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Holz 平山貴士 《半分冗談、半分本気な「走る家具屋」の話》

イームズと古着「おーー!8点!」が共通点 

菅原茉莉(以下、菅)初めて平山さんの名前を見た人が疑問に思うのは「そもそも何でこの人が本を作ろうと思ったの?」ていうことだよね。

平山貴士(以下、平)本の前に家具屋っていう時点で、もうあれなんだよね。「職人なんですか?」って。

菅)作り手さんですか?って?

平・菅)まずはそこからだよね笑

平)作り手ではあるけど、職人ではありません。職人ではないので商品自体の加工はしないよね、逆に簡単に言えば加工する以外の事は全てする。企画、デザイン、パッケージ製作、販売、とかね。

平)什器とかは自分で製作する事はあるよ、丸ノコで切ったりとかそういうのぐらいはやるよ。普通の DIY ぐらい。でも元々作る方もやりたかった。

菅)最初、専門学校に行った時は作りたい側だった?

平)いや、高校卒業してすぐに入った専門学校はインテリア科だったから。

菅)作ることに特化しているわけではなかったんだ。

平)うん、インテリア全般って感じだった。職人系のことではないよね。ま、ほとんど行ってないから知らないんだけど 笑

菅)何ヶ月行ったんだっけ、4ヶ月でしたっけ?

平)通ったのは2ヶ月ぐらいで、前期ですっかり席を抜いた。それが19歳ぴったり。

菅)さっき、てくり25号を読み返してました。平山さんは高校生の時に本で見て「イームズがいいな」って思ったんですよね。普通の高校生が、あの椅子いいなって思う感覚って結構特殊じゃないですか?小さい頃からかっこいいものへの感度高かったんですか?


平)いや、普通の中学生の 「ぼんず」 だよ。服に興味は出てきてファッション誌は見るようになってきてたかな。でも背が小さかったから、(ってか今も小さいけど)大人用のも着れないし、子供用でもないし・・


平)買いに行くところがよくわかんなかった。中一くらいまでは、おかんが通販で服を買うときに、140とか150サイズを一緒に頼む、みたいな笑 中2くらいからじゃないかな、自分で服を選ぶようになったの。その頃からMEN’S NON-NOとかFINEBOYSとかを読むようになって。

菅)本に出てくるような服を買ってたのは宮古?盛岡ですか?

平)実際そんなに買ってはいないよ。宮古で売ってないしね 笑 盛岡には年に1回くらいは来てたけど。

菅)家具は全然まだ?

平)全然まだまだまだ。

菅)平山さんの実家の家具って、やっぱりセレクトされたものだったの?

平)いやいやいや全然全然。

菅)本当?!私、勝手にイームズとかあるお家だったんだろうなーって思ってました。

平)そういう類のものは一切ない。普通の家だよ、思春期になってファッション誌を見るようになって、その時にモデルが座ってたイスがかっこいいなって。それが一番最初のイームズ。

時代もあるよね。95年頃、高2か高3だったんだけど、岡本さんが編集した伝説のイームズ特集と言ってもいいであろう、BRUTUSだったり。モノ・マガジンで特集されてたり。「あー、この椅子はなんかかっこいいぞ」って。 年代によってディテールが違ったりして、古着みたいだなーって。

リーバイスのジージャンにもファースト、セカンド、サードってあるんだけど、イームズも50年代の刻印マークはこれ、60年代はこれ、って決まってる。古着屋に行って「あーこのスウェットは10点満点中6点だな」って思ってもタグを見て 「おーー!8点!」っていうのが若い頃は少なからずあったよね。そういうのにイームズは似てたから入りやすかった。

菅)古いものが好きだったていうのもある?

平)うーん、でも古着屋自体あんまりなかったので、正直古いのが好きかどうかは自分でもよくわからなかった。中学生の頃、宮古にMiss Tieeっていう古着屋らしい古着屋が初めてできて。そこができたのは大きかったかな。ちょうどファッション誌を見はじめたころだったし、Miss Tieeではよく服を買ってた。

菅)いい時期にお店ができましたね。

平)部活を引退してからは原チャリで盛岡に来てたけどね、ノリでね!学校が終わって、3時半ぐらいに「今日どうする?」って友達と話して。誰かが「盛岡、行く?」って言うと「いっちゃう??」って。他の友達もまさか平日に盛岡に行くとは思ってないから、行った証拠として肴町のミスドを買って 。

菅)ミスド可愛い!!中高生!

