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体脂肪率5%のJKだった私が告ぐ

※この記事は性や身体に関する内容を含みます

身長:157cm、 体重:38kg、 体脂肪率:5%、  BMI: 15

開口一番、なかなかショッキングな数値だが、これは数年前の私(女子高生)のものだ。実話である。
一応、ふくらはぎには筋が浮き出るほどムッキムキの筋肉が付いていたが、それでも30kg台はさすがに軽すぎる...。

※参考
17歳女性平均 → 身長:157.9cm、体重:53.0kg(2019年度厚労省統計


今回は当時の身体、および月経について書く。


[ ▼わかりにくい写真だが高校時代の筆者 ] 
細い。折れそう。膝カックンされたらどう考えても一発KOである。

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ただ一走懸命だった

私は今はマラソンサークルでファンランを気軽に楽しんでいるのだが、
数年前まで、つまり高校生まではバリバリの体育会系であった。
10歳のとき、何を思ったか小学校の陸上部の長距離ブロックに入り、以来高校まで、長距離走や駅伝にすべてを捧げていた。



いわゆる”キラ女”とは程遠く、それどころか仲間と「キラキラ(汗)系女子」と自虐し、部室で笑い合う青春を送っていた。


10歳にして道を踏み間違えた自分を幾度呪ったか知れぬが、途中でやめるという概念だか勇気だかがなかった私は、なんだかんだ10年走り続けている。



結果が欲しくば脂肪を捨てろ

小学校や中学校時代は、顧問の先生がつきっきりで見てくれていたわけだが、高校では自分たちでトレーニングメニューを立てねばならない。もちろん高校でも顧問の先生は練習は見てくれるしアドバイスもしてくれるが、主となるのはセルフマネジメントである。


そこで、私はともかく脂肪を落とさねばと躍起になった。
まずは、中学の部活引退後に高校受験で激太りしたこの腹をなんとかしなきゃ、走るにも走れまい。


中学時代は「強い選手は、食べる選手だ」と教育され、給食は、女子ひとり野球部に混じって大盛りメシをガッツいていた私。


そんな私が、高校生になったとたん、ちょこんと申し訳程度のゴハンしか食べないというのだから、そりゃ四六時中 飢餓状態である。


いつしか
「いかに走れるカラダに戻すか」から
「いかに痩せるか」、そして
「いかに食べないか」へと
変わっていった。


体づくりというより、ただのダイエットである。RIZAPと並ぶ厳しさだ。(なお筆者はRIZAP未経験ですすみません)


ここで、当時のわたしの1日をのぞいてみよう。

5:00      起床
        朝食:6枚切りトースト1枚、コーヒー
6:00      出発
7:00     [朝練]
                   6000m ペース走、50m×10  筋トレ  など
8:30   軽食:魚肉ソーセージ1本
8:40      授業
10:30          軽食:早弁(ゴハンひとくち or サラダ)
12:30           昼食:お弁当(ゴハンは80g前後、サラダメイン)
16:00    [午後練]
     90分jog、200m×10、1000m×1  50m×10、筋トレ  など
19:00         軽食:魚肉ソーセージ1本 or パン
19:30    塾
23:00   帰宅
     夕食:オカズは家族と同じもの。
        ただしゴハンは80g前後、サラダメイン
24:00  筋トレ
    就寝

…あの頃の自分に言いたい。

!!!!こんなんで速く走れるわけないだろ!!!!


明らかに栄養不足だし、生活習慣も不健康すぎる。
ついでに言うと練習量も不足しているが、腹が減っているのに戦をしろというほうがムリな話なわけである。
自由研究でアスリートの食事をテーマにしたとは思えない悲惨さだ。


あとなぜかゴハンを極限まで減らしているくせに魚肉ソーセージはやたら食べていた。ギョニソも意外とカロリーは高いのだが、当時の私にはタンパク質にしか見えなかったもよう。タンパク質信奉者だった。1限開始直前に教室にすべりこみ、人目も憚らず食らっていたほどである。せめて咥えるのを食パンにしておけば、王子様と角でぶつかるなどの出会いがあったのだろうか。


もちろん入学当初からずっとこのような生活だったわけではない。
最初は野菜をちょっぴり多めにするくらいにしか気にしてなかったし、お菓子だってよく教室で食べていた。土日にスイーツを食べに行くことを覚えたし、行きつけのカレー屋さんは、ナン食べ放題を注文するのが当たり前だった。低学年の頃は学業の負担も小さかったし、生活習慣もマシだった。


