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大坊勝次・蕪木祐介 《盛岡生まれの珈琲屋だった男と、今も盛岡で珈琲屋をやっている男の話》


大坊勝次さんの名前を初めて知ったのは、2014年。何気なく覗いたほぼ日で見つけた、「いちにちだけの大坊珈琲店」、というページでした。

最後まで読んで、ああ、この方の珈琲はどんな味がするのだろうという興味も冷めないうちに、店主のプロフィール1行目にあった「岩手県盛岡生まれ」と言う文字に気づきました。驚きと嬉しさ。もしもお会いできるチャンスがあるなら、珈琲の話や盛岡の話をお聞きしたいと思い、イベントに申し込んだのです。5年前は残念ながらハズレてしまったのですが、2019年になって、こんな機会に巡り会えたことが嬉しいです。

蕪木祐介さんと初めてお会いしたのは昨年の夏至。盛岡市にある「羅針盤」という喫茶店の開店の日。「夏至の日を羅針盤のスタートに選んだことがすてきだな、とおもったんです。」というようなことを少し緊張しながらお伝えしました。蕪木さんの話す言葉の温度と色が好きで、そのあとも羅針盤でお話しできるのを珈琲と同じくらい楽しみにしていました。


お二人を店主に迎え、9月2日、下北沢B&Bで催す「喫茶もりおか」という企画は、盛岡についての日常会話がきこえる喫茶店をイメージしたトークイベント。今回のnoteはその雰囲気が伝わるようにと書いたものです。

お話した場所は大坊さんのご自宅。蕪木さん、そして大坊さんの奥さまである恵子さんとご一緒に過ごした時間の書き起こしです。

14213字、濃く豊かな3時間を切り取りました。珈琲を片手にぜひお付き合いください。

盛岡生まれの珈琲屋だった男と、今も盛岡で珈琲屋をやっている男

大坊勝次(以下、大坊) ここに座る人は盛岡生まれの珈琲屋だった男と、今も盛岡で珈琲屋をやっている男、そしてあなたがここで会話をする。それをお客様はこちら側で見ているというかんじなんですね。

菅原茉莉(以下、菅原) 喫茶店の一角で、盛岡の話が繰り広げられるのを、少し離れた席から「ああ、盛岡の話してる・・・」って、聞き耳をたてるような、そういうイメージの時間にしたいと思っていまして。

トークイベントだと「何かを伝える」とか「こういうゴールがある」となりがちなんですが、盛岡を素晴らしいと言ってほしいという訳でもないんですよ。盛岡がいい街です!って伝えてほしい訳でもなくて、ほんとうに、それが、寂しい思い出だったりとか、あそこはあんな思い出があって、とか、そこのグラデーションはお二人次第、と思っていて。

必ずしも盛岡がいい、という着地点に行く必要はない、それは日常会話だから、と思っております。

大坊) はい、わかりました。

蕪木祐介(以下、蕪木) 大坊さん、そういうときに緊張することはあるんですか?

大坊) 緊張するよー。

蕪木・菅原) ほんとうですか?!

大坊) おれ、緊張しいやなんだよ。笑

蕪木) いやあ。そうは見えないですよね。

大坊) いや、緊張しいやなの。ほんとうに。なんで?と思うくらい。

蕪木) 私はいつもラジオを聴いてもそうだったんですけど、大坊さんこの音がない時にどういう風に頭の中が回転しているんだろうってすごく思っていて、整理されているのかな?とか。
たぶん、普通の緊張しいな人は無言でいられないような気がします。

菅原) 無言になる方が怖くなりそうですよね。

大坊) 無言だったら、いつまでだって無言でいられます。たとえばテーマを与えられて、そのテーマを考えて、いいことが浮かんだら言ってください、いつまでも待ちますって言われたらいつまでも待たせちゃいますね。

大坊さんの奥様(以下、恵子) なにか聞かれると「ううーーーん・・・」ってそれが長い長い。
でも、例えばその場でおしまい、っていう訳ではないんですよね。

菅原)イベントの前に、珈琲の話はもちろんお話の中にはでてくるけれども、おふたりにとっての盛岡についてお話していただく場ですよ、と、わかるような記事を先に出させていただいて、それをご理解いただいた上でイベントにご興味をもってもらいたい。

当日お話が終わったあとには「こういうイベントでしたよ」っていうのを出せるといいかなと、今は考えていました。

大坊)こないだ「てくり」という雑誌で喫茶を特集したり、盛岡珈琲フェスティバルっていうイベントがあったりして、それは、盛岡に住んでいる人が発信している訳ですよね。

菅原)そうですね。

大坊)こんどやるイベントは、盛岡の人からの発信は、極力抑える訳ですか?

