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「きしょくわるい」の理由

今なら「いじめ」とされるだろうか。
小学6年生のとき、クラスの男子2人から何ヶ月かのあいだ嫌がらせを受けたことがあった。
例えば給食の時間、当番として配膳している私からは一切お皿を受け取らない。
しょっちゅう2人でこそこそと耳打ちしながらこちらを見てこう言うのだった。

「きしょくわるい」

もっともそういうことをするのはその2人だけ。むしろクラスメイトはみな「なんだあいつら?」というスタンスでいてくれたので、たいして気に病むこともなかった。

と言いつつ、やはり気分のいいものではない。なにより、とにかくしつこくてうんざりする。
しばらくしてこのことを母に話した。
ちょうどすぐあとに保護者も参加の学校行事があり、そのときに母は一緒に担任の先生のところに来てくれた。あの氷砂糖の先生である。

私がひと通り状況を話すと、先生は「んー、『キソクワルイ』?どういうことなんだろう」と首をかしげた。
昭和50年代、関東では「気色悪い」という言葉はほとんど知られていなかったように思う。
「関西のほうで使われる『気持ち悪い』のような言葉ではないかと思うのですが」と母が言うと、先生は「ふーむ、なんですかね。ふたりとも気があってちょっかい出してるんじゃないのかな」と、さらりと流した。

教室での私の様子や仲良したちとの関わりを見て、特に問題ではないとの見立てだったのだろう。とりあえずは静観という立場をとってくださったのはよかったと思う。
ほどなくやつらのうちのひとりが転校すると嫌がらせはなくなり、残ったひとり(EOとする)は何事もなかったかのようにへらへらと仲間に入るようになった。


さて、地元には公立校がひとつしかなく、ほとんど同じメンバーで中学に上がった。
相変わらずEOはへらへらしている。なんというか、じつは気弱でお人好しなところのあるやつだった。

半年ほどたったころ、あの嫌がらせの理由がひょんなことから判明する。

PTA活動の一環の母親学級のようなものから派生した習い事のグループで、EOの母と私の母が知り合ったのだ。どちらもわりに手先が器用で同じぐらいの進み具合。いろいろな好みも合って、意気投合したのだった。

ある日、母はそれとなくあの嫌がらせについて聞いてみたそうだ。
そこには驚きのいきさつがあった。


父は獣医だった。
といっても臨床はしておらず、研究系の仕事についていた。ときには動物の解剖をすることもあった。
部下に若く優秀な女性がいたのだが、なんとEOの叔父さんとの縁談があったという。

ところがお母さん(EOのお祖母さん)はそれに大反対していた。彼女を専門職を持っている鼻持ちならないタイプだと思い込んでいたらしい。
そしてよく、EOもいるところであれこれ難癖をつけていたという。
「動物の解剖なんて、真っ当な家の出の娘がすることじゃないですよ。あーいやだ。気色悪い!」などと言っていたのだそうだ。
そして何かの話から私までつながってしまったということらしい。

呆気にとられると同時に、やるせない気持ちになった。
おとなの言葉というのをこどもはよく聞いている。そしてさらにそれを真に受けてしまうことも多い。
人それぞれ、価値観や思うところがあるのは当然だ。お祖母さんが「気色悪い」という実感を持ったことは誰も咎めることはできない。
しかしそういったものを見境なく放つことには注意しなければならないと思うのだ。
そんなひと言が偏見を生むことを、おとなは心しておかねばならない。

ちなみにその若いふたりは無事に結婚にこぎつけた。
EOのお母さんによれば、
「母ったら、どこの馬の骨かわからない、とかさんざん言っていたのに、渋々認めてご実家に挨拶に行ったら、それは立派な家構えのお宅でみなさんきちんとされていて……私は恥ずかしくなっちゃったわよ」
とのことだった。

たまにうちに来るようになっていたEOのお母さんは、
「ごめんなさいね、うちのが嫌なことをして。厳しく(ゲンコツのジェスチャー)言っておいたから許してね」と頭を下げてくれた。
後日、EOも「あの……あれは悪かった」と謝った。
後にも先にもへらへらしていないEOを見たのはそのときだけだった。

不思議とEOに対しては今でも嫌な印象は残っていない。
へらへらは困るが、どこか場を和ませる雰囲気を醸すやつでもあった。長所を活かしてうまくやっていてくれればいいな、と思っている。


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