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低血圧だったかもしれない先生

 昨日は小学生から高校生の間の先生たちについて書きましたが、今日は自分が大学時代にもっとも影響を受けた先生のことについて話します。今回は記事に画像を使う練習もしてみました。

 彼とは大学一年の終わりの頃に出会いました。私が通っていたカリフォルニア州のパサデナ市にあるアートセンターという美大のイラストレーション科は、講師に有名な現役イラストレーターを多数雇っていました。後から知ったのですが、講師になるのに「現役で分野の仕事している」という条件が必須らしい。でも私はその先生の名も知らなかった。でも周りや先輩が「この先生すげーよ!」というので、友人達に勧誘されて一緒に講義を受けることになりました。

 後日、講義を受ける前に先生の名前を検索して作品や経歴をみた。生徒達はなるべく尊敬する先生の元で学びたいので、他にクールな作品を描いている先生はいないかと、みんな必死に先生達の作品を調べていた。彼の絵は立体的に細かくペインティングされた動物をデジタルでコラージュにした作品が多かった。でも動物達をよく見ると目は血走っているし、なんだかグロテスクな仕上がり。人物を描いたものもあるが、色味が暗くてプロポーションも変だし、たまに人体がバラバラになってるし、とにかく怖い。血やグロいものが苦手な自分は個人的にあまり良い印象は無かった。漫画とアニメが好きで、日本の淡い色合いのシンプルな絵を描く若いファッションイラストレーターに憧れていた私。なのでこの先生にはまったくといっていいほど興味が湧きませんでした。アメリカで育ちながら、当時の視野が狭い私は日本のイラスト事情にしか関心が無かった。先生の凄さがわからなかった。友人達と一緒に講義を受けたいからという軽い気持ちで授業の「選択」ボタンをクリックした。

 その先生はJason Holleyというテキサス州出身のアメリカ人のおじさんでした。苗字が「聖なる」の響きに似ているにも関わらず、本人はあまり笑わず、いつもしかめっ面をしている人だった。アメリカ生活が長い自分。アメリカ人のおじさんは大抵子供に対してとにかくおおらかで、優しくて、コメディ映画でよく見るような明るい人ばかりだった。なので子供(自分達)に対しておおらかでも優しくもない態度を取る大人は初めてで驚いた。

   ジェイソンのクラスは朝八時きっかりに開始する。先生はいつも黒いコーヒーの入った大きな白いマグカップを片手に、(さっき起きたんじゃないか?)と思わせるような金髪のボサボサでトゲトゲの寝癖だらけの頭と共によろよろ教室に入ってきた。その光景をみながら私は(先生、低血圧なんだな。なのに朝のクラスで可哀想だ、)と思っていた。当時の高校卒業したての私はわからなかったが、今思えば彼は大学でフルタイムで講師をしながら、同時に本業のイラストレーターと一児の育児もこなしていたと考えたらそりゃよろよろになるわと今ならわかる。

 ジェイソンの授業は厳しかった。というより、大学だったしゆるい感じの先生が多かったので他のクラスに比べると厳しく感じただけだと思う。遅刻厳禁、破れば斬首刑。携帯禁止、音がなれば薬殺刑。宿題未提出は絞首刑。そんな感じの雰囲気が出ている授業風景だった。(ちなみに私は過去二回携帯のアラーム音がなってしまい、「やる気がないなら出て行け」と怒られてしまった。今でも先生の人を殺めるようなあの視線を思い出す。)

 先生はいつも生徒の最大力の力を引き出そうとしていた。「なんでこれを描いたんだ」と問われ理由をいえば「そんなの理由にならない。俺は何を描いたかなんて聞いていない。なんでこれを描いたんだ?」としつこく聞いてくる。いつもと違う画風のものを描けば「何を、どこで見て、そうなったんだ」と問い詰める。あまり褒めない先生だった。アメリカでは褒めて子を育てるという教育方針が一般的だったので先生は異端に思えた。というか思っていた。漫画やドラマでよく見る日本の根性論を叩きつける昭和親父みたいだな。こんなんじゃ先生ランキング落ちるぞ〜と失礼ながら心配していた。(アメリカにはratemyprofessor.comという学生達による大学の教授に対して評価する食べログのようなサイトがある)

 

 時間もたち、生徒達がジェイソンに対する好き嫌いも出てきたころ、私は中立視地点にいた。好きでも嫌いでもない、学ぶことがあるかもないかもしれない。自分はオタクで色んなことを入念に調べる癖があったので彼に「なぜこれを描いた」と聞かれれば「これはこの時代にこうしてああして作られたもので、その当時に比べてこれはこうだったのですが、今見てもあれで、そのなになにが好きで、どうして好きかというとあれとこれが合わさった感じがああしてこうなって輝きが出て素敵でその感じを表現したくて、そもそもこの輝きはですね、」と延々と語れたので先生は途中で「わかったわかった」となっていた。気難しい先生ではあったが、厳しくなるのは本気で生徒を対等に接しているからというのも、人見知りなのに生徒に歩み寄ろうとしている不器用さも、その中に含まれている優しさもどんどんわかっていった。「ジェイソンのクラスは厳しいし褒めないし、生徒を贔屓するし、課題の意味もよくわからない。」と言い出す生徒達が増えた。私は気にしなかった。