菅原)いえ、内と外、両方と考えています。ものを映すときに一方からの光だと映らない部分もあるので。今回のイベントは1日目は盛岡以外の場所に住まう人からみた目線、二日目は盛岡に住んでいる人からみた目線、という形で、多角的に光を当てることで輪郭が見えてくるのかな、というふうに。確証ではないんですけれども。

大坊)わかりました。でも、そのスタートがちがうとしても盛岡の街を考えてやっているというのは変わらない訳だから、どこかでつながっている、という感覚。手をつなげばもっと大きなことが伝えられると思うので。その辺は一緒にしていきたいですね。

菅原)盛岡は喫茶店をされてる方同士の交流も多いと聞きます。それに加えて今回の盛岡珈琲フェスティバルのようなイベントがあって。珈琲を軸にしながら、街の空気を豊かにしていこうっていう、意気込みみたいなものがあるんだな、と感じています。

大坊)ええ、ええ、それはもうはっきりとありますね。これだけ、中央集権的な、なんでも東京に集まるようなものに辟易しているんですよ。東京の人間だってそうですし、盛岡出身の者としても、そうですよ。

自分の故郷が寂しくなっていくよりも・・・その辺が微妙なんだけれども、その、あんまり寂しいのもよくないし、そうでない気持ちもある。微妙な部分があるんだよ、故郷っていうのはね。地元の人も、特に盛岡の人はあまり目立ちすぎるようなことをしないほうがいい、というようなこともあるのよ。それはおおきな特徴でね。

でも、珈琲店が今みんな一丸となって、盛岡でやっていこうっていう気配が、伝わってくるの。これは、いいなあって。もしも、珈琲店というものが、盛岡という街に役に立つ場があるなら、こんなにいいことはないし。

実際、珈琲を飲みに行くことによって、珈琲店が好きになり、盛岡が好きになり、っていうふうなことが生まれたら、こんなにいいことはないですよね。街にどういう珈琲店があるかっていうことは、その街の、雰囲気を作るし。

蕪木)ありきたりな言葉ですけれども、いい街にはいい喫茶店があるじゃないですか。珈琲を仕事にしているから特に思うのかもしれないですけれども。居心地のいい喫茶店があったら、一言で、人の感情も暗くも明るくもなるのと一緒で「いいな、この店」っていうところから、盛岡の魅力を知ってもらうっていうきっかけになったらいいって僕は思っているので。

結局、盛岡だろうが他のところだろうが、たくさんいい喫茶店はあると思うんですけれども、東北ってより、その、みたてる人が少ないというか。喫茶店は、特別な場所ではなくて。日常の一コマなはずだけれどもそれをちゃんと「こういう良さもあるでしょ、使う良さもあるでしょ」って言う人が今までそんなにいなかった。

喫茶店の使い方、珈琲屋の使い方から街の過ごし方とか。「出身は盛岡だけれども…」という方は、学生になるときに盛岡を離れ、それからの盛岡という知らないことも多い。「ああ盛岡にそんな場があるんだ」と思ってくれるきっかけになればいいのかな。役に立てればいいのかなと思います。

大坊)あなた(蕪木さんの方をみて)の羅針盤の前は六分儀があったし、車門とか、古いところが今もやっているっていうのも素晴らしい。私も高校生の時、よく行ったんです。

蕪木)いまと同じように混雑していたんですか?

大坊)そのころはそんなに混んでいないよ、今は行列ができてるの?

蕪木)わたしの先輩が、「喫茶店全盛期の時は、車門も六分儀も並んで。でも飲む人は飲んだらスッと帰っていた」って、ときどきいうんですよね。

大坊)いや、私が行く時はゆっくり話しに行くところだから並んではいなかった。そのころは味なんてどうでもよかったころだから。喫茶店を回る時に、最初に待ち合わせていたところが、「あわじ」っていうお餅屋さんで。今はないですね。胡桃餅が美味しかったね、おでんのたまごとか。

菅原)そこで待ち合わせて?

