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stand.fmを始めて変わったこと。

stand.fmは音声配信アプリです。
私は、子供の頃からラジオが好きでラジオパーソナリティに憧れていました。
FMラジオのかっこいいDJ的なことではなく、どちらかというとAMラジオのトークメインで悩み相談のコーナーなんかがあるイメージ。

始めるまでにはかなり勇気がいりました。

私はSNSの類は殆どやっておらず、フォロワーがいる訳でもなく、知名度はゼロ…
一般人の素人の私が音声配信しても、一体どこの誰が興味を持って聴いてくれるのか…

そんな不安を持ちながら思い切ってstand.fm(スタエフ)の世界に飛び込みました。

自分を客観視できるようになりたい。

私はずっと自分が分からず、自分がなくていつもどこかに不確かな気持ちがあって、自信が持てなくて、中学の頃からなりたい自分を作り上げていました。

作り上げた自分は、とても優等生で、勉強ができて、正義感が強くて、努力家で、平等で、いつも前向きで、家族にも疲れたと言わない自分。

大人になると、そこに美容やファッション、聞こえのいいかっこいい品のある学歴と仕事を追い求めました。

作り上げた自分と、元々の自分。

解離はどんどん酷くなり、作り上げた自分は社会生活を立派に器用に進めてゆき、でも元々の自分はその流れについていけなくてとても苦しんでいました。

元々の自分に歩み寄れば、社会生活が成り立たたず、華やかな自分などとても演じきれません。

本当は人に会いたくもないし、おしゃれや見栄などどうでもいいのに、外に出て人に会ったり、おしゃれして見栄をはらなければ、社会生活は送れませんでした。そんな私でした。

元々の自分は取り残されていきました。

母親のこともあったと思います。
母は現在の私と同じく難病を患って、人生をこじらせていました。
私は母が好きでした。
だから可哀想だと思っていて、何とか明るくなって欲しかったのです。
自分が疲れなどみせず、外で立派に立ち振る舞うことで母を喜ばせたかったのかもしれません。

でもその反面、難病だから死ぬと父に包丁を持って叫んだり、病気を隠れ蓑にして社会的な事から徹底的に逃げ続ける母に強い嫌悪感を感じていました。

母の様には絶対になりたくない。

私も現在は、母と同じ病気になり不思議な運命を感じます。
遺伝と言われればそれまでですが、病気の症状を初めて感じた時は、やっぱり来たか…と言う不思議な悟りのような、受け入れることを待っていたかの様な気持ちになったことを覚えています。

作り上げた自分と元々の自分。

結婚前まで私は実家で生活していましたが、時々私は家で暴れる様になりました。
作り上げた自分と元々の自分の解離が進みバランスが取れなくなっていたのと、母に心配して欲しかったのだと思います。

母は心から心配してはくれませんでした。いつも逃げられてしまいました。母にとってはいつも自分が一番でした。そんな母の姿勢は、自分を大切にできない私には呆れる程に羨ましく思えました。

ある日、私はまた暴れてしまいました。
自分でも頭がおかしくなるくらいでした。
母は救急車を呼ぶか、と聞いてきました。また逃げられると思いました。私は、ただ母にこの混乱した自分のことをそのまま聞いて受け入れて欲しかっただけでした。

救急車が来て、救急隊の方になだめられ、私はまるで、精神異常者でした。
母はそれに困惑する可哀想な被害者でした。

初めに運ばれた病院で安定剤を点滴されました。
私は針を抜いて逃亡しました。

次に精神病院に連れて行かれました。自分で行くと言ったようにも思います。よく覚えていません。

そこは凄い環境でした。
隔離病棟には鎖で繋がれ鉄柵に覆われた牢獄みたいなところに老婆が入れられていました。
私は畳部屋の大部屋に入りました。
異常な雰囲気でした。
広場の様な場所があって、バケツが置かれていて
床に捨てられたタバコを楊枝に刺して吸っている人がたくさんいました。
薬の時間には入院患者が一列に並び看護師の前で薬を飲んでいました。

私はこれは本当にやばいと思いました。
必死に私はここにいるほどの症状ではないことを看護師に訴えました。
でも言えば言うほど、異常に思われ恐怖心を感じました。
医者を呼んで欲しいと言って診察した先生に来てもらい事情を説明して家に帰してもらいました。

今まで本当に色々なことがありました。

母親とのこと、育った中で私が作り上げた価値観は私を病院嫌いにし、病気であることを決して受け入れない、本来の自分を完全に無視して生きてゆくというものになっていきました。

12年間膠原病のリウマチを未治療のままでいたこと、死の間際に行くまで病院受診を受け入れられなかったこと、母と同じ難病の全身性エリテマトーデスになったこと、そして今こうして生きているということ。

これまでの全てを客観視できるようなりたくて、私はスタエフを始めました。

出口を求めていた感情や言葉が溢れて、押し込めていた記憶がこぼれ落ちるくらいどんどん出て行きました。

配信することで、それに向き合うのは辛くもありました。
まだまだ押し込められているものもあるのだと思います。

そして気付いたのは、自分と向き合わず自分を無視することで、私は楽に生きようとしていたのだと言うことでした。

そして、自分と向き合うことで自分を無視できなくなり、自分を大切にすると言うことができるようになったのです。

自分が不確かで信頼できず、自分を頼れず、人に救いを求めてことにも気付くことができました。

ただの音声配信。
でも私にとっては革命でした。そして解放でした。

フォロワー数、総再生回数、いいね、コメント、
全く多くはありません。

でも、少数でも私の声に耳を傾け、私に興味を持ち、応援してくださる方がいることが何より励みになりました。

私の経験を話すことで、相談をしてくださる方もいらっしゃいました。

意味を見つけられず、損ばかりしている人生だと自分を責めていましたが、そんな私のこれまでの人生が誰かの肩を背中をさすっているような気持ちになりました。

まだ決着の付いていないことがたくさんあります。
でも、自分を無視せず、大切にできるようになった私は、きっと大丈夫だと思えるようになりました。

母のことも時間はかかっても受け入れられる日がくると思える様になりました。

私に大きな変化をもたらしてくれたスタエフとの出会いに感謝しています。

よろしければ、お立ち寄りくださいませ。
応援よろしくお願いします。

stand.fm

https://note.com/liliradio/n/nc662d15ee059

ポンコツなため上手くリンクが貼れません。
お聴きになりたい方は、前回の投稿からお聴きください😅









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