平)当時はあの辺のビルの中にファクトリーという古着屋さんがあったね。

菅)ショップバッグを持ってるのがかっこよかった頃ですね。話聞いてると、平山さんも普通の少年で安心します笑 小さい頃からこういうとこ(ホルツを見回して)にいたんだろうなーってずっと思ってたので。

平)全然!家にこたつとか普通にあるし。

菅)進学するとき、「インテリア」って言ってびっくりされなかったんですか?

平)俺の兄が同じ専門学校にいたから、そんなに驚かれることはなかったかな。

菅) 思春期ってみんなかっこいいもの好きじゃないですか、でもその時好きだったものが今職業に直結してる人ってどれだけいるのかなって。一過性じゃないところが平山さんぽいなって思います。

平)そうだねー。専門学校やめてから、宮古に帰らないで、結局盛岡でアパートを借りて住んで、市内のインテリアショップで2年バイトして。イームズ云々の世界ではなかったけど、社会に出て働いて、会社の飲み会に行ったりするのがすごく楽しかった。一緒に働いてた人もすごく良くって。 まだ何も知らない子どもだったから、すごくみんな可愛がってくれた笑 
まあ、「この先俺、どうすんだ?」って、思うことはあった。

でもさ、悩んでもイームズ売ってる家具屋さんなんてなかったし。ホルツみたいな店があったらいつも寄ってたんだろうなって思うけど。だから代わりに、古着屋さんによく寄り道してた。

その頃は古着屋になるか家具屋になるかまだ悩んでて。家具は好きだったけどテンションを保てる環境じゃなかったんだよね。まだ、本か、お店からしか情報が拾えない時代だから。

菅)お店って確かにそういう役割もありますね。

平)お店の人ってやっぱり何でも知ってたし。今は情報は溢れてるから下手したら「そのことはお店の人より知ってる」みたいなお客さんも普通にいるけど笑

菅)ネットだけで買い物もできちゃうしね。

都会で見つけた、岩手のカケラ

平)だから店の存在と言うかありがたみと言うか、 そういうのは今とも違う感覚だった。上京を決める前、三日間、「東京インテリアショップ 見学ツアー」みたいなノリで行ったの。悩んだけど、帰りの夜行バスでは「やっぱり東京行かなきゃダメだ」って決心してた。

菅)家具屋と古着屋で悩んだんですね。

平)まだ自分の中に「イームズが好き」っていうぐらいしかなかったからね。 東京見学ツアーの時に日本でイームズを最初に置いたオーナーのお店MEISTER マイスターに行ったの。その時の店長が福島出身の人で、「東北から来ました」って言ったらすごく良くしてくれて。2時間ぐらい話した。東京行きを決心したのって、その人との出会いがあったからかも。

菅)そのお店は、アポ取って行ったんですか?

平)ううん普通の客として。

菅)きっかけですよね、 上京して、憧れの店で、東北人が店長してるって聞いたらホッとするよね。

平)あっちで聞くと「岩手、東北!」って言うだけで嬉しいよね。「一緒じゃないすか!」みたいな。
そういえば、マイスターには南部鉄器があったのも衝撃的だった。昔の金型をオーナーが岩手に来た時に見つけてお店で復刻させて、全国に家具の他に南部鉄器も卸してた。

岩手で暮らしていた時はかっこいい物だ、って思ったことなかったから。自分の憧れの店にあって「何であるの?!」みたいな。

菅)上京したての平山青年には嬉しいびっくりだ。平山青年、二十歳くらい?

