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d.12 フィンランドを照らす光

気づかないうちに太陽の沈む位置が変わってきました。その光まで穏やかになってきたような。これから日毎に灯台の影が伸びてゆきます。その影はまっすぐ朝日の昇る方向を指しています。そう、明日に向かって ──。

フィンランドで暮らす人たちにとって「光」とは一体どんな意味を持っているのでしょう。デザインの中にある「光」も、どこか落ち着いた、自然を感じさせるものが多いような気がします。今回はそんなフィンランドの「光」を感じさせるガラスや照明、ジュエリーのデザイナーたちをご紹介します。

ヘレナ・テュネル

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Sun bottle (via Suomen Lasimuseo)

ヘレナ・テュネルは、ティモ・サルパネヴァやカイ・フランクと同時期にキャリアをスタートさせたガラスデザイナーです。最も知られているのは『太陽の瓶』で、1964年から1974年までの10年間製造されました。このボトルは、他の製造工程で窯に残ったガラス塊から作られたため、19種類の色と4種類のサイズがあるそうです。

Hellin Helena Tynell, 1918-2016
1918年 アーネコスキ(あぁ猫好き、笑)生まれ。
1938年 中央美術工芸学校に入学。
1943年 アラビア美術部門に所属、タイト社で照明デザイナー。
1946年 リーヒマキガラス工場でデザイナー。
1947年 照明デザイナーのパーヴォ・テュネルと結婚。
1976年 ドイツ・リンブルグ社へ。

テュネルは、タイト社で働いていた頃、ガラスに魅了され、1946年からリーヒマキガラス工場のデザイナーとなりました。この年はフィンランドのガラスデザインの転換期と考えられています。ちょうどこの頃、イッタラやヌータヤルヴィのガラス工場もプロのデザイナーとの協力を開始したからです。

彼女のガラスは、国会議事堂やホテルヴァークナなどでも使用され、ヘルシンキのストリンドベリ・アートサロンでフィンランド初のガラスアート展を開催するなど活躍の場を広げていきました。1976年にリーヒマキガラス工場がガラスの生産を終了すると、彼女はドイツに渡り、リンブルグ社で照明デザインやアート作品を制作しました。

パーヴォ・テュネル

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model A, 1965/model 9029-3, 1990 (via Bukowskis)

パーヴォ・テュネルは、フィンランドを代表する照明デザイナーです。1919年にタイト社を共同設立し、チーフデザイナーを務めました。彼の照明は、国会議事堂やホテル・ヴァークナ、ヘルシンキのラシパラッツィなど、1930年代から1950年代までフィンランドの公共施設で最も広く使用されました。またルヴァ・アアルトにとってもテュネルは重要なパートナーでした。

Paavo Viljo Tynell, 1890-1973
1890年 ヘルシンキ生まれ。
1917年 卒業後すぐ中央美術工芸学校の教師となる(1923年まで)。
1919年 タイト社を共同設立。
1947年 ヘレナ・テュネルと結婚。

ブリキ職人をしながら中央美術工芸学校で学んだテュネルは、タイデタコモ・コル社のために初めて真鍮のランプをデザインしました。彼はとくに機能性を重視していましたが、自然のモチーフを用いて、より装飾的になったのは妻ヘレナの影響だと言われています。彼の真鍮ランプは、アメリカでも成功を収め、しばしば「フィンランドを照らす男」と紹介されました。

また彼は、長年にわたり「プロの鍛冶屋」を自称していました。馬蹄を作れないと鍛冶屋にはなれないという冗談に、彼はこう答えたそうです。──「いえ、その代わりに私は車のフェンダーを作ることができます。」

サーラ・ホペア

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Marja (via Bukowskis)

インテリアデザインを学んだサーラ・ホペアは、学校を卒業すると、マヤンデル家具やパーヴォ・テュネルのタイト社で製図担当者として勤務しました。その後ガラスのデザインに興味を持った彼女は、1952年からヌータヤルヴィガラス工場のカイ・フランクの下で働くことになります。

Saara Elisabet Hopea-Untracht, 1925-1984
1925年 ポルヴォー生まれ。
1943年 中央美術工芸学校のインテリアデザイン科で学ぶ。
1952年 ヌータヤルヴィガラス工場の常設デザイナーに。
1954年 ミラノ・トリエンナーレで銀賞(1957年も)。
1959年 家業の宝石店を継ぐ。
1960年 写真家Oppi Untrachtと結婚し、ニューヨークへ。

父親の死後、ポルヴォーの宝石店の跡を継いだ彼女でしたが、結婚を機にニューヨークへと引越します。インドやネパールなどでも暮らし、1967年にフィンランドへ帰国すると、再び実家の宝石店で働き始めました。彼女はインテリア→ガラス→ジュエリーと表現方法を変えながら、多くのデザインを残しました。

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Necklace, 1981/Pendant, 1985 (via Bukowskis)

ホペアは、人間は飾るという原始的な欲求を持っており、自らを着飾らない人間はいないと考えていました。さらにこんな発言も残しています ──「人が装飾以外の目的で金属製のものを身につけたとしても、それらは宝石となり、飾りになるということが、ジュエリーの最も重要な機能なのです。」

ビョルン・ヴェックストローム

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Planetoid Valleys/Petrified Lake (via Lapponia)

フィンランドの有名なジュエリーデザイナー、彫刻家であるビョルン・ヴェックストロームは、ジュエリーメーカー、ラッポニアの創設者であるペッカ・アンティラと共に、幾何学的で独創的なデザインのジュエリーを数多く生み出しました。彼がシルバーを扱うとき目指したのは、フィンランドの雪に覆われた冬の風景と凍った湖を封じ込めることでした。

Björn Ragnar Weckström, 1935-
1935年 ヘルシンキ生まれ。
1956年 ヘルシンキのフィンランド彫金学校を卒業。
1963年 ラッポニアのデザイナー兼アートディレクター。
1965年 リオデジャネイロ国際ジュエリーコンテストでグランプリ。
2013年 カイ・フランク・デザイン賞。

彼の最も有名な作品は、1969年にデザインした『小惑星の谷』のネックレスです。これは映画「スターウォーズ」で、キャリー・フィッシャーの演じたレイア姫の小道具として使用されました。さらにジョン・レノンヨーコ・オノがTV番組に出演した際『石化した湖』を身につけていていたことも、彼のジュエリーが人気を博すきっかけの一つとなりました。

またヴェックストロームは、ヌータヤルヴィで『Fortuna』シリーズ(1979年)などのガラスデザインや、Fazer100周年の際にヘルシンキへ寄贈された『ファッツェルの雄鶏』(1991年) などの彫刻も手掛けています。

参考:Kansallisbiografia, Sokos Hotels, YLE

🇸🇪 Tack själv!
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フィンランドを知るには、まずフィンランド語かも。というわけで、古い参考書を紐解きながら、フィンランド語の辞典を書くことにしました。トントゥ検定3級です。 http://moicafe.com

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