大坊)そこからスタートして。そのころはサイセリアとかね、洒落た名前の喫茶店。

変わらない味があるのではない。常に変わりながら、自分の場所を作る

蕪木)この前も大坊さんにコーヒーご馳走して頂いた後に、うずさん(下北沢にある珈琲店)に行ってやっぱり大坊さんのところで働いていた方でも大坊さんの今の珈琲とは全然違うなっていう印象が強くて。

その後、ふと、もっと飲みたいなって思って。もう一回うずに戻ろうか迷ったんですが、その後慶珈琲に行って来たんです。
みんな違う珈琲になってるなって。なんかやっぱり大坊さんの珈琲は大坊さんの珈琲なんだなって。たぶんそれって、大坊さんの変わらない味があるんじゃなくて。 

たぶん大坊さんは、少しづつ変わっていって。同じように、うずの方も慶珈琲の方も少しずつ変わってるんですかね。

大坊)変わってますね。それは。

蕪木)ですよね。

大坊)その…。変わらざるを得ないんですよ。

蕪木)そうですよね。

大坊)自分の舌で判断するわけだから。
好みって違うって思うんですよ、年齢も影響するだろうし。その時のその人の在り方で好みって違うと思うんですよ。

蕪木)あぁ…それはありますね。

大坊)あなたもそうでしょう。 

蕪木)そうですね。

大坊)そのときの好みで、「あ、ちょっと苦すぎるのかな」って思うのは わからないことじゃない。

蕪木)常に変わっています、私も。  

大坊)うん、常に変わるはずだよね。こう毎日毎日の変わりもあるけど、大きなこういう(手を上下にゆらしながら)ゆったりとしたカーブもあるわけだよね。 

菅原)うねりみたいな。

大坊)そう、だからみんな「大坊珈琲の真似してる」なんて言われてるとすると、そういうのは全く気にする必要無いからって言ってるの。みんな自分の場所を作っているわけですから。 

お茶でもお点前とか。形としての「決まり」っていうのはかなり厳密に決められているかもしれないけれど、味についてはあまり言われないんじゃないですか。

蕪木)逆に言うと、お茶の世界で言うと味がとやかく言われることはないけれども。 それでもそこにいた時間っていうのは必ず「あ、豊かだな」って思うんです 私は。

だから珈琲でこう…それぞれ味への追及があること、それは伝わるし。逆に言うとやっぱりそこに正解は絶対的に無くて、その人らしい珈琲を飲むのが僕は今一番好きだなって思って。
ですので、お茶は「まずい」なんて思うことは絶対にないんですよ。

逆に、珈琲通の方も「うまい、まずい」そういう楽しみ方の世界になってしまうのは野暮ったいし、つまらない世界になっちゃうなっていうのはあって。私は若輩だから言えないですけど。

大坊)どうしてだと思う?どうして珈琲は「不味い」って言うんだろう。
(お茶の味について)言いたいことは無いわけでは無いかもしれないけれども、それよりも圧倒的にあるのは「お茶の時間を愉しむ」っていう意識。珈琲はそうじゃない要素もかなりあるってことだよね。

蕪木)私は、珈琲にも、「時間」っていう要素が強く関わってくる方が絶対に面白いなと思っています。例えばフレンチを食べに行くときは確実にハレの場で。楽しみにして行って、美味しいものを食べて会話する。
それと対照的に、珈琲屋って「あそこのあの店主は嫌だし店は汚いけれど、腕は確かだから」って行かない気がするんですよ。わたしは行かない。
完全に主観ですけれど、珈琲屋にはやっぱり味と、味はもう言わずもがな大切だけれども、そこに流れる時間をどこまでその店主が意識してるのかにもよるのかなって。

大坊)要するに珈琲屋の場合は、その店主の姿勢がさきほど話したお茶の姿勢を持っていないと「嫌な場所」、となるということですね。

蕪木)使い方次第なのかな、と思うところはあります。

大坊)行く人それぞれの使い方、ということ?

蕪木)はい。例えば私が喫茶店に行くときって、まぁ考え事したり、本を読んだり、考えを整理しようという時に行くところもあれば、なんか作業したいっていう店もあるし。誰かと会話をしたいっていう店も。使い方次第なんです。

最近は、物に対する客観的な評価の方が先行しているような印象があって。ひねくれているかもしれませんが、自分の美味しいとか美味しくないっていう感覚を、よそに求めすぎてしまう。ただその美味しさは、例えば珈琲だったら、飲んだ自分が決めるもので、そこで過ごす時間の価値っていうのは絶対に少なくないものだっていうのは思うんです。

