クソ野郎は私だったのかもしれない。

私はライターでもないので、良い文はかけない。だから、話があっちいったりこっちいったりするかもしれないけど、今日は自分の気持ちを書きなぐる。今、とてもそうしたいのだ。

というのも今日気づいてしまった。 正確に言うと、認めたくなかった自分の恥ずかしい部分をなんだかあっさり認めてしまったからなのだ。

私は欲深く、嫉妬心もすごくて人を羨ましがり、なんで私じゃなくてあの子やねん!とか思うしすぐ比べるし、周りの目を気にするしすごいと思われたいし、最近はとくに純粋な気持ちで物事を見たり決めたりできなくて、損得をすぐ考えてしまう。

この前にも似たようなこと書いたけど、そんな綺麗な可愛いもんじゃない、今日は。

きっかけはとある映画。内容じゃなくて観に行くか行かないか。純粋な気持ちで観たい、本当に本当に。でもその反面、話題になっているしインスタとかあげてぇ〜とか周りの反応気にする私。その気持ちに気づいて、あーなるほどねなるほどね。と思った。

1年くらい続いているFWBみたいな関係(私は心底そんな関係になりたくない!)のトルコ人。何回もダメだダメだ、会っても自分にとって良くないとわかっているのに会いに行く。好きなのもあるけど、自分からかわいそうな女になって周りにだよねだよねと共感してもらったり、ネタにしようとしてるんじゃないか?とふと思う。

マッチングアプリだって、最近はメールしても突然途絶える。遊ぶ約束してても途絶える。それが続きすぎてほんまに落ち込んで泣いたのは事実。でも心のどこかでその話もネタになるし、むしろ自分からそのくだりを望んでいるんじゃないか?とも思う。そして、likeするんも好き!タイプ!じゃなくて、あーこの人付き合ってくれそうやなぁーというなんともまぁ最低やな。そら、連絡も途絶えるでしょう。

仕事だってそう。カフェはみんながみんなお互いの悪口言ってるし、ほんまにクソやねんけど、慣れるとはこわいもので、私もそれに加わってるときもあるし楽しんでる?みたいなときもある。

自分で書いててあれやけど、マジで自分はクソ野郎やなぁと思った次第です。

自分を助けられるのは自分だけ。

昨日は「ふんふん」くらいやってんけど、今日、自分がクソ野郎やったわって気づいて、「ほんまにそやわ、自分で自分を助けなければ!」と思いました。

ちなみにこの言葉は、「マダム・イン・ニューヨーク」という映画の言葉。

もひとつ。

人は自分の事が嫌になると、周りの事も嫌になって新しいものを求める。でも、自分を愛することを知れば、古い生活も新鮮に見えてくる。

今はめっちゃ自分のこと嫌い!ではないねんけど、もしかしたら気づかないところで思っていたのかもしれない。仕事もプライベートもうまくいっている。忙しいけど楽しい日々、恋愛をのぞいては。

マッチングアプリもして出会いを求めにいってるのに、なんでなんもしてへん、欲しいとも思ってへんあの子に彼氏ができんの?とか正直おもてました。すみません。こんなん思ってる自分は正直嫌やし、こんなん思ってるからできひんのやわ、そんでトルコ人との関係をずるずる引きずってるからあかんのやわ、次!新しいの次!って、なんか半分やけくそでアプリをしていたのかも。

こんな思いの自分で恋愛したって、相手に依存してしまうか孤独感が強まるだけよね。アプリでもそんな感じが伝わってたんかなぁだからメールも続かへんかったり、返信もこやんかったりしたんかなぁと今では思う。メールでもなんでも伝わるときは伝わるよな。

くさいこと言うけど、マダムも言うてたし、ほんまにほんまにまずは自分をただただ愛すること。

そうすると、人生は輝き出す。

一気にここまで書いた。そして締め方がわからん。

この記事公開しますが、これ読んだ友達のみなさん、クソ野郎な私だけどこれからもよろしくお願いします。

これが今の私です。いや、私だったのです。今から1ミリでもええから少しづつ変わるのである。

PS気分を害してしまってたら本当にごめんなさい。


読んでいただきありがとうございます!