平)東京に行ったのは21歳から25歳の実質四年半で、そのうちマイスターで働いてたのが3年半。最初の一年は日払いのバイトをしたり、少し自分の好きなものとはテイストの違う他のインテリアショップとかでも働いてた。
正直売りたい家具とも違ったし、短い期間で辞めちゃったんだけど、そこでの知り合いとは今でも交流があるんだよね。 今は金沢で WHOLE っていうお店をやってるヨッシーっていう友達がいるんだけど、彼は俺が辞めた後にそのお店に入って。ヨッシーとは好きな家具が似てたんだよね。 それからちょこちょこ会うようになって、今は取引先。いわてんども金沢でやらせてもらったり。

日払いのバイトは当時は時給1000円とかおーって思ったけど、年下のヤンキーみたいな上司に顎でつかわれたり。そういうのを半年くらいやってたら「俺は何のためにここにいるのか」って思うこともあった。でも暮らさなきゃいけないし。

「バク転、おはよう!」


菅)それでもやっぱりマイスターは諦められなかった?

平)そのために出てったからね。

菅)「他でいいや」って、ならなかったんだ。


平) 実質待ったのって1年くらいだったし、東京で日々生きるのに一生懸命すぎて、以外と早かった。「諦めようかな」の、前の段階。休みの日にインテリアショップを回って、「この先、どうしようかな」って思ったりはしたけど。

菅)「1年経ったら雇う」って言われてたんですか?

平) ううん、何も保証はなかった、ただ履歴書出しただけ。

菅)…私だったら無理です…

平)若さもあるよね、 欠員があったら連絡します、って言われて待ってた。
で、ちょうど1年経ったころに留守電が入ってて。

菅)1年前の履歴書をみて電話してくれるってすごいですね。

平)俺の履歴書、インパクトあったんだって。趣味・特技の欄に「暗算とバク転」って書いたから、マイスターのお店のカウンターのあたりにいつも置いてあって。で、オーナーとか店長が「そういえばこんな履歴書きてたよなぁ、カッカッカッカ!」って爆笑してたって、後から聞いたの。「履歴書いつもネタになってたよ」って。

菅)思い出されるきっかけになったんだ笑

平)他の人は「CADができます」とかインテリアに関わる武器を書いている中、今だったらマラソン、っていうところが当時は「暗算とバク転」だったから。素直に書いた。だから、当時の知り合いは俺のこと「バク転」って呼ぶよ。

菅)「バク転、おはよ!」って?笑

平)そうそう笑 半年くらいしてからみんな「バク転ってさ、そういえば本名なんていうの?」って。店長がバク転って呼ぶからみんなに広がって。もうさすがに今は知らない人のほうが多くなってきたけど。

菅)よかったですね、「暗算君」ってあだ名じゃなくて。

平)そうだね笑 面接の時「バク転って書いてるけど、本当にできるのか?」って言われて、ホルツの二階よりちょっと広いくらいのところにテーブルと椅子があって。バク転するスペースには足りないから、「できますよ、じゃあ、ちょっとどかしましょうか(テーブルを動かそうとする)」ってしたら「いやいや、いいいい、わかったわかった笑」って。

菅)わ、それすごい平山さんぽい笑

平)一番マイスターが忙しい時期に仕事してたと思う。古いものって自分でコントロールが効かないっていうところがあるよね。世の中の流れ的にぐわーっと流行って、物がなくなって、過去の物にされて。流行りが終われば価格も下がっちゃう。変わらない相場ができるのもあるけど、ほんの一部。

菅)…なんかこういう話してると、家具屋っぽいじゃないですか…

平)いや、家具屋ですから 笑 

ライフスタイルショップでも、インテリアショップでもなく、家具屋とも言い切れない

平)でもその「家具屋っぽい」って言葉も、こういう(ホルツみたいな)家具屋と、普通の人がイメージする家具屋って違うんだよね。

菅)ちがうね、たしかに。「家具屋」以外にぴったりの表現はないのかね。

平)一番当てはまってるのは「インテリアショップ」なんだけど、「何屋さん?」ってきかれたら、◯◯屋って言いたいから。やっぱり「家具屋」。

平)あ、でも「ライフスタイルショップ」は否定する。違います、って。

菅)ライフスタイルショップ…ってどんなお店?

平)衣食住トータルで提案します、っていう感じ。盛岡ってさ、あんまりないんだよね、そういう店。餅は餅屋。

ここ7、8年くらいじゃないかなライフスタイルショップっていう言葉ができて、雑誌でもそういう言葉が載るようになって。最近だと以前程はあまり言わなくなってきたような気もするけど。ただ俺は最初からライフスタイルショップはどちらかと言えばアンチだったから。

菅)もりあがってるときも?