だから、美味しい珈琲を出す店と、豊かに時間を過ごせる店がイコールにはならないのかなと僕は思うんですね。

「ハレの場」か「ケの場」どっちかっていうとお茶会は「ハレの場」。こんなふう風に過ごしてもらいたい、という店主の気持ちが乗ってるなっていうのを感じます

恵子)お茶会に行く時って、主催がどういう人で、どういう方が集まって、どういう風な感じっていうのが事前に分かっていますよね。
ですから、これはあんまり、っていうところは最初から行きませんもの。だから 行けばいい気分になって帰って来られるっていうのも分かってる。珈琲の場合はそうではないですね、いろんなお店がある。

大坊)単純な言い方をすると手続きを踏んでいるから、お茶の場合は。だからそれは、あなた(蕪木さん)の今言いたいことを実現するための手続きが踏まれてるんじゃないかと思うんですよ。 
だからそれが時間なんだ。どうしたって時間がかかる。
で、珈琲の場合は時間をかけないことが良いっていうふうにやってる場合がある。多いじゃないか、特に企業のやり方の場合は。だけど我々はどっちかって言うと時間をかける方に重きを置いてるから。

別に儲けなくても良いと思ってるわけじゃないよ、お客さんが少なくても良いと思ってるわけでもない。でも、美味しい珈琲を作るために時間は必要なんだよ、たしかに。
もちろんその時間の中身は重要だよ、中身は重要だけれども。その、まぁ単純じゃないよね。


蕪木)時間は、自分が過ごす側だったら長くかかってくれた方が良いなと感じます。なぜなんでしょうか。

大坊)これは全ての人は同じ資質を持ってると思うんだけれども、そうできない状況に慣れてるのだと思います。色々と仕事を抱えてるとか、次はあそこに行かなきゃないとか、忙しい状況が日常になってるから。それが自分の当たり前の行動パターンだと思いこんじゃっているから、そういう風にしているだけだと思います。 

ただある時、蕪木に行くなり大坊珈琲店に行くなりして、座って。なかなか珈琲が来ないときに最初のうちは時間が気になるわけよ、早くしてくれないかなあって。
だけどなんか気に入ってもう一回来たときは、もう最初から時間がかかるもんだと思って座るわけ。 
そして時間がかかることによって、その時間はその人にとって、とっても良い時間に変わる。
それは店のやり方ももちろん重要な訳だけれども、その人の問題なんだよ。
で、それは全員がもってるものなんだよ。ただ忙しくて追われてるだけのことで。

それでね、岩手っていうのは、そういう人が多いんじゃないだろうか。要するに急がなくても良いっていうか。慌てないし、でしゃばらないっていうかね。
ゆっくりやってもいいんだっていう要素をもっているのが、岩手なんじゃないですか。

こちら側としたら、どうしたって時間をかけなくちゃいけない。でもさっきも言ったように、珈琲の場合は早くしろよ!っていうかさ、「忙しいから、俺もう次の仕事に行かなくちゃいけないんだ」とかいう人も多い。岩手の人は黙って待ってる、こうやって(両の手を膝に乗せる)

菅原)でも二回目に来る人はそういうところだとわかっててドアをくぐる。
だからもう時間がかかることに心構えができているということですか?

大坊)あなたが今言ったように、こういう時はこういうところ、こういう時はこういうところっていうように、やっぱり最初はみんなでわいわい珈琲飲みに来た人たちもね、「ああ一人でゆっくり来たいなぁ」って思う人がいて、次は一人で来る。

でも、それと同時に「あぁ大坊珈琲に行ってこよう」って出かけた時でも
「あ、今日はやめとこうかな」って思う人も結構いるんですよ、そういう話を随分聞きました。

蕪木)私もそれはあります。 

大坊)我々、普段別にあれこれ聞くこともないんだけども、そういうときは聞くのよしつこく。なんでなんで?って。
聞かれた方はなかなか答えられないんですよ、答えたくないのかもしれないけど。

恵子)でも気持ちは分かる気がする。

大坊)うん、気持ちは分かる気はするの。だけど俺、言わせたいから質問するの。なんで?なんでだ?って。

菅原)分かる、っていうのはどんなふうに?

恵子)やっぱりなんていうのかな、大坊珈琲店に行くにはやっぱりこっちもね、どうでもいいや、という感じで行くと、後であんまり楽しくないって思うだろうなって。
 
菅原)大坊さんが「なんで?」って聞くと答えてくれますか?みなさん。

大坊)答えたいような…。考えているんだけど、結局出てこない。
 これは例えがよくないけれども、お化粧のノリが悪かった日に珈琲店に行くのがちょっと嫌な時もある?

