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傾聴と貢献

僕は"傾聴"と"貢献"に生きがいを感じます。僕が他者貢献することで、その人がまた他者に貢献したくなる。この連鎖が起きることで、みんながより幸せに生きられる世界になると信じています。

タケです。
三重県で育ち、大学の4年間は神戸に在住、大学在学中にはカナダへ1年間留学した経験があります。今年から横浜で会社員として勤務しています。

 今回の記事では僕が大事にしている"傾聴"と"貢献"について書きます。

"貢献"

ここで書く"貢献"とは、他者への貢献(他者貢献)のことです。
他者貢献することで自分の存在価値を感じられる。また、「自分は誰かの役に立っている」思うことで幸福感を得られると信じています。

 この考えはアドラー心理学から影響を受けました。因みに、僕の人生バイブルは「嫌われる勇気」「7つの習慣」です。楽観主義者のSimon Sinek [サイモン・シネック]さんの考えも大好きです。サイモン・シネックさんはTEDのスピーチで有名ですのでご存じの方も多いでしょう。

 "他者貢献"と聞いて、よくある誤解が以下のようなものです。

「それは周りの人に尽くすために、自己犠牲しろってこと?」

これは断じて違います。
むしろ真逆の考えです。
"他者貢献"とは自己犠牲を通して他者に尽くすのでなく、「自分」の価値を感じるために行います。つまり、自己を犠牲にしているのではなく、自分のために行うものです。言うまでもなく、仕事を通して他者貢献することができます。

仕事だけでなく、電車で席を譲ったり、落とした小銭を拾ってあげたり、スーパーの店員さんに笑顔で「ありがとうございます!」と言うことでも、他者貢献することができます。大事なのは、自分が「他者貢献できている」と思えるかどうかです。

 他者に貢献したときの"あの気持ち"は何にも代えられません。

ここで、自分のために行う他者貢献を"偽善"と言う人もいるでしょう。「自分が気持ち良くなるために他者貢献するなんて、なんかいや」という人もいるかと思います。

でも、僕は信じています。
「僕が他者貢献することで、その貢献を受けた人が他の人に貢献したくなる。その連鎖が続くことでより良い世界になっていく。みんながより幸せに生きられる世界になっていく。そして、そんな世界を目指すには誰かが始めなければならない。」

そうです。だから始めます。僕が始めます。

また、他者へ貢献することで、その貢献を受けた人が他の人に貢献したくなるのは、幸せホルモンで有名な"オキシトシン"が強く関連しています。僕は"オキシトシン"を愛しており、書くと長くなってしまうので、また別の機会にでも書きます。


"傾聴"

他者貢献を通して幸福感を感じたい僕が、"傾聴"を大事にしているのは何故か。
それは人生バイブルである「7つの習慣」と、ある出来事から得た経験が強く関係しています。

「7つの習慣」の内、第5の習慣は「まず理解に徹し、そして理解される」です。その中で著者は"共感による傾聴"を説明しています。その中で僕に強烈なインパクトを与えたのが以下の文章です。

「私たちはたいていまず自分を理解してもらおうとする。ほとんどの人は、相手の話を聴くときも、理解しようとして聴いているわけではない。次に自分が何を話そうか考えながら聞いている。話しているか、話す準備をしているかどちらかなのである。すべての物事を自分のパラダイムのフィルターに通し、自分のそれまでの経験、いわば自叙伝を相手の経験に重ね合わせて理解したつもりになっている」

衝撃でした
今まで自分が「しっかり聴いている」と思っていた時も、恐らく全く聴けていなかったのだと痛感しました。著者は"共感による傾聴"について以下のように説明しています。

「共感による傾聴とは、まず相手を理解しようと聴くことであり、相手の身になって聴くことである。相手を理解しよう、本当に理解したいという気持ちで聴くことである。」

何度も何度も読み返している部分です。何故なら、何度も振り返らないとすぐ忘れてしまい、自分よがりな"聞き方"をしてしまうからです。20年以上続けてきた"聞き方"を正すのは容易ではありません。地道に気長にコツコツと"傾聴"への意識を持ち続けていきたいと思います。

また、もう一つ、僕が"傾聴"を大事にしていこうと心に決めた出来事がありました。

僕は兄が2人、弟が1人います。4人兄弟です。全員男です(笑)。
去年のある時、長男が心の病が原因で休職しているという話を耳にしました。最初に聞いた際は冗談だと思い、「いくら笑いが欲しいからってその冗談は行き過ぎやろ〜」と鼻で笑っていました。それほど、長男は"心の病"に似つかわしくない人間だと思っていたからです。

しかし、その話が本当であることがわかり、(嘘をついたことがない母からの報告だったので素直に信じられました)非常に驚きました。驚いたのと同時に、弟として心の病を患う兄に、何と声をかけたらいいかわからず困惑していました。とりあえず、LINEでいくつかメッセージを送りました。

月日は流れ、症状が穏やかになり、寛解に向かっていた長男から突然電話がきました。久々の長男との対話だったので、少し緊張しながら着信を受け取ったのを覚えています。

着信を受け取った僕は、「7つの習慣」の"共感による傾聴"を意識して兄と対話しようと決めていました。まだまだ、完全に身に付いておらず、強く意識しないとすぐに"自分を理解してもらおうとして"しまうからです。

兄が話す言葉一語一句、兄の表情(ビデオ通話だったので)、声の抑揚などすべて、すべてを理解しようと試みました。兄が楽しそうにしていたり、逆に苛立っていそうなら、「何が兄をそういう気持ちにさせているのか?」と兄の立場を想像しながら聴こうとしました。

本気で相手を理解しようとする"傾聴"は、気力と体力の消耗が激しく(自分が慣れていないからかも)、1時間話しただけなのに、もうぐったり。僕がしっかり"傾聴"できたいたのかは自分ではわかりません。ただ、自分なりにやりきってる自負はあったので、それなりの”貢献感”を感じていました。

そんな兄との対話を3度ほど行った後、兄が僕にこう言ったのです。

なんか、おまえと話すと楽になるわ。しっかり聴いてくれとるのがすげえ伝わる。ありがとうな。

 "傾聴"の力を実感した瞬間でした。同時に兄を楽な気持ちにできている、人の役に立っているという巨大な貢献感を感じた瞬間でもありました

この経験を通して考えました。

「人に話を聴いてもらうだけで気持ちが楽になる人がたくさんいる。それは心の病を患っていようがいまいが関係なくて、人間誰しもが欲していることなのではないか。そうであれば、僕がその方々の話を"傾聴"することで他者貢献できる。そして、他者貢献の連鎖が始まりより良い世界にしていけるのではないか?」

的確なアドバイスや問いかけをするのは難しいかもしれません。ただ、僕でも"傾聴"はできる("傾聴"が簡単だと言いたいのではない)。"傾聴"を通して他者に"貢献"していきたい!、と心に決めた出来事でした。


 僕が大事にしている"傾聴"と"貢献"について書きました。多くの人に貢献してより良い世界にしていきたいです。ご愛読ありがとうございました。


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