平)うん、極端な言い方すると結局どれも中途半端なんでしょ?!って思う。逆になんでも手に入るっていうのはあるかもしれないけど。

うちはそれを目指している訳ではなくて。今「家具屋」って言ってても伝わりにくいのに、ライフスタイルショップ、なんて言ったらますますわかりにくくなるよ。

あっ、ただ完全否定している訳ではないですよ、盛岡の気質とは少し違うというか、そんなニュアンス。

菅)そして流行った物って、物が変わったわけではないのに、急にダサくなってしまうよね。ホルツはそこから遠いところにあるなと思う。

平)そうだね、できるだけ5年後も変わらずに同じモノを販売していたいと思う。ホルツは人を沢山増やしたり、店を大きくしたり、そういう方向でもないし。そうすると、一人でできることって限られる。

菅)マラソンもあるしね笑

平)そう、マラソンもある笑 やれることが限られてくる、というか、集中すると今みたいな店になるし。いや、他のこと…きっとできない!

菅)基本的なことなんだけど、「セレクト」っていう物は作家さんが作った物や、会社が作った物で、「オリジナル」は、平山さんが製作の段階から関わっている物、っていう認識で合ってますか?

平)うん、合ってる。店を続けてきて、セレクトとオリジナルのウェイトは変わってきた。時間があればもっと自分で作りたい、って思ってる。

菅)15年お店をやってきて、「ホルツっぽい」って出てきた気がしませんか? インテリアショップとも、ライフスタイルショップとも違うし、家具屋とも言い切れないなって、イチお客さんとしてそんな風におもうんですが。

平)ぴったりくるのはやっぱり「走る家具屋」笑 まあ、半分冗談、半分本気。
少し真面目に言うと、どっちで認知しているか、みたいなのはあるよね。オリジナルのプロダクトのkasane kopとかIEMONOシリーズだったり、そういうモノを発表している合同展示会のストッキストやエントワインがホルツを知るきっかけだったお客さんは「家具屋」より「クラフト小物のある店」っていうイメージだと思う。だから店に来て「ああ、結構家具あるんですね…」みたいな。 もちろん新築で家具を探そうとなってホルツに辿り着いてくれるお客様も年々増えてはきてるよ、家具屋ですからね笑

菅)これからオリジナルのプロダクトはもっと増やしていく?

平)うーん、増やしたいけど、いつどのタイミングってのは正直わかんない。

デリボーイで日本を半周

菅)開店したときはオリジナルってあったんですか?

平)あったあった!背もたれがない、ベンチみたいな。それはお店を始める前から売ってたの。

菅)あ!行商してたときの!デリボーイに積んでたんですよね。行商期間ってどのくらいでしたっけ?

平)期間は、半年くらいかな? そのときには、そのベンチしか商品がなかったから「俺はこれを売るしかない」と思って。でも、まあ今思えば、家具なんて飛び込みで来られても困るよね。

菅)それ、どの辺でやってたんですか? 東京?

平)いや、日本半周! 東京から宮古に帰ってきて、1年後に店を出したから。3ヶ月くらいは大工の見習いをして、大工しながらオリジナルの商品を作って。その時から鉄と木が混ざってるようなのを作ってたから、「最近流行りですよね」って言われると「最初からです」って笑 

時間はあるけど、お金もない。でもお店は出したいと思ってたし、車で回るなんて今しかできないな、と思った。

だから、ほぼ下道だよ。東北と、一番西だと神戸まで。途中途中で、知り合いがいれば泊めてもらったり。

菅)全国に知り合いがいたのすごい。

平)あのときは「SNSで知り合う」みたいなノリじゃないから。電話だったり、実際に会ってたり。今ともちょっと違うよね、繋がり方が。

行商してた時に出会ったお店のオーナーと、ホルツを始めて、ストッキストとかに出るようになってから何年かぶりの再会!!みたいなのもあったな。「おれ、お店に行ったことあります」っていうと最初は思い出せない人もいるんだけど、持っていったモノとか当時のシチュエーションを話すと「あーーー!!あのときの!」って。

菅)20代の男の子がオリジナルの家具つんで、デリボーイで来て。そりゃインパクトありますよね。

平)秋田は営業行こうって思っても、当時は家具屋がなくて。どこ行けばいいんだろうと思って、服屋とか設計事務所に行ったりしてたな。

菅)あ、何かの時は声かけてね、って?

