見出し画像

「存在」へのまっすぐな呼びかけ

年の瀬も近くなってきました。今年はあまりに色んなことがあり過ぎましたので、今回は箸休めとして少し気楽な(取り留めのない)話をお許しください。

ずいぶん前ですが、その頃はまだ出会って間もなかった中学生の子に「挨拶って何のためにするの?」と聞かれたことがあります。

今思えば、それが何ともその子らしい「挨拶」なのですが、そのとき私は「『あなたの存在に気付いています』って伝えるためだと思う」と咄嗟に答えたのでした。

「こんにちは」「さようなら」

その言葉自体は習慣的で意味がないように見えて、誰かから挨拶を受け取ることは喜びです。

また、1歳を少し過ぎたばかりで「はいっ」以外の言葉をまだ持たない姪が、手元にあるものを手あたり次第につかんでは、その掛け声とともに私に差し出してくる。それ自体はまったく意味不明な行為だろうに、なぜか感動を覚えます。

しばらく学童保育で手伝いをしたさい、連日いっしょにいた小学生の女の子が「これ、彼女にあげて!」と、その子が無料で(!)ゲットしたおもちゃのイヤリングをくれたこともありました。まるで現実感のないその振舞いも、その瞬間、しばし時が止まるかのようでした。

いや、私は思い違いをしています。

意味はなくとも? 意味不明なのに? 現実感のないその振舞いも?

事態はまったくのあべこべです。現実的な意味などないからこそ、何かを受け取ることのうれしさは増すのです。無意味だからこそ、私という寄る辺ない存在へのまっすぐな呼びかけに、心が震えるのです。

こう気付いて私は、これまで受け取ってきたものの大きさにちょっぴり慄きます。

しかしいかに私でも挨拶くらいはできるものです。そうして今までの負債を返していけるでしょう。

「挨拶を忘れない」なんて小学1年生の生活目標みたいです。しかしいついかなるときも「私はあなたの存在に気付いています」と呼びかるのは忘れまいと、ひそかに決意して私は来たる年を迎えます。

寄付者の皆さま、2020年という大変な一年、本当にお世話になりました。どうぞ心温かに新年をお迎えください。

認定NPO法人Living in Peace
共同代表 中里晋三

本コラムは、「Living in Peace こどもプロジェクト ニュースレター 第120号からの転載になります

―お知らせ―

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました! ぜひ「スキ(ページ下部のハートマークをクリック)」やSNSシェアで応援してください!

【募集】Living in Peaceの活動はみなさまのご支援により成り立っております。また、メンバーも随時募集中です! 詳しくは下記よりご確認ください!

【SNS】SNSでも情報発信をしています!「いいね」や「フォロー」、「リツイート」などで応援してください!


この記事が参加している募集