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社会人のわたしがロサンゼルス留学を決めたわけ【渡米編】


第5話【ビザ編】はこちらから。

続きものなのではじめを逃した方は第1話をどうぞ。


「重量超過ですね。お荷物を軽くするか、超過料金をお支払いになられるかいかが致しますか?」

2010年9月14日、いよいよロサンゼルスへ出発の日。

わたしは関西国際空港の大韓航空チェックインカウンターにいる。

大韓航空だと直行ではなくインチョン経由になるけど、アメニティーが充実し座席が広く、機内食にピビンバが出るからお気に入りの航空会社なのだ。

近頃じゃJALの方がチケットがお得だからもっぱらJALばかりだけど…。

1年を目途に留学する予定で持ってきた荷物はスーツケースと大きなボストンバッグを1つずつ。

中身がパンパンになるまで洋服を詰めたもんだから見事重量超過になってしまった。

「あぁ、すみません。そしたらスーツケースの中を軽くします」

チェックインカウンターの隅により、重いスーツケースをあけ荷物をボストンバッグへ移す。

移しては重さを計ること数回、なんとか規定内におさまり無事チェックイン完了。

余談だが、ロサンゼルスには安くてかわいい洋服がたくさんある。

なので洋服は最低限もってきて、あとは現地調達でいいと思う。


パスポート、I-20、銀行残高証明書を手持ちバッグの中へ入れ、見送りにきてくれた母親へ手を振る。

「じゃあ、わたし行ってくるから」

ポツンと佇みこちらを見ている母親を見ると胸が締めつけられたが、もう後戻りはできない。

こうしてわたしのロサンゼルス留学が幕を開けた。

このあと自分の身に思いもよらない出来事が起きようとも知らずに…。



ロサンゼルスでの初挫折

約12時間のフライトがそろそろ終わろうとしている。

真っ青の海、どこまでも続くビーチに打ち寄せる白い波を飛行機の小窓から見下ろす。

ついに来ちゃったじゃん、ロサンゼルス!

