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コロナ過における日常のキロク〜はじめての「はじめまして」

はじめまして、ツチダサトシです。
デザイナーで、大学講師で、大学院生で、古本屋です。

毎日マスクをしています。空気も読んでいます。

2020年7月に43回目の誕生日を迎えました。

日記やブログのような「長続き」させるもの、が続いたことがないのですが、ふと「noteを1年間続けてみよう」と思ったのです。
理由は後述します。

●デザインと教えること、が主なナリワイです
長野県伊那谷を拠点に、「アトリエ・リム」というデザイン事務所を営んでいます。アートディレクション/グラフィックデザインが主な分野ですが、ブランディングと呼んでも差し支えないかもしれません。

クライアントは多岐に渡ります。商店街の個人店・企業・行政・学校など規模に関わらず「デザインのシゴト」を続けていくうちに7年目に突入しました。

http://atelier-lim.net/

4年前からは、長野市にある大学で「図画工作」などを教えています。中・高での「美術教育」とはやや異なるアプローチで、「手順や方法の理解、素材を知る、準備と片付けの工夫」を主眼において、身近な素材をつかった立体工作で「作る/わかる/支援する」という実践的な学習、役に立つ技術の習得を目指しています。

デザインや仕事にまつわるコトは、たくさん語れそうなので、改めて、後日「私の仕事」という別記事などですこしづつ掘り下げて紹介していきます。

●Withコロナの日常を記録する
どうして「note」を始めようと思ったか、
理由は「コロナ」です。

(ご存知のように)2020年に入った矢先のこの「コロナ過」により、さまざなな仕事や、クライアント、社会全体に大きな影響が出ており、日常の暮らしへの変容も余儀なくされています。その影響はあまりに大きく、全容も把握できません。後年の歴史家が、「コロナがひとつの【画期】であった」と間違いなく記すであろう出来事の渦中であるとさえ言えます。

とはいえ、この伊那谷は適度な「田舎」、、ストレスや強い同調圧力を感じることは、実はそれほど多くありません。

7月の始め、週に一度の大学講師の演習が、これまでのZoomを用いた遠隔授業から対面授業へと切り替わり、高速バスに乗って長野市へと向かいました。
往復約5時間の車中、だれひとりとしてマスクを取らず、咳もせず、静かにお互いの距離を取ることがこの数ヶ月で「当たり前」となっていました。県庁所在地で、それなりの「都市」である長野市は、伊那市の空気とは少し異なり、緊急事態宣言下とまでは言わないまでも、重たい雰囲気を感じとりました。

大学構内ではさらに厳重なチェック体制が敷かれていました。

ただ、この「当たり前の世界」は、数ヶ月前までの「当たり前」と地続きの世界です。変わりつつある世界や体験を、変わりつつある主体(当事者)として残すことはできないだろうか?

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精神科医の斎藤環氏がコロナ過での無意識的な変容として「コロナ時計と離人感」について語っています。

https://ami-go45.hatenablog.com/entry/2020/06/02/220733

コロナ時計と呼んでるんですけども、いま世界中の進み方がかなり同一になっている。
不潔な事を避けるとか、3密を避けるとか、あるいはソーシャルディスタンス。もともと医学的な要請なんですよね。そうすることによって感染を避けられますよ、マスクもそうなんですけど。ところがだんだんと道徳的な規範になっている。医学のはずなのに道徳になってしまっている。
自分も時間の感覚がおかしい。3月4月の遠近感の感覚、記憶の遠近感があいまいになってきまして、リアリティがない。こういう経験は今までなかった。あまり現実感がないというか、手応えがないというか。自分で自分の気持ちを奮起させようとやってみるんですけど、ちょっと踏ん張りどころがない。長く続いた自粛生活、引きこもり生活の副作用、影響じゃないかと痛感しているところです。離人感というんですけど、自分が離人症ぽいっていうか。自己診断なんですけどね。
対話ができないですよねえ。顔を見合わせながら、3密な距離で言葉を交わす行為だったんだなあと改めていま痛感しています。とにかく会えない。近づけない。マスクをしないといけないので表情が読めない。手足縛られちゃった感じですよね。本当に対話が難しいな、と。
家族、子供や奥さんと、できるだけ中身のない、くだらない、不要不急ののんきなおしゃべりをする。

ぜひ、リンク先のまとめ全文を読んでいただきたいのですが、誰しもが経験済みの感覚ではないでしょうか? そして、これらの感覚・体験を「記憶の遠近感」を伴ったリアルとして、もう一度「引き寄せる」試みが、あえて必要だと考えました。

個人の抵抗の方法として、確実に変容しつつある「日常を記録すること」に意味があると「直感」しています。「日常に溶け込んでいくであろうコロナ過における新生活様式=いつもの暮らしや仕事(不要不急なのんきなおしゃべり、という抵抗)」というテーマを設定し、大声にならず、中庸で、誰かと(多くの人たちと)同じような立場で、寄り添うように書き続けてみようと決めました。

だから、これはあくまでも単なる日記です。

●noteでやること
1. デザインの仕事についてのいろいろ
2.大学講師で担当する図画工作・幼児教育について
3.軽芸術(マージナルアーツ)
 大学院で追求しようとしていることです
4.本やメディアを通じた「インプット」についての覚書
5.「水色・青」をテーマにした写真表現の投稿
6.何気ない日常の記録・日記

上記の1〜6あたりが私が普段考えたり、作ったりしていることです。インプト/アウトプットの間に在るるプロセス(デザイン思考)を明らかにしたり、考察なども記していきます。
 

うまくいくかはわかりませんが、「事実やデータ」も時に明示しながら、「その時、デザイナーが考えたり、思ったこと」を日記・エッセー形式で綴ります。

この、「コロナ過」がある程度収束し、人々が日常へと帰還(どんな着地点になるのかは、まだ不明)したときに、2020年7月から2021年7月までの記録を誰かが参照することもあるかもしれないと期待しつつ(もちろん、自分で振り返ることも想定しています)、はじめます。



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