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「関心領域」はある関心を想起させる丨映画エッセイ#5

映画「関心領域」は2024年アカデミー賞における、国際長編映画賞を受賞した素晴らしい作品だ。

原題:“The Zone of Interest”(邦:関心領域)
監督・脚本:ジョナサン・グレイザー

「関心領域」とは、アウシュヴィッツの収容所を取り囲む40平方キロメートルの地域(区画)を指す言葉である。ユダヤ人迫害における、最低最悪な地域であったと言えよう。

知っての通り、アカデミー賞の受賞には大きな意味がある。特に国際長編映画賞は、社会情勢の動きを考慮して選考される流れがある。(2020年に受賞したパラサイトが良い例である)

なぜ今この様な題材が選ばれるのか。
それはおそらく、世界情勢(世界で何が起きているのか)に対して目を背けずに向き合う姿勢が、人類に必要だからだ。

この作品は2024年に目を向けるべき問題がある。もしくは映画芸術科学アカデミーがそう宣言していると、僕はそう感じる。

そして我々が直視しなければいけない問題は何か?

それはイスラエル・パレスチナ(ガザ地区)問題である。


関心領域とは?

先に述べたとおり、「関心領域」とはアウシュヴィッツの収容所を取り囲む40平方キロメートルの地域のことである。

では、アウシュヴィッツの収容所とは何なのだろうか?

「アウシュヴィッツ収容所」とは、アドルフ・ヒトラー率いるナチス政党が行ったユダヤ人迫害という大規模な軍事政策である「ホロコースト」において、捕らえたユダヤ人を収容するドイツ軍の絶滅収容所である。

ただの収容所ではない。絶滅収容所ということは、その名の通り最終的に虐殺を行う監獄なのだ。この世界で、こんなにおぞましく非人道的な場所があっただろうか……

※これ以上の説明は、ここではできない。(まだ僕が、ホロコーストという題材に対し書けるレベルに居ないからだ)詳しくは以下のサイトを見て欲しい。

つまり「関心領域」とは、隣で起きているユダヤ人の不当な扱いに全く関心を示さない人々、それらが当たり前のように暮らすアイロニーを込めた表現なのである。

「関心領域」と社会情勢

本作は2024年アカデミー賞国際映画賞を受賞した作品であり、その他5部門にもノミネートされている。

監督・脚本を務めたジョナサン・グレイザーはアカデミーの授賞式でこのように述べていた。

"All our choices were made to reflect and confront us in the present, not to say look what they did then, rather what we do now.
(これまでの人類の選択は、私たちを映し出し、そして向き合うためのものだ。彼らが何をしたか目を向けろ、という訳ではない。むしろ私たちが今何をするのかだ。)
Our film shows where dehumanisation leads at its worst. It's shaped all of our past and present.
(我々の映画は、「非人間性」がどんな最悪を導くのかを映し、そしてそれは私たちの現在と過去、全てをかたち作っている。)
“Whether the victims of October 7th in Israel, or the ongoing attack on Gaza, all the victims of this dehumanisation, how do we resist?"
(10月7日時点での「非人間性」における犠牲者は、イスラエル、そして今も攻撃を続けるガザ地区のどちらにもいる。私たちはこれにどう抗っていけばいいのか?)

https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-68531229

着目すべきは、グレイザー監督が受賞スピーチでイスラエル・パレスチナ問題に触れた点である。

「関心領域」という映画の根本には、このガザ地区における戦争への接し方を再認識しなければならない、という問題提起が孕んでいるだろうか?