これから始まる生活を想像しただけで胸が高鳴った。

好きなだけサンタモニカビーチにいけるし、ベニスビーチからの夕陽だって見たい放題。

考えただけでワクワクが止まらない。

ロサンゼルス空港に降り立った瞬間、フワッと鼻を通り抜ける”外国の香り”に現実味が増す。

ビビっていた入国審査はさほど質問されることなくあっさり通過。

荷物をとり出口へいくと、お迎えにきてくれたお友達の姿に思わず顔が緩む。

前回ロサンゼルスに来たときもこのお友達宅に泊まらせてもらっていて、今回も1か月間お世話になる予定だ。

その間にルームシェア先を見つける。

これがロサンゼルス生活の第一目標。

学校が開始する30日後までになんとしても家を探さないと。

挫折①家探し問題、内見できない

ゆっくり観光する暇もなくわたしは早速ルームシェア探しを開始した。

友達いわく、アメリカでは社会人でもルームシェアをするのはごく普通で、不動産屋を介さずウェブサイト上で個々にやり取りして決めるとな。

そこで教えてもらったのが

びびなび Craigslist

ルームシェアや職探し、個人売買なんかができるポータルサイトだ。

日本人ルームメイトを探すならびびなび、それ以外はCraigslistが主流らしい。

「学校から自転車で通える場所がいいから、第一希望はサンタモニカで探してみようっと」

早速Craigslistを開くと当然だけど英語でびっしり書かれたサイトが目に飛び込んでくる。

英語ページを目の前にすると”わかならい”という拒否反応で眩暈がしそうだったが、画面にかぶりつき格闘。

ようやくたどり着いた”ルームシェア”をクリックするとエリア、家賃、物件写真つきのリスト一覧が表示された。

Craigslistを見ればわかるけど、ルームシェアのページに飛ぶのはめちゃ簡単だ。

小学生並みの英単語しか知らないわたしには、英語のウェブサイトを使うのはかなり高い壁だった、それだけのこと。

「ルームシェアを探すコツは数打ちゃ当たれ。とにかく少しでも気になったらメールをするんだよ」

友達のアドバイスに従い良さげな物件にメッセージを送ってみた。

もちろん英語でだ。

察しの通り英語力ゼロのわたしが頼れるのはGoogle先生のみ。

簡単な自己紹介と内見がしたいことを書き、翻訳ページで訳された英語をコピペ。

「よし!10件以上はメールをしたからあとは返信を待つのみだな♪」

ちなみに家主の友達は帰国子女で英語ペラペラ。

聞けばどんな英文を送ればいいか教えてくれただろう。

でもこれからは自分の力で生きていかないとだから、できそうなことは自分でやらねば!そう思い頼ることはしなかった。

メールを送ってから2日後…。

「あれ!?メールの返信1件もないな…。ひょっとして届いてないとか?再送してみるか」

探すも同じ物件はリストに出てこない…。

メッセージはサイトを通じて送られていて、相手のメアドがわからない仕組みになっている。

携帯番号を載せている物件もあるけどメモってないし、あったところで電話なんて絶対ムリ(汗)

「うそ…ってことは前回見つけた物件はもうルームメイトが見つかったってこと!?」

いい物件は募集をかけた当日に決まるなんてのはよくある話。

呑気にかまえていたら一生決まらない。

携帯番号が記載されてあったら速攻で電話をするか、テキストするのがベスト。

実はけっこうメールを見ていない人が多いのだ。

日本語OKなびびなびとは異なり、Craigslistは返信率が悪く、内見アポイントが全くとれずつまずく留学生も多い。


留学生がルームシェア探しで苦戦する第一関門。

”メールの返信がこない”

ロサンゼルスの洗礼をしっかり受けたわけだけど、当然このときはそんなこと知る由もなく…。

「人のメールを無視するとかありえないんだけど!(怒)」


挫折②何言ってるかわからない、バッサリ斬られる

1日中Craigslistに張りつく日々。

自分が日本人であること、留学生、年齢、どれくらい住みたいのかなど前回より自己紹介文を濃くし、手あたり次第メールを送りまくった。

そして数打ちゃ当たる戦法が功を奏したのか、ようやく2人から返信があり内見予約をとることに成功!

「よし!どっちも第一希望のサンタモニカだし、いい家が見つかるといいな~」


迎えた内見当日。

滞在先の家からサンタモニカまでは自転車で行くことに。

片道約1時間(汗)

高く伸びるパームツリー並木を通り、何度もなんども内見イメトレをしながら自転車をこぎこぎ。

9月のロサンゼルスは、はっきり言ってまだ真夏。

強力な紫外線攻撃に負けじと日焼け止めを塗るも、正直そんなの気休めでしかなく焼けるときはやける。

炎天下の中、首の後ろがジリジリと焼けるのを感じながらようやく1軒目の物件に到着。

「えっ…やば」

目の前に現れたのは朽ちかけたボロボロの一軒家。

緑のペンキで塗らたその家はペイントが大胆に剥げて柱や外壁がむき出しになっている。

入り口にある薄汚れたアメリカ国旗が不気味にゆらりと揺れ、まるで遊園地のお化け屋敷のよう。


住所をメモした紙を見返す。

「ここで間違いないみたいだな。うーん、このままブッチするか…。でもせっかく来たし、ええい!」

どうにでもなれ~とインターホンを押してみた。

「やあ、どうも、君がReikoかい?」

白髪交じりの白人ひげモジャおじさん、いやおじいさんがドアを開ける。

「あ、そうですReikoです(汗)」

早速中へ通してもらうと、埃っぽくカビ臭いにおいが一気に襲ってくる。

昼間なのに太陽が全く入らない暗くどんよりとした室内、歩くたびミシミシときしむ床。

ぶふぇ~、なんだこのおっさん臭いにおい。わりと加齢臭いけちゃうわたしもさすがにこれは無理だわ…。

入り口すぐ右側にはレトロな木製テーブルにロッキンチェア。

そこでウイスキーらしきものを飲んじゃってる、これまたおじいさん2人の姿が見えた。

「彼らは僕のルームメイトだよ」

にっこりと髭モジャさん。


この顔を真っ赤にしたおじいさん2人もルームメイトだとぉぉぉ?

