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被害者としてのハサウェイ、加害者としてのマフティー『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』感想

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』観てきた。

ハサウェイ/マフティーの視点で描かれる歪な世界のあり方、ギギの妖艶なる無邪気さ、MSの全天周モニターで見る浮遊感、巨人同士の戦いを見上げながら、戦火の中逃げ惑うハサウェイたち。そして暗闇の中起動するΞ(クスィー)G。あらゆる「主観」を用いて描かれた作品と感じた。

というのも、マフティーは指導者でありながらも、ハサウェイ・ノアという民間人でもある。反政府組織マフティーの指導者として攻撃指示を出しながらも、自ら戦火の渦中にて被害や影響を肌で感じ葛藤する。そして自らもMSに乗り戦い、引き金を引く。常に自分の眼で観た光景=「主観」を取り入れた作風は、ハサウェイ/マフティー両者の描き方としてピッタリだと思った。

MSが巨大戦闘兵器であることの再確認

MSの描き方ひとつ取っても、ハサウェイたちがMSの足元でネズミ同然に這い回る様に、MSが巨大な鉄の巨人であることを改めて思い知らされた。巨人を見上げた時の畏怖、超巨大物体が眼前を過ぎ去る速度……当たり前すぎて忘れていた「MSの脅威」がハサウェイ視点で展開されたのが斬新だった。

ガンダムはMSのカッコ良さがヒーロー的に描かれるのが常だけど(一応おもちゃ販促アニメなので)、閃ハサはあくまで人間からの視点を中心に描かれている分、ヒロイックなロボットではなく、兵器としたMSの描かれ方をしていて、実はポケ戦とか08小隊とかと似た構図ではと思った。

流れとしてはファーストのアムロと似ていて、父親が軍関係者、戦火の中で少女と逃げ惑う最中、MSの脅威に圧倒され、そしてガンダムに乗る。クスィーのマニュアルがRX-78オマージュなのも偶然じゃないと思う。

しかしハサウェイはアムロほど優秀なNTではなく、シャアほど指導者の器を持った人間ではない。特別な人間でない「凡人さ」を自覚しながらも、マフティーとして組織のトップに立ち、革命を成す為に暴力を用いる矛盾を、ギギやケネスとのやり取りの中で感じつつ、ハサウェイ自身も自覚している。

人物面は勿論、MSの演出も最高で、特にクスィーガンダム初出撃の演出が良かった!ポッドの扉を巨大な手がこじ開け、虚空に翔ぶクスィー・G。

暗闇の中で揺らめくカメラアイの光。異質な鳴き声を上げ飛翔する「怪物」ペーネロペーを討ち倒す為、同じ力を持つ「怪物」が拘束から解き放たれたかのような印象を受けた。

総評

総評すると、閃光のハサウェイ原作のアニメ化としてはかなり忠実で、映像化としてもかなりの高レベルと感じた。けどベルトーチカ・チルドレンの続編ではなく、UC NexT 0100プロジェクトに組み込まれる作品として、逆シャア→UC→NTの続編として、どう時系列が成立していくのかという不安もある。そしてハサウェイの結末が如何にして描かれるのか……あと二部作にて、どのような展開になっていくのか、改めて期待が膨らんでいく作品だった。

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