平)そうそう、あとは秋田は、今井さんっていう設計士の人が当時のことを覚えていてくれてて、ホルツがオープンしてから2、3年後にたまたま盛岡にきて「あ!このロゴ見たことある!!」って、お店に来てくれた。

菅)びっくり!それで?

平)「昔来てくれたよね、秋田の今井です」って言われて「あーー!行きました」って。

菅)わーー!

平)家具だし、行商して即決する、ってことはなかったんだけど、まあ面白かったよ。一人旅的な。

菅)泊まるのはどこだったんですか?

平)車!汗臭いまま行くのはあれだから、朝にスーパー銭湯みたいなところで風呂に入って。それから、「行くか!」って。いく先々、ほとんど初めての場所ばかり。

菅)飛び込み営業だ。

平)そう、あとは照明作家の谷さんもマイスター時代からの付き合いなんだけど、あの人も行商スタイルで一軒一軒行ってたから、「どこ行きました?」とか聞いたり。

菅)個人の作家さんでもそうやって営業するんですね。

平)うん、ホルツにも、作家さんがときどきくるよ。

菅)置いてもらえますかって言われる側になったんだ。

平)まあ「置いてもらえますか?」っていう側でもあるけど笑 

菅)やっぱり行商してたその一ヶ月、大きいですよね、経験として。

平)15万円くらいしかなかったから、お金無くなりそうなところで帰ってきた。ご飯もあんまり食べてなくて。ご馳走してくれた人もいたり。明らかにお金なさそうだから、神戸に行った時もオーナーに「今日どこ泊まるの?」って聞かれて、「車です」って答えたら近くのカレー屋さんに連れてってくれて、その時にそこのお店にいた女の子が今秋田の知り合いのビルの中でお店やってたり笑 確かにいい経験だったし、人との出会いはホント面白いよね。

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ホルツの大きな窓の前を二人の女性が通り、ドアを開けてお店の中へ。
「いらっしゃいませ、お久しぶりです」と平山さんが声をかけた。
平山さんの20代に、タイムスリップしたようなお話の時間はここまで。

さてイベントのご案内です。


9月3日、B&Bの「喫茶もりおか」では「走る家具屋」平山さんの「走る」お話がたっぷりと聴けると思います。
そもそも、走り出すきっかけはなんだったんだろう。
本を作る時、アナログ?ファウンディングしたってきいたけど、それってなに?

「kakeashi/かけあし」の編集をてがけた、まちの編集室 木村敦子さんをもう一人の店主にお迎えして、平山さんのマラソン愛が形になっていくまでのお話、伺います!

そして、9/2.9/3はB&Bにこんな商品が並びますよ。お買い物もぜひお楽しみください。


↑10月27日に開催される『いわて盛岡シティマラソン』の非公式 トートバックです。カレッジモノのデザインをベースにコース高低図も組みこまれています。

↑トートと同じデザインの非公式Tシャツも!素材は、コットン・ドライの二種類です。

↑手のひらにコロンと乗る家形キーホルダー「IECORO(イエコロ)」。木の種類は10種類以上あり、その時々で使用する材は変わります。

↑「IECORO」のRUNバージョン!「RUNCORO(ランコロ)」。サブ3、サブ4、サブ5。願掛けに使いたくなりますね。

↑Holzオリジナルの「kasane kop(カサネコップ)」。食堂にあるおなじみのあのグラスの形をイメージ。優しい口当たりの飲み口。


自分の好きなことにまっすぐ、淡々と情熱を注ぎつづけ、それを平山さんなりの形にしていく。お店も、家具も、そして「kakeashi/かけあし」も、その形のひとつなのだと思います。

9月3日、音楽を添えてくれるのは岩手出身のシンガーソングライター「けもの」の青羊さん。


最後までご覧いただきありがとうございました!ランナーの方も、家具好きな方も、盛岡好きな方も「けもの」ファンもぜひぜひ!盛岡の地ビールベアレンビールで乾杯しましょうー!



てすと