怪しいドラッグでもやってそうな虚ろな目をした人達とルームシェアなんて危険すぎる!

空いているというお部屋には、黄ばみベージュに変わったレースのカーテンがかかり、天井は蜘蛛の巣がはっていた。

ここは完全ホラーハウスで、まるでアトラクションだわ(汗)

日当たりがいいだの言ってるおじいさんの言葉は全く耳に入らず、適当にその場をやり過ごし見学終了。

帰り際おじいさんが玄関のドアをあけると、眩しいくらいの光が目を刺す。

「今日は来てくれてありがとね。君の英語がちょっとわかりずらかったけど会えてよかった、気に入ったらまた連絡ちょうだい」

自分の英語は理解しづらいと言われ軽くショックを受けるも、不気味な屋敷から解放されたことにホッとした。

「ここはとんだハズレだったな。仕方ない、次つぎ!」

2軒目はサンタモニカの5thストリートにあるアパート。

学校が2ndストリートだから自転車で10分もあれば着くかなり好立地。

もちろんビーチまでも近い。

アパート周辺はパームツリーに囲まれたおしゃれな家ばかりで治安がいいと一目瞭然。

カフェやオーガニックスーパー、セレクトショップが立ち並ぶモンタナアベニューもアパートのすぐそばだ。

もうこのロケーションだけでテンションが上がる。

鉄格子のアパート入り口のドアを開け、教えてもらった部屋番号の前でベルを鳴らす。

中から出てきたのは細かなパーマのかかった赤オレンジ色の髪の女性。

わたしより少しだけ年上だろうか…。

「はじめまして、わたしはパメラ。よろしくね」

赤毛のアンみたいな元気いっぱいのパメラの笑みが、さっきのお化け屋敷の記憶をかき消す。

玄関ドアをあけると一面ベージュのカーペットが広がる。

その上を土足で歩くパメラを見て違和感を覚えたけど、これがアメリカ式なんだと言い聞かせ彼女の後につく。

入ってすぐ目の前がリビングダイニングルームで、右側にキッチン。

その奥に寝室2つとバスルームが2つ。

プライベートルームに専用のシャワー、トイレがついてくるようだ。

これはポイント高い。

空き部屋のカーペット床に所々シミがあるのは気になったけど、この立地で光熱費込み家賃$780は破格。

10年前とはいえ、それでもサンタモニカのビーチ近く、プライベートバスつきで$780は掘り出し物件。

今なら絶対この価格じゃ見つからないし、最低でも$1,500くらいはするだろう。

やっぱり土足でカーペットの上を歩き回るのに抵抗があったけど、そんなことより終始笑顔の彼女にすっかり安心しきったわたし。

一通り見学を終え、リビングルームのソファにゆっくりと腰をかけたパメラは冷たい目でこう放った。

「ってかさ、あなたのメール意味不明すぎて解読するのが大変だったわ。あの英語じゃ誰も理解してくれないでしょうね」

さっきまでニコニコしてたパメラはどこへ行ったの?ってくらいそこに笑顔は一切なく、小馬鹿にした顔でわたしを見る彼女の姿だけあった。

緊張気味にGoogle翻訳を使ってメールを打ったと画面を見せるわたし。

「あぁ、だからかぁ。こんなのダメよ。全く通じないから」

Google先生は完璧だと思っていたのに…。

英語の聞き取りができないわたしをパメラが察し、簡単な単語を使ってくれたおかけで彼女の言っていることが何となくわかった。

と同時に面と向かって意味不明と言われ、バッサリ切り捨てられたショックは計り知れない。

想像してみてほしい。

「あなたの英語、何言ってるか全然わからないんだけど」って真顔で言われる感じを。

日本じゃ簡単な家探しも、ロサンゼルスでは一筋縄ではいかない。

当然のことだけど英語ができないとここでは生きていけないんだ。

自分の置かれた状況をつきつけられたわたしは焦りを感じた。

ノリで何とかなるどころの話じゃないな…。

この後も他の物件探しをしてみたけれど、これ以上の好物件は見つからず、後日パメラに再度コンタクトをとり契約が決まった。

このあと予想外の光景を目にしたわたしは驚愕の事実を知ることになる。

おまけ