菅原)ありますね、今日の私ならチェーン店でいいかな…と。

大坊)みんな満点で生きてるわけじゃないのにね。 


珈琲屋とお客様のちょうどいい関係

蕪木)それに対して僕は結構反骨心はあって。さきほどの例えで言うと、化粧のノリが悪い時でも来れる店にしたいなって。

大坊)うーん、化粧のノリっていうのはちょっと例として悪かったかな(笑)

蕪木)ネガティブな時でも扉を開けてくれる店でありたいなっていう気持ちはありますね。
ただ私もそのお客さんの言うことはわかる。へこんでるときや、中途半端な気分のとき、わりかしやるせないっていう明らかな何かがあるときには珈琲を美味しく飲めないっていうのはあります。

今やることが沢山あるとき、行ってもたぶん落ち着きなくすぐ出なきゃいけないだろうとか、なんかわかるんですよ。せっかくなのに、楽しめないのに、今、そこに行っていいのかな、って。
あ、でも逆にへこんでるときの方がわりかし明確に「行きたい」と感じます。体が行きたいところ知ってるときとか。

菅原)やるせないと美味しく飲めなくて、へこんでるときは行きたい?

蕪木)なんかぼやっと…なんなのかな、難しいな。逆にフラットな時なのかな。

恵子)なんかこう、自分の中でもやもやもやもやしてて、はっきりしていない。そういう時はあんまり知ってる人に会いたくない。

蕪木)ありますね。きちっとしたところには行きたくない。だからぼやーっと色んな人が通る雑踏の中にいる方が良いなっていう場合、ありますよね。

大坊)だから化粧の例は非常に良くない例で(笑)
その悪い状態、落ち着かない状態のときだからこそ行きたい店ってあるよね。行くと落ち着くんだよ。落ち着かない理由が整頓されて、だんだんだんだん。そういうところがありますよね。

菅原)波が落ち込み切っていて、上がるために行く店、整理するために行くお店と、ざわざわしてる状態で、それを静めるために、自分が今の位置を確かめるために行くお店と、違うってことなんですかね。

蕪木)どうなんだろう。

大坊)いやもう、千人あれば千通りで、みんな違うってことだよね。
同じ店でも良い時に来たい人もいるだろうし 悪い時に来たい人もいるだろうし。

蕪木)なんかこの前、「もやもやするなぁ」、という時があってですね。美味しい珈琲でも飲みたいってなって思ったんです。でもその珈琲屋が営業してなくて、こう…どこにこの気持ちをぶつければ落ち着くんだろう、っていう気持ちになりました。

大坊)だから珈琲屋は休んじゃいけないんです。年中無休はそういう意味です。行きたいと思ったときに、休みかなって思わなくてすむ。

恵子)昔ね、労働争議が4月にあってね。鉄道が止まったりとかたまにあったの。
でもね、うちは休まないの。台風が来ても。

蕪木)その覚悟はすごい。

大坊)でも手回りを作れば良い訳だから。

菅原)手回り?

大坊)つまり代わりに作る人。要は焙煎は自分がずっとやるけど、抽出は入った人が全員できるようになるための教育をするわけです。焙煎は私しかできないと思うけど、抽出は誰でもできると思いますから。ただもちろん対応とか、抽出も同じではないですよ。来る人がみんな違うんだから。こういう人はこう対応するなんていうマニュアルもないし。ただこちらはずっと同じ姿勢で作って、出すということを繰り返すわけ。

ここに来る人はいろんな要素を抱えて来る訳だから。かえってそれに対応するような考え方をもたないし、やらないということです。色々とコミュニケーションをとって対応していきましょうという考えを、シャットアウトしたわけですよ。
この考え方にも問題があるとはおもうけど。

蕪木)いいじゃないですか。

大坊)問題だよ、これは問題。

菅原)以前、常連のお客様と大坊さんがやっていた「ダイボーズ」という野球チームの話を読んだことがあります。

大坊)そうそう、野球一緒にやってるわけだから、まあ仲良しなわけじゃないですか。そうすると自分は一番はじっこにいっちゃうの。それは、口を全く利かないわけじゃないよ、なるだけ手が休んでるときは遠くに行ってるの。

だって私がずっと話してたら、「あいつら仲良いいんだな」って。だから遠くに行くの。
でも「お前は常連を大事にしない」って叱られたの。「なんだお前は」って。
「いつも来てやってるのに!お前の店はたしかに表通りに面しているかもしれない。だけど、これがちょっと引っ込んでてみろ。我々が盛り立ててるのに、なんだその常連に対するお前の態度は」って。

菅原)その時なんて答えられたんですか?