 ある日、突然ジェイソンに「なぜお前は日本のものばかり描くんだ。」と聞かれた。私は答えられなかった。なんでって。日本のものが好きだから。日本への愛とその愛がたまたまアメリカ人に受けた。ここで日本のものを描くのが評判いいから。自分が日本人で、クールジャパンなモチーフを描けばそれだけで自然と評判が良かったからだ。だから描いた。ある意味ずるだったかもしれないけど。色んな人種と文化が入りまじ合うこの場所で、数少ない純粋の日本人の自分が何かを描けば「これがジャパン」となり、描かれているものが本当かどうかなんて問う人間は誰もいなかった。その事実を逆手にとりながら計算し課題をこなしてきた。ジェイソンはそのことに気が付いたのだろうか。浅はかな考えを持った自分のことなんてお見通しだったのか。ともかく、私が「日本が好き」とそんなありきたりなことを言っても彼は納得しない。どうしよう。でも他に言える理由が思いつかない。その時に自分がなんて回答したのか覚えてない。でも日本人の自分が日本のものを描くことが当たり前だと思っていた私の小さな世界で、この先生の問いは自分の中で大きな影響を受けた。

 「どうして生きている」と聞かれたのと同じくらい衝撃だっだ。「生きたいから生きる」それに対して先生は「どうやって生きる」、私は「息を吸って吐いて、固定物と液体を胃にいれ栄養にして、それを元に体を動かす」と答える。「どうやって息を吸うんだ」と聞かれれば「口を開けて空気を自分の口内に引き寄せて酸素を脳に送る」と私はいうだろう。ジェイソンと話すときはそんな会話をしている気分だった。基本の基礎をよく考えて、基礎の常識をぶち壊して一から自分の基本を作る。そうさせてくれる先生だった。

(描き直す予定なのでまだ完成してませんが、アートセンター時代のことを漫画にした時にジェイソンの授業の一部始終を描きました。)

 彼の課題は「何かの物体を46個、違う画風で描く」(私はうさぎ)「行ったことのない場所に行きそこをイメージした作品を作る」(皆がゲイバーや砂漠などに行く中、自分はアパートの隣人の部屋に行った)「自分の一番の不安を描く」(私は誰かに窓の外から見られていること)など脳を柔らかく使うものも多かったが、「くじで引いた年号のことを調べて、一つの事件に絞りそのシリーズを描く」(私は1827年時代の火消しについて描いた)「一番好きな食べ物について調べてインフォグラフィックを設計する」(自分は大好きなロブスターについて)などリサーチ力を必要するものがあったりと、後々とイラストレーターになる上で役に立つことばかりだった。駅弁についてや友達の机の上の風景などシリーズ作品も描いた。今思えばシリーズものが多かったな。自分な好きなものも、嫌いなものも、ランダムで運任せに決まったものも、時代ものも、とにかく色んなものを課題を通して描いた。最初は思考も画風も硬かったものが、考えて変えて続けて試行錯誤して描くうちにどんどん良いものになった。一回描いてはい終わり、だったら生まれない作品が沢山生まれた。

 大学在学中にジェイソンの講義を合計5クラス受けた。1回目は先生の存在を知った。「変なアメリカ人のおじさん」だと思った。2回目は課題の意味がわかってきて、先生のことを尊敬できるようになった。3回目ではジェイソンと対等に議論できるようになった。4回目は先生に認められたくて頑張った。5回目は卒業する時にとった数年ぶりに復活した「Advance Illustration」というクラスだったが、次の学期には無くなっていたのでのちに幻のクラスとなった。普段はコンセプト作りを主に重視しているジェイソンが、珍しくイラスト業界の現場、仕事やスケッチについて教えたり、彼自身のラフ画を見せてくれるなど貴重な空間だった。その頃には先生の絵に対しても気持ち悪いとは思わず、かっこいい!と思えるぐらいに自分の世界は広がり、変化していた。最後に受けれて良かったな。まだ先生の授業を受けたい。一緒に成長し続けたいな。と思いつつ私はアートセンターを2016年の夏に卒業した。

 基本的にアメリカ人は久しぶりに知り合いや友達に会った場合には盛大のハグをするものである。お互い声をかけながら近づき、距離が縮まり、最後は軽くハグをする。卒業後、ギャラリーのオープニングや大学のイベントでジェイソンに会っても手をあげていつも通り眉を歪ませて「Hi」というものの、先生はたいてい一定の距離を保っている。ハグをするには微妙な距離だ。彼は馴れ合いをあまり好まない。私はそれをわかっている。他の先生にはまずハグをし、「ポール!久しぶり!元気?この前パサデナオールドタウンのポスターの仕事見ましたよ!」や「ブライアン久しぶり!絵本を作っているんですってね。育児との同時進行はどう?」などと、友人から聞いた話やSNSを通して知った近況情報をフル活用して話を切り出す。しかし、一番尊敬しているジェイソン先生は、そういう表面上の話をするのをあまり好まないのを知っている。彼はいつも「絵を描いているか?」と聞く。先生は無意識なのかもしれないけど。なので私はいつもジェイソンに再会しても、挨拶のハグはしない。先生のパーソナルスペースぎりぎりの距離を保ちつつ、思いっきりの笑顔で「ジェイソン!元気そうで何より。わたし、元気に絵を毎日描いてます。」と答える。

 先生が知りたいのは教え子が「元気」で「絵を描いているか」。それだけなのだ。そんなシンプルで真っ直ぐな先生が好きだった。結局最後まで先生が低血圧なのか、ただ単に朝が弱いだけだったのかわからずじまいだったが。

 気が付いたらまた長く書いてしまいました。ジェイソン・ホリーに対しては延々と語れるので、急ぎの依頼も入ったしひとまず一旦今日はここまで。先生の授業また受けたいなぁ。学生時代より更にパワーアップした自分がまたどう変化するか試してみたい。

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