少なくとも、我々はナチスによる侵害の過去(選択)をしっかりと見極め、今起きている問題に真摯に向き合わなければいけない。

「構図」で見えてくる二面性

この作品の最大の特徴は「構図」である。
建物と風景、キャラクターの配置、そして音声による構図が完ぺきだ。

撮影技法は固定カメラとなっていて、これにより客観性を画面により表現できる。つまり、画面に多くの意図(情報)を載せることができる。

現代人は、既にアウシュビッツで何が起きたかを知っている。そう、「ホロコースト」におけるユダヤ人の大量虐殺、”dehumanization(非人間性)”な最悪である。一生理解することのできない悪の所業。

Dirty deeds done dirt cheap(いともたやすく行われるえげつない行為)

「関心領域」に住むヘス一家は、アウシュビッツ看守長であるルドルフ(クリスティアン・フリーデル)のもと、裕福な暮らしをしている。画面に映し出されるのは、祝祭的なユートピアのような日常だ。

だが、広く撮られた画角の背景には、アウシュビッツで行われているえげつない行為が示唆的に紛れ込んでいる。

ユートピア的な生活の背後に映るディストピア。このような2面性の対比が、一つの構図で表現されている。

そこに加わるバックグラウンドミュージック。人々の悲鳴と銃声音。それが何度も何度も表されている。

グレイザー監督によるこの構図は、“The Zone of Interest”という言葉をかなり皮肉っている。それは、ヘス一家の映し出される特徴が背後(犠牲とも言える)への「disinterest(無関心)」だからだ。

家族や自分たちの生活に「関心」を向ける姿と、隣の世界への「無関心」な姿による二面性である。

ガザ地区とは?

ガザ地区とは、イスラエルと隣接した小さなパレスチナ自治区のこと。

ガザ地区はイスラエルとエジプトの境界に位置し、面積は365平方キロメートルで、東京ドーム8個分くらいの広さしかない。そこに200万人以上が暮らしているため、ものすごく人口過密な自治区である。

ガザ地区にはパレスチナ人(イスラム教徒)が住んでおり、そこにはイスラム教至上主義である「ハマス」というパレスチナの武力組織もある。

ガザ地区の特徴として、

  • 人口が過密している

  • イスラム教の地域である

  • 武力組織「ハマス」がある

  • 敵対国のイスラエル(ユダヤ教)と隣接している

2005年まで、ガザ地区はイスラエルの占領地であったが、両国の和平としてパレスチナにガザ地区を明け渡した。
だが、ハマスによりガザ地区が占領され隣国のイスラエルとの武力衝突が絶えない地域となった。

そこから10年近く、ハマスによるミサイル攻撃、その報復としてイスラエルによるガザ地区進行など、2015年の和平協定まで争いは続いた。
和平のあかしとして、ガザ地区とイスラエルの境界に大きな壁が建設された。

それが全長65キロにも及ぶ「天井のない壁」である。

一時の凪の終わりを告げたのが、2017年のトランプが大統領就任である。トランプは重要な地域である「エルサレム」をイスラエルの首都に認めてしまい、また大規模な紛争が起き始めた。

イスラエル・パレスチナ問題

「エルサレム」はユダヤ教、イスラム教の聖地であることから、かなり重要な地域だ。トランプによるイスラエル首都宣言で、大規模な紛争が再発するほどだ。

語弊を恐れずに言うならば、この問題は「ユダヤ教(イスラエル)」と「イスラム教(パレスチナ)」の聖地(エルサレム)を巡る宗教的な争いである。別要素もおそらく多いだろうが、宗教が密接に関係していることは確かである。

そして、イスラエルの侵略とパレスチナの報復、この対立関係は戦争の歴史を繰り返している。まだ被害は世界大戦ほどではないにしろ、現代の「ホロコースト」がいつ起きてもおかしくない。

結びに

日本は島国である。鎖国文化が根付き、自国への関心に比べ他国への関心が国民全体としてい水準にある。(第二言語を覚えようとしないのが良い例だ)

これは個人の問題というよりかは、社会性の強い問題といえる。個人で変えていけるのは辛うじて意識レベルだけであろう。

だからこそ、「関心領域」は日本人が観るべき一つの作品だと感じた。現にじっとしていられない、思ったことを誰かに共有しなければならないと思ったからこそ、このように僕は筆を走らせている。

映画をエンタメレベルの認識から、もっと修学的なものとして捉えてみることで、また違った見方ができるのではないだろうか。

二◯二四年五月
Mr.羊
#映画レビュー
#エッセイ

感想はFilmarksで書いてます。


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