追憶─佐伯薫

夢かと思ったの。
もう二度と会えないと思っていたから。あの夏だけの思い出だと、胸の奥にしまっていたから。
背の高い後ろ姿。まだ新しいスカートのプリーツが揺れた。


気付いてみたら桜は散り始まっていて、自分ももう高校2年生になっていた。幼稚舎からずっと同じ学び舎にいるものだから新年度の新鮮さはとうの昔に無くなり、何の変わりもない穏やかな学校生活を送るだけだった。

入学式から数日経ったある日の昼休み。何やら外部入学の新入生がとても格好いいと噂になっていたから、気まぐれで1年生の教室へと足を運んだ。穏やかすぎる日常に、小さいことでも何か刺激が欲しかったのだ。

目的を同じくした数人の人だかりが出来ていたためお目当ての教室は幸いすぐに分かった。
黄色い声の先に目をやると、吸い寄せられた。あの子は。


青空の下。あの夏の日が蘇る。

──私?私は…みずき。呼び捨てでいいよ。さん付けってなんかそわそわするし…。

幼い頃の記憶。奥深くにしまっていた思い出。
信じられなかった。油を差されたかのように心臓が脈打つ。

ねえ。
わたくしは貴女の美しさにとても心惹かれていたんですよ。
涙に濡れた瞳の奥に宿る芯の強さ。からかわれていたのが許せなかった。
話してみたら年下の子とは思えないくらい博識で、わたくしの知らなかった世界のことをたくさん教えてくれて。
遠い所に住んでいるという貴女に、何度「まだ行かないで」の言葉を飲み込んだことでしょう。

──私はあなたのこと、なんて呼べばいい?

問いかけられた時心臓が跳ねた。学校の外でできた初めての友達。もっと仲良くなりたくて。だから少しだけ勇気を出して。

──かおる…かおると呼んでくれますか?わたくしも、貴女と、みずきと同じ呼び捨てにしてください。

「みずき…」

小さな呟きが漏れていた。声が届かないくらいの距離だったけれど、見つめた先の彼女と目が合う。

「……かおる…?」

ああ。
少し訝しんだ後、彼女はわたくしを認めて確かに名前を呼んだ。あの時と同じ、少しだけ低い声で、呼び捨てで。
穏やかすぎる日常に、柔らかな光がさした気がした。


生真面目な貴女のことだから、きっと今日からは薫先輩と呼んで敬語で話すでしょう。
でもわたくしは覚えているから。あの夏の日をずっと。
そして大切にしましょう。幾度も季節を巡って再び貴女と会えたこの奇跡を。

「ねえ瑞樹。部活はもう決めましたか?」

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