尾道の日本酒バーがオープンし、大阪へ戻ってきたわたしは完全にもぬけの殻と化していた。

「わたしができるものって何だよ…、わたしは何者になりたいんだよ…」

もがけばもがくほどかるみにハマり沈んでいく底なし沼のように、あれやこれやと考えてみるものの答えは見つからずグルグルするだけ。

このときのわたしはまさにそんな状況だった。


人はとりあえず興味のあるものから始めてみればいいじゃないかと言う。

でもわたしにはその”興味のあるもの”すらないんだよ。

何か資格でもあればまた変わるかと思い、宅建を2回受けたけどあっさり落ちたし。

いつものようにボーっとネットサーフィンなんぞしていたそのとき、ふとあることが頭をよぎった。

「AVって一体どうやって作られているんだろうか…?」

すかさず唯一知っていたあの制作会社名を打ち込む。

”ソフト・オン・デマンド(SOD)”

SODのことはマネーの虎で知った。

個性的なキャラの社長さんだったから覚えている。

目がチカチカするほどド派手なウェブサイトの隅に見えた求人募集という文字。

撮影現場アシスタント募集!

これだ!ピカーンっと頭の上で電球が光る。

「今まさにわたしがやりたいことは、AVがどうやって作られているか知ることだわ!」

早速、履歴書を送る。

そしたらなんと1週間後くらいにSODの社員と名乗る人から電話がかかってきたのだ。

「履歴書拝見しました。一度面接に来てもらえますか?」

まさか返事がくるなんて思わず、いや来なかったらそれはそれで悲しいけど、とにかく面接してくれるということに驚きを隠せなかった。

「も、もちろんです!ぜひお願いします!!」

こうしてはるばる大阪から東京の新中野にあるSOD本社へ行き面接を受けたのである。

結果は即採用。

なんでかって?

面接してくれたのはわたしをゴミと呼んだ直属の上司となる人で、彼はメイクアシスタントを探していたのだ。

「美容専門学校を卒業しているんですね。僕メイクアシスタントを探しているのですが興味ありませんか?」

メイクなんて全く興味なかった。

でもアシスタントになれば現場にいけるし、興味ありませんと言うと不採用になるだろうから、嘘でも「是非やらせてください」って言ったんだよね。

それで採用になったってわけです。

「わたし就職が決まったから。1週間後くらいには東京に引っ越すね」

「…マジで言ってんの?」

驚く友達。

わたしってホント後先考えないですぐ行動しちゃうし、自分のことだけしか見えていない人間でして。

家族にさえ東京へ行くことは事後報告だったし、友達には引っ越し直前で伝えるしさ、好き勝手に生きてきすぎた。

ひどい奴だわ。

若いときに色々な経験をするのは大切だ思う。

でもAVの撮影現場が見たいがために制作会社へ就職する人なんてどこにいるだろうか?

監督やプロデューサーになりたかったわけじゃない。

ましてやメイクなんてもっと興味がなかった。

ただの好奇心と環境をガラリと変えてみたかっただけ。

ロサンゼルス留学を決めたのだって、理由は後付けであって結局は逃げたかっただけなんだよね。

東京に出たときも同じ。

就職という口実をつくり、新しい場所で1から心機一転がしたかった。

新しいところへ行けば、今よりもっとワクワクした楽しい人生が開けるかもしれない。

そのためにはここから抜け出さないと。

なんと浅はかな。


はじめてアイツが現れた21歳の頃、わたしはこの先自分の人生をどう生きればいいのかわからなかった。

留学を決めた29歳のときだってそう。

アイツが現れるのは決まってわたしが人生の迷路から出れなくなり、リセットボタンを押したいとき。

でもわかったんだ。

環境がわたしを変えてくれるんじゃない。

自分自身が変わらないことには、どこにいようが同じだってことに。

それを気づかせてくれたのは、紛れもなくロサンゼルスで経験した語学学校生活があったからだろう。

【学校編】へと続く。



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