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自己紹介 後編

こんにちは、あきです。

今回は前回の記事、自己紹介 前編に引き続き後編をお届けします。

近日中に公開する予定の記事でしたが、ここ一週間で2回サッカー観戦をしたり(だいたい試合後は体力的に消耗しています)、文章を手直ししたりしていたのですぐにはできず、
やっと完成しました。

前編を読んでいない方はこちらもどうぞ!


高校時代 ~嬉しかったこと~

自己紹介前編に、高校時代のことを書いたnoteのリンクを張りましたが、また違う話を書いてみます。

高校1年のときに同じクラスだった友人は、2年になってクラスが別れてから、何人も仲の良い友人ができたようで楽しそうでした。
その子は1年のときに唯一できた友人です。

その友人が、同じクラスで仲のいい子たちと文化祭でダンスを踊ると教えてくれたとき、「すごいね!」と言いながらも、なんだかさみしかったことを覚えています。

私はその頃、クラスでずっとひとりだったので、友人が遠い世界へ行ってしまった感じがしたからです。

その友人はかわいいし、細いし、私と違って普通の女子高生に見えました。

私はずっとくせ毛がコンプレックスでした。5歳頃、ストレートだった髪が突然変異したのです。
髪をおろしていると広がってしまい大変だったため、いつも2つに結んでいました。

そしてストレスなのかだんだん体重が増えてきてしまい(昔その頃の日記を見たら、その日に食べたものばかり書かれていました。それが楽しみだったのでしょう)、全然当時の
「今時の女子高生」という感じではありませんでした。

そういうところから、「私は普通じゃない」という思い込みを持つようになったような気がします。

その思い込みは最近までなお根強くあり、そう思うことで、自覚がないまま自分を傷つけてしまっていたことに気づきました。
それは、私が現在手放したいと思っていることのひとつでもあります。

この頃、鏡で自分の顔を見るのが嫌でした。くせ毛の髪の毛を見ることが嫌でしたし、見た目にも全然自信がなかったからです。
かわいい人や体型が細い人を見てはいいな、といつもうらやんでいた気がします。

そんな私ですが、高校3年になってから嬉しいことがいくつかありました。
校内の球技大会で、私は卓球を選んで参加していたのですが、その大会で試合に勝つことができたのです。

ささやかなことかもしれませんが、小さい頃から運動が苦手でさんざん苦労してきた私にとっては、すごく嬉しいことでした。

でも同じくらい嬉しかったのは、試合中に同じクラスの男子から、「○○(名字)さんってうまいんだね」 という言葉が聞こえたことだったかもしれません。

高校時代で男子からそういうことを言われたのは、初めてだったと思います。私はいつも教室でひっそりと過ごしていたので、同じクラスなのに「私、知られてたんだ」、そんな風に思っていた気がします。

それから、出席番号が隣だったバスケ部の明るい女の子が、なぜか私に名字をもじったニックネームをつけて呼んでくれたのも、嬉しかったことのひとつです。

特に仲が良かったわけではないので不思議でしたが、親しみを込めて呼んでくれているように感じたので、私も気に入っていました。
それまで、私はニックネームで呼ばれることがほとんどなかったからかもしれません。

同じく高校3年のときに、初めて縮毛矯正をかけることができました。私がずっと望んでいたことでした。バイトはしていなかったので、母の許可が下りたのです。

もう結ばなくてもまとまっていて、触ってみるとさらさらな髪の毛。周りの人たちと同じようになれた気がして、とても嬉しかったです。鏡を見るのも少し嫌ではなくなった気がしました。

合唱に打ち込んだ大学時代

心理学を勉強したくて心理学科のある大学をいくつか受験するも、すべて失敗してしまいます。自分なりに頑張ってはいましたが、長時間勉強することがなかなかしんどかったです。

1日中勉強しなければいけないであろう浪人生には私はなれないと思い、なんとか頑張れた感じです。だから勉強をコツコツ頑張れる人を心から尊敬しています。
それは私からしたら才能でしかありません!

