために書いたというふうになっている。劇中歌として出てくることで、劇の効果を高めるのはもちろん、音楽のすごみも感じられる。

サリエリは思惑通りモーツァルトを消し去った。しかし、モーツァルトはいなくなっても、彼の音楽は生き残り、名声は高まるばかり。それに対してサリエリの曲などもう誰も演奏せず、すっかり忘れ去られている。

そのことに耐え切れないサリエリは、自分がモーツァルトを暗殺したのだと言い出す。街中はそのうわさでもちきりとなるが、結局、誰もそんなことは信じない。

モーツァルトの名声を利用して悪名という形ででも自分の名を世にとどろかせたかったサリエリは自殺を図るが、生き延びる。

音楽の魅惑と才能、そして「平凡」(mediocrity)が生み出した物語。

ラストが冒頭の場面につながり、サリエリが世間に信じてもらいたかった話は「I don't believe it.」(そんなのは信じない)と人々に一蹴される。

結局はすべてサリエリの妄想、夢物語だったのだろうか?しかし、現実や真実は誰が決めるものでもなく、唯一でもないかもしれない。一人一人がそれぞれ信じたいものがあるだけだ。

▼公演からの場面の抜粋

作品情報

原題:Amadeus
上演時間:約3時間
上演劇場:ナショナル・シアター オリヴィエ劇場
作:ピーター・シェーファー
演出: マイケル・ロングハースト
出演:ルシアン・ムサマティ(サリエリ役)、アダム・ギレン(モーツァルト役)、カーラ・クロム(コンスタンツェ役)、ヒュー・サックス(オルシーニ=ローゼンベルク伯爵役)、トム・エッデン(ヨゼフ2世役)
生演奏:サウスバンク・シンフォニア

Official Amadeus w/ Lucian Msamati and Adam Gillen | Free National Theatre at Home Full Performance

Music. Power. Jealousy. Welcome to Vienna. Wolfgang Amadeus Mozart, a rowdy young prodigy, arrives determined to make a splash. Awestruck by his genius, court composer Antonio Salieri has the power to promote his talent or destroy it. Seized by obsessive jealousy he begins a war with Mozart, with music and, ultimately, with God.

Peter Shaffer’s iconic play had its premiere at the National Theatre in 1979, winning multiple Olivier and Tony awards before being adapted into an Academy Award-winning film.

Directed by Michael Longhurst (Constellations, The World of Extreme Happiness), Lucian Msamati (Ma Rainey's Black Bottom, 'Master Harold’… and the boys) plays Salieri – with live orchestral accompaniment by Southbank Sinfonia.

Amadeus is streaming from 7pm UK time on Thursday 16 July until 7pm UK time on Thursday 23 July 2020.

Amadeus was filmed live on-stage by National Theatre Live in 2017.


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