見出し画像

「めんどくさい」の効用。の話。

どうも、リキッドです。
僕は、現在ダイエットをしています。それが、今のところ順調に続いていますし、体重が計画通りに落ちているんですね。
何をして痩せているのか?ですが、食事と運動を見直しました。食事を一日2食にし、運動は縄跳びとシステマ系エクササイズをやっています。

特に、縄跳びはほぼ毎日飛んでいます。1回で約15分跳びます。跳びます、跳びます。縄跳びは、ダイエット中の有酸素運動としてはすごく優秀だと感じました。それは、場所を選ばないということが大きいと感じています。

例えば、歩いて有酸素運動をする場合、30分歩くとすると、結構な距離を歩かなければなりません。しかも、雨なんか降っていると本当にめんどくさくなると思います。その点は、縄跳びは雨が降っていても、雨が当たらない場所さえ見つかれば、跳ぶことができますよね?つまり、できない理由が一つなくなったことになります。

何かをするときに、「めんどくさい」って思うことってあります。僕も自慢じゃないけどあります。めんどくさいから、洗い物は明日しようとか、めんどくさいから、片づけは明日にしようなど。しかし、考えてみると、人生自体が「めんどくさい」ことの積み重ねですよね。
だから、言ってみれば「めんどくさい」という言葉は、自分の行動をストップさせる呪いの言葉・呪文のようなものです。

例えば、掃除。どんなに部屋をきれいにしても次の日には必ず散らかっています。特に子供がいればなおのこと。きれいに片づけては散かり、片づけては散かる。この繰り返しですね。
どうせ散かるのだから片付けする意味があるのか?と考えると、「めんどくさい」にたどり着くのではないでしょうか?

僕も、めんどくさいと思うことって結構あります。例えば、ダイエットの話をすると、「今日は縄跳びをするのがめんどくさいなぁ~」と感じることがあります。こういう時はさんざん縄跳びをしない理由が自分の内側から湧いてくるんですね。
「ちょっと体がだるいしなぁ」「そういえば、今日は用事があったなぁ~」「一日ぐらい跳ばなくても大丈夫か。」
こんな感じです。

ここで、少し考えてみたいのが、さんざん、めんどくさい理由を自分の中で見つけた後、それでも行動する理由って何でしょう?
例えば、僕の縄跳びの例で言うと、なぜ、最初はめんどくさいと思った縄跳びを、最終的に跳ぶようになり、それが続いているのでしょうか?

これには少しポイントがあります。それは、僕が縄跳びをすることで「他の人にどう役立てるか?」を想像し、考えるということです。

これは大きな発見ですね。

例えば、僕はこう考えます。縄跳びをすることで体重を落とすとともに、自分の健康が高まります。そのことで、僕の家族は喜んでくれると思いますし、それは、僕が縄跳びを跳んで健康になることで、家族の役に立てている。ということなんですね!

「このダイエット(縄跳び)が誰の役に立つのか?」という目標設定は僕の原点であり初心です。(詳しくはアドラー的ダイエットに書きます)
初心忘れるべからずと世阿弥は言いました。逆に言えば、初心って忘れるものなんだと思います。だから、世阿弥の言葉が後世までずっと残っているのではないでしょうか?

さんざん、できない理由を列挙した後に

"これがきっと誰かの役に立つはずだ”

こう思うことで僕は「めんどくさい」の呪いを解いています

そう考えると、「めんどくさい」という呪いを解除すること。ここからすべてが始まると考えるのは大げさでしょうか?僕はあながちそうではない気がします。

人生はめんどくさいことの連続です。いいんです。めんどくさがっても。
むしろ、「めんどくさい」というところからスタートしましょう。

もしかすると、あなたにとってのめんどくさいが誰かにとってのありがたいかもしれません。

あなたの「めんどくさい」はどんなことですか?

それはきっと、誰かの役に立つはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?