ただ、だんだんエスカレートしていった結果こうなった。


「能力・努力と体重は反比例」という呪い

高校受験期を経てコロコロになった私を見た中学の先生には、「女子は太りやすいから気をつけないと」と言われてしまった。当時の私にとって恩師はアッラー的存在だったので、中学卒業後も当然信じるし、断食をするしかない。

それに、高校の部室には体重を記入するノートがあった。
どうやら数年前の先輩たちのものらしかった。その数字に驚いた。痩せすぎだ。コロコロにまるくなっていた私は、思わず目までまるくした。
関東大会、インターハイを目指すには、このくらい肉を削るのが前提なのか。
私が入学した頃は記入する文化はなくなっていたが、個人的に練習日誌に書くようになっていた。


しだいに、100gの体重変動に一喜一憂するようになり、
「体重増加=怠惰、後退」とみなすようになった。
タイムよりも体重が、努力や能力のわかりやすい証となったのである。


そして、なんせ他の選手も細い。
オリンピックや駅伝を見たら絶対に感じると思うのだが、長距離走の選手は本当にみんな細い。筋肉があるとはいえ、今にも折れそうだ。
高校生も例外ではない。いくら痩せても、まわりは自分より細い選手ばかりだったので、痩せすぎても気づかない。そもそも痩せすぎという感覚が生まれるワケがなかったのである。


月経が数年こない

さて、ここからが本題なのだが、
私は高校の部活を引退するまで、正常に月経がきた記憶がほとんどない


一説によると、だいたい体脂肪率が12%を切ると、
身体が危険に晒されていると察知し、最低でも生命維持に必要な機能以外は停止してゆくという。
(真実は医者のみぞ知る)

そりゃ 四六時中 飢餓状態なのだから、本能の判断は正しい。信頼できる。もう全部本能に判断を委ねたいくらいだ。


私の使っていた体脂肪計は電気を流して測定する一般的な家庭用のものだったので、5%と表示されたからといって実際に体脂肪が5%だったわけではないだろうけれども、それでも12%はなかったといえるだろう。



「無月経は努力の証」という呪い

で、ずっと月経がなかったわけだが、なんかもうそれが当たり前だった。

月経がきたら、お腹痛いわ眠いわ下着不快だわで、練習どころじゃない。
無月経ならそれら全部から解放される。
そっちの方がいいこと尽くめではないか。
他の部員にも無月経の人はいたようだし、多くのマラソン選手だって現役時代は無月経だったと言っている。


「無月経=痩せてる=練習積めてる=成長してる」「しかも練習も積み続けられる!!」という論理がインストールされたままアップデートされることのなかった私は、何の疑問も持たなかった。


すでに述べた通り「月経は怠惰/後退の証」主義者だったので、
月経がくるのを恐れていた。
なんなら無月経を誇りに思っていた。


心配した親に婦人科へ行くことも勧められたが、ずっと診察を拒んでいた。
もし薬を処方されてしまったら、月経がきてしまう。「将来子どもが産めなくなるよ」などといろいろ脅されたが、当時の私としては、まだ欲しいと思ったことすらなかった子どもより、ずっっっっっと欲しくて欲しくてたまらなかった自己ベストの方が価値があったことは言うまでもない。


慢性的な貧血

長距離選手はよく貧血になる。

足の裏からの衝撃で、毛細血管が破壊されることによると聞いたことがある(真実は医者のみぞ知る)。初めて貧血になったのは中1の頃で、それ以来たびたび貧血のため鉄剤を飲んでいたわけだが、それを飲んだからとて急に月経が正常になるほどに血がつくられる薬効はなかった。


無月経同様「練習が積めている」証だと勘違いしていたが、無月経と違ってわかりやすくつらいので、効果のいかほどかには触れず、とりあえず鉄剤を飲み続けていた。もはやルーティーンである。


ちなみに、貧血でつらい時、「高山トレーニングと同様!治ったら前よりもっと走れるようになるよ!」と励ましてくれた人がいた。最初は「ほんとかなァ…にわかに信じがたい」と思ったものの、実際調子がよくなるとタイムが急激に縮まったので、平地で低酸素運動ができるなんてむしろ貧血も悪くないな、とまで思うようになってしまった。調子が悪くなるとすぐ貧血を疑い、もし貧血と診断されたらしめしめと思う自分もいた。ゲンキンなものである。