大坊)はい、はいって(笑)わかりました、わかりましたって。
その後何年か経った頃にちょっと言うわけです。「当時はこういう考えでああいう態度を取ってたんだ」って。

菅原)そうするとその方は?

大坊)そのときは、わかったわかったって言うんです。でもね、まだわかってないんですよ。お互いに、まだ思ってることはあるわけ。それでまた何年か経つとぶり返されるんです。だからすぐ言い返すんじゃなくて、何年後かに話すんです。

恵子)だけど面白いですよね。お客様も色んな方がいっぱいいらっしゃるの。面白いって言ったら怒られるでしょうけど。

蕪木)でも場所もね、ああいう場所にあったので。

大坊)そうだよ、色んな人が来るんだよ。最近の店の作り方は、最初からある程度、「僕の店はこういう店」と分かったうえで、わざわざ来てくれる人をお客さまにしようという発想がありますよね。

蕪木)ありますね。

大坊)街の中の店は、場所さえあればいいという人も来るんです。困ったな、ということが起きるわけです。でもそういう人がね、次また来ることがあるの。今度は一人で来る。自然にそうやって店を選ぶようになっていくんだね。もちろん最近のやり方を非難しているんじゃないよ。それは大事なことだから。
昔は街の中にあっても、すごく暇だったの。ネットとかそういう広まり方をしない時代でしたから。

恵子)でも、インターネットがすごく進化したからいいかって言うと私は全然そう思わない。
よく聞くのはね、何かでこう話をしていて「あそこの店行った?」「行った行った!」で終わりなわけ。なんかね、それはお店をやる方としてすごく残念だなって。

蕪木)大坊さんの店は確実に、誰かの人生に寄り添ってる店だったと思うんですよ。

うちの店でも、年に一回でも 数年に一回でも頻度はいいけれども、あそこにっていう風にありたい。
結局、珈琲を飲んで過ごす時間というのはなんの意味があるんだろうって考えたときに、「美味しいものを食べたい」という食欲以外でも、よりどころになっているはずだと信じてやっていることだから。
そういう風に受け取ってもらったら嬉しいなとは思います。

インターネットは、やっぱり良さと悪さどちらもあると思うんですね

菅原)蕪木さんのInstagram、わたしはとても好きです。物理的に距離がある盛岡へも、その言葉やお店の空気がちゃんと届く。

蕪木)私が反省しなくちゃいけないところは、例えば何かお知らせとかがあって、インターネットとかでやりすぎると、宗教みたいになるのは嫌だなっていつも思うんですよ。熱烈なファンみたいな。嬉しさももちろんあるんですけど。
「珈琲屋っていうのはいつも同じ感情」って、まったくおっしゃる通りで。
フラットであってもらいたい、常連さんや熱烈な人たちだけが楽しめる場所じゃなくて、行ったら誰でもウエルカムな場所ではありたいなと思いますね。

恵子)この珈琲がすごく好きだ、って気持ちはやっぱりあるとおもう。
自分が好きだと思うものは大事にしたいから、長く付き合いと思ったらちょうど良い関係に持っていきますよね。
うちの店の常連のお客様もつかず離れず、上手い関係にもっていってくれることがあって。ありがたいなって思うことがありました。


「何もしない」接客。

大坊) うちはアルバイトを募集するんですよ。それで、ある時入ってきた人が、綺麗な人だったんですけれども。前に喫茶店で働いたこともあるらしい。綺麗な人が、「いらっしゃいませ」ってニコニコしてお客様を迎えるんですよ。

笑顔が綺麗で、すごくウェルカムなわけですよ。なにも問題ないんですよ。だけど、「やめろ」って言ったの。「笑うな」って。「あなたがニコニコしたらば本当に歓迎されているんだなってお客さんは思っちゃう。そうじゃないんだ」って。当たり前に、普通に、入って座って貰えばいいことであって、「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」って言うことじゃないんだ。って。

そしたらね、怪訝な顔しました、当たり前ですよね。最初に言わなきゃいけないとおもったから。最初の日に。せっかくにこにこして仕事を始めてくれたのに、「やめ」って言ったの。ということがどういうことかというと。例えば同じ人がきた場合に、この前の笑顔と違う、っていうことが起こるわけですよ。