極端な冷え性

脂肪がないからやっぱり寒い。もともと冷え性ではあるが、さらに冷え冷えになった。もはやキンキンである。私服の高校だったので、冬は思いつく限りの重ね着をしていた。ハルビンに行くような出で立ちだ。着替えに時間かかりがち。

上:ヒートテック、タンクトップ(ウール)、ロングTシャツ①(ハイネック)、ロングTシャツ②、トレーナー、ジャージ、ウインドブレーカー①、ウインドブレーカー②(裏起毛)、ネックウォーマー×2、アームウォーマー、手袋①、手袋②(裏起毛)、カイロ

下:ロングタイツ、ハーフパンツ、ジャージ、ウィンドブレーカー①、ウインドブレーカー②(裏起毛)、レッグウォーマー、靴下×2、靴用カイロ×2

これでも寒かった。
当時はただの寒がりだと思っていたが、まるくなった今はさすがにここまでの厚着はしなくなったので、やはり脂肪は偉大だなァと思う。越冬前に栄養を溜め込むべきという自然の摂理に抗おうとするから凍えることになるのだ。


なぜ摂食障害にならなかったのか


これだけ削っても、幸い拒食症や過食症にはならなかった。
まあ、先に述べたような過激な生活は、特にエスカレートしていた時期のことで、3年間ずっと送っていたわけではない。
ナン食べ放題は誰よりも食べていた気がする。インド人もビックリだ。


あと、そういえば、
合宿中はなぜか大盛りゴハンが美徳とされたり、バレンタインやなんやかんやで たまーに部室でパーティしたり、といったのもあった。幸せだった。


そして、試合前は、普段と打って変わって うどんをおかずに白米を食べていた。試合前は、カーボローディングという美名のもと、あんぱんだのバナナだの諸々食べていた。好きなものを食べられる。試合前、最高。



要するに、わたしには、栄養に関する行動のバランスがかなり偏っていたのだ。
長期的スパンで見た「身体づくり」という意味では、望ましくなかったと今は思う。


あの生活を続けてみて

中学生のとき、1500m走で、全国大会にあと0.7秒届かなかった私は、
高校で、関東大会やインターハイを目指すと意気込んでいた。
しかし中3の夏以来、自己ベストすら更新されることはなかった。
まあ、”完璧な”食トレーニングができていたとしても、だからといってタイムが縮まっていたかはわからない。肝はなんといってもトレーニングメニューだからだ。それに、どうしたって中学時代がピークの選手はザラにいる。しかも私など、高校受験期に一旦引退した身である。高校時代の没落の全ての責任を食トレに押し付けてしまっては、私に呑み込まれた食材たちは、とんだ とばっちり、血肉になった甲斐がないと思うだろう。


ただ、


もうすこしだけ、考え方が違っていれば、
もうすこしだけ、速く走れていたのかもしれない。


少なくとも、ギョニソばかり貪るJKにはなっていなかったはずだ。


長距離選手や ダイエットをするみなさんへ

長距離選手の目標は「痩せている身体」ではなく「走れる身体」である。
どうしてもここを忘れないでほしい。

女子選手は、練習を続けていても、体重を気にしていても、どうしても多少まるくなる時期がある。成長の過程だからだ。

けれど、過度の体重減少により起こりうる無月経や貧血は、決して望ましいことではない。心配するべきことだ。病院に行くことを拒む方がよくないと、理解すべきだ。場合によっては、ピルなどの使用も、ドクターと相談してみよう。

また、栄養に関する正しい知識と実践、そして
「食べることは楽しいトレーニング」という意識が大切だ。
(ここで重要なのは「トレーニング」というより「楽しい」の部分である)


また、ダイエッターの方も度を越さない程度に気をつけてほしい。
SNSの氾濫によってルッキズムが助長され、それによる圧力に晒されていると感じる方もいるかもしれない。
あるいは、あくまで自分のために努力するという場合も、その「なりたい自分」があまりにも健康的な範囲からかけ離れているということもあるかもしれない。(これはだいたい自分では気づきにくい)

こういった場合は、ちょいと作戦を変えた方がいい。
体調を崩してしまっては、いくら痩せても幸せな気持ちは宿らない。


かくいう私もダイエット中だし、このnoteにも(ジェンダー論やイメージ論の観点から)容姿について書くこともあるかもしれないが、どうかここの部分はお忘れなきよう。






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