菅原)「お迎えする」とハードルをあげすぎちゃう。

大坊)仮に無表情で始めればそういう問題は起きないわけです。もちろん自然な無表情ですよ。でも機嫌がいいときはいつもより無表情をしようと思っても、少しニコッとするような顔になるかもしれない。それはかまわない。ただ、最高の笑顔で迎えてそれがダメになるのはだめなのよ。

菅原)なるほど…

大坊)だから、そのアルバイトの方にも「笑顔だめ」っていったら「え?!なんで?!」って笑

菅原) え?!ってなりますよね。

大坊) びっくりしたと思うよ。

蕪木) なかなか言われないですものね。

大坊) 愛想も良い人でしたから、わざわざ不自然な笑顔を作っているような人じゃなかったんです。いつも自然と、人と対する時はそうなる人だったから。

恵子)やっぱりそういう美人な女性が、「いらっしゃいませ」っていったら「お?!」って。
 
大坊)これはね、珈琲店がお客様を迎えるにあたってこういうことをしろ、ということとは違うんですよ。「何もするな」、って言ってるんです。

菅原)特別な笑顔でも、特別ないらっしゃいませでもなく、何もしない。

大坊)そうすると、自然と、「あ、前にも来た人だな」っていう人が来ると、無表情でもなんか違うんだよ、それだけで十分なんです。

奥様)別に、お客様に無愛想にしろっていってるんじゃないんですよ。

菅原)わたしが今まで経験した接客って、それこそ満点を目指して、「いらっしゃいませ!!」ってやることが多くて。一度、雨の日の喫茶店にずぶ濡れで入った時、表情を崩さない店主から「満席」と言われたことがありました。でも嫌な気はまったくしなかった。ずっと満点を目指した接客が正解だと思ってきたけど、そうじゃないんだな、って。

大坊)少なくともあなたは、そういう風に感じたわけだ。少し、あなたとしては、腑に落ちたところがあったわけだ。落ち着いたような感じがしました?

菅原)はい、そうです。

大坊)それはすごく重要な感覚。 

菅原)「満席」だけ切り取るとすごい感じの悪いお店になりますけど (笑)ひとこと 四文字 まんせき、って。

大坊)今のあなたのお話は非常に象徴的なことで、例えばお茶席の場合には呼ぶ人、呼ばれる人という関係性になるわけじゃない。 
あの人が来る、って、知っている。だから来る人を意識して設えをしたり、色々テーマを決めたりする。

そのために時間をかけて、その時間というものが茶席に同席した人に与える要素というのが生まれる。
でも、今の話はまさに突発的なことなわけ、予定調和ではないことなんです。
茶席には予定調和があるけれど、予定調和を超えた驚きがあったときに、人々は喜んだりする。喫茶店のドアを開けるときっていうのは、予定調和があるようで、ない。そこが珈琲の面白いところだと思うんですよね、今でも。

蕪木)これ、いいんですか、今日こんなにしゃべってしまって。

菅原)大丈夫です(笑)

蕪木)大坊さんのお話、みなさんに聞かせてあげたいですね。

大坊)いつも上手くいくとは限らないし、悪い風にとられるケースは結構あるんじゃないかと思います。しかも珈琲屋っていうのは、一度来て「もう金輪際行くもんか」っていうことがたくさんあるわけです。
どんなに上手にやろうとしたって気にくわないと思う人は必ずいるわけだから。すごく難しいですよね。

菅原)しかも前情報がないじゃないですか。
お茶の席だったり、ホテルなら、私たちは情報を持った上で先回りしてサービスができます。喫茶店っていうのは前情報がないところからスタートするから。やっぱり特別だよなって。

大坊)そういう要素、要するに前情報がないことや情報を求めないこと。岩手の場合はそういう情報がないことを良しとする人が比較的多いんじゃなかろうかって思うんですが。自分が珈琲屋をやってる時にも、わからない状態の方が良いっていうところがあったんです。

自分が盛岡から出てきてからね、色々考えるほど、段々歳を取れば取るほど、盛岡っていう良さはそういう面に現れているように思って。 
盛岡の人は情報が網羅されてるとか、そうじゃない方が好きなんじゃなかろうかって。
そういうことも、自分が歳と共に盛岡を好きになってくる大きな理由でもあるような気がするんですよ。
お互いに、知れることだけど、あえて知らないままに残しておくというか。 

現代は情報が過敏な時代だから、時代と逆行するかもしれないけど。盛岡の気質ってそういう部分もあるんじゃないかな。

あの山、あの川。

大坊)蕪木さんが入口のドアのこととか、看板の小ささのこととか、窓のガラスの大きさを考えるときに、少し閉ざされている要素を取り入れようって言ってたと思う。それはたぶんね、岩手を好きな人や岩手出身の人の気質みたいなところが出てるんじゃないですか。明るさをこのくらいにしようとか。
まあ、みんな違う要素があるわけだからね、すべての人に当てはまるわけではないとも思うけれども。

蕪木) 気質みたいなのは知らず知らずのうちにあるんでしょうね。東北の、というか。沖縄の人なんてもう窓すら外そう、って言いそうな気がするんですよ。 

大坊)暖かさっていうのもすごく影響してると思うんです。風土と気温っていうものが。全然違うと思うんだよね、だって今だってこんなに湿気が多いけど、私、湿気好きなんだよ。

蕪木)湿度があると、お水もこういう風に(コップを手に取り)外側に水滴がついて良いですよね、硝子の。 

菅原)盛岡も今年は湿度が高くて暑い日、多かったです。

大坊)でも7月あたりは(盛岡)寒かったでしょう。盛岡の湿度がすきだなあ。それで緑が綺麗だし、るんるんとする。
あれは気持ち良いですよ、中津川のあの歩く道。 

蕪木)私もあそこ好きなんですよ。

恵子)2か月くらいすると、あそこの川に鮭が来るでしょ。

菅原)盛岡らしい風景ですよね。 

蕪木)天気良い時の橋からの眺め。岩手山の景色が見えるじゃないですか。開運橋かな。やっぱり気持ちいいなって思いますね。誰かが来た時に見せたいなって思う景色のひとつですよね、川があって山があって。

大坊)岩手山は最高だね。あれは自分の自慢の一つだね。

恵子)雪があって、川が流れててね。 

大坊)みんなそれぞれの街でそう思ってるんだろう。あの山が良いとか。

恵子)あの山、あの川って、ね。 

菅原)景色が自分に根付いてるっていう感覚は岩手県から出て初めて知りました。おおきな岩手山を、なんとなく探してしまったり。

恵子)山とか川の中で育ったからでしょうね。東京の都会で育った子どもたちは違うのかもな。田園風景や、それに近い記憶は何が残ってるんでしょうね。 

菅原)蕪木さんのご出身の福島の方は?

蕪木)山は奥羽山脈、安達太良山だとか吾妻山という山がありますね。 

大坊)高村光太郎が福島で。

蕪木)智恵子抄って僕好きなんですけど 「安達太良山はこっちが本当の空だった」っていうフレーズがあって。
岩手の景色だと僕は、壬生義士伝が好きです。浅田次郎の綺麗なことばがたくさんあって。言葉の使い方がすごく素敵で、自然の描写も良くて。盛岡に観光に行く人には読んでほしい。


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最後までご覧いただきありがとうございます。大坊さんと蕪木さんがお話する雰囲気を感じていただけたら嬉しいです。

9/2「喫茶もりおか」第一夜 大坊勝次・蕪木祐介

9/2のチケットは30名限定です。8/26まで受け付けております。

9/3「喫茶もりおか」第二夜  平山貴士・木村敦子

10月に初開催となる「いわて盛岡シティマラソン」。盛岡市内でも楽しみにする声が聞こえてきました。

約半年前。大会開催の記事が新聞で発表された2月14日、自宅で雄叫びをあげた方がいました。ご自身もサブ3(フルマラソンで3時間をきる)のランナーであり、盛岡市菜園で「家具屋ホルツ」を営む平山貴士さんです。

こちらは平山さんのブログ。


平山さんは、盛岡シティマラソンを盛り上げたい!という一心でMCMKOK(モクモク:盛岡シティマラソンを勝手に応援する会)を立ち上げ、大会当日のランナーはもちろん、応援に訪れた人も楽しめる本「kakeashi/かけあし」を出版しました。

9/3の喫茶もりおかは「kakeashi/かけあし」のできるまでのお話を、平山貴士さん、そして編集をてがけた、まちの編集室の木村敦子さんに、たっぷり伺います。

それでは9月2日、3日は、B&Bの「喫茶もりおか」でお会いしましょう!




てすと