国語が他の教科より得意だったからという理由で(あと心理学科はどこも倍率が高いため)、1つだけ国文学科を受験していました。
そこにのみ合格したので、大学では日本文学を学ぶことになりました。

サークルはまたも合唱を選びます。
歌うことが変わらず好きだったので、偶然、先輩たちからサークルに勧誘されたときにはほぼ心が決まっていたと思います。

高校時代がしんどかったからか、新しい生活にも慣れて友人ができてからは、楽しく過ごしていました。

でも1年のときの夏のサークルの合宿で、2学年上の同じパート(大学時代はソプラノ)の先輩が、偶然私のことを話しているのを聞いてしまいます。

「話しかけても反応が悪くて、何を考えてるかわからないんだよね」
そんなことを私の同級生や先輩に話していました。

1つ上の先輩が「そんなことないですよ。けっこう話してくれますよ?」と言ってくれたことには救われましたが、すごくショックでした。大学ではうまくいっているような気がしていたからです。

その後から、私のことを話していた先輩も、先輩と一緒にいた同級生のことも、どこかで怖いと思うようになってしまいました。

学年が上がって後輩ができてからは、少しずつしんどいことが増えていった気がします。

後輩の男子とはそんなに何も考えずに話せたりもしましたが、後輩の女子たちと話すときにはいつも緊張感を感じていて、あまりうまくコミュニケーションが取れなかった気がします。
かわいい後輩たちに、気後れしたり劣等感を感じていたのかもしれません。

中学生の頃に抱いていた「私は後輩には好かれない」という思い込みは、ここでまた強化されることになりました。後輩と仲良くしている同級生たちと比べて、そう思ってしまったのです。

この頃私は、同級生のみんなみたいになりたいと思っていました。はっきり自分の意見を言うことができたり、天真爛漫だったり。

私はみんなの前で自分の意見を言うのが苦手だったり、仲がいい人の前では自分らしくいられても、そうではない人の前では少し萎縮してしまうところがありました。

そんな自分だったので、自分のいいところはあまり見ようとせず、「変わりたい、変わらなきゃ」といつも思っていた気がします。

本当はそんな私にも、私の良さを見てくれて優しい目を向けてくれていた先輩や友人たちがいました。でも「変わらなきゃ」という思いが消えることはありませんでした。

サークルで過ごした日々は、嬉しいことも苦しいこともありましたが、あの日々は私にとってかけがえのない時間だったと思います。

社会人になって

社会の厳しさを肌で感じた就活(ストレスからか食事があまり食べられなくなり、体重が5キロ近く減りました)を終え、なんとか就職できた会社では苦労の連続でした。

先輩が仕事を丁寧に教えてくれるということはなく、見よう見まねで業務を覚えていかなくてはなりませんでした。
私はそれがなかなかうまくいかず、何度もミスを繰り返してしまいました。

次第に私は、営業所で1番上の立場である、営業所長に目をつけられるようになります。
怒鳴られたりはしませんでしたが、呼び出されてはネチネチ小言を言われ続ける時間を、何度も過ごしました。

覚えているのは、「過去に○○さん(私のこと)みたいな人が精神を病んで辞めちゃったんだよね」  と言われたことです。
遠回しに 「だから辞めたほうがいいんじゃないの?」  と言いたかったのだと思います。

私はそのとき言い返したりはしなかったけれど、心の中では「私はこれくらいじゃ精神は病まないよ。私のこと、どういう風に見てるの?」 とは思っていました。

小言を言われる時間を何度も繰り返した後、私はある日、所長からもう電話を取らなくていいと言われます。
仕事で唯一得意だったのが電話を取ることだったけれど、そう言われてしまったら仕方ありません。

どんなに忙しく電話が鳴っていても、私はじっとしていました。隣の席のベテランの女性社員がキリキリしていたのを覚えています。

ミスをたくさんして、会社に損害を与えている(であろう)私を辞めさせたい。でも私からは辞めたいとは言ってこない。所長にはそんなジレンマがあったのかもしれません。

それから少し経った日のことです。
私は所長から突然、「明日からもう来なくていいよ」と告げられます。
入社してから約7ヶ月。その日で1社目の会社員生活は終わりました。

雨が降っていたその日、その営業所で一番の年長者のおじさまから「涙雨だな」と言ってもらったことを覚えています。

ややブラック臭のする会社だったからか、同期たちとは仲が良かったですし、ミスばかりしていた私でしたが、気にかけてくれていた営業さん&女性の先輩がいました。

その先輩たち2人に仕事の後、よくごはんに誘っていただき、話を聞いてもらっていました。大変だったけれど、優しい人たちがいてくれたおかげで頑張れたのだと思います。

そして数ヶ月後に転職が決まり、もう15年以上、現在の会社に勤めています。

そして現在

2018年頃に、うまくいかないことがあって悩んでいた頃、偶然根本裕幸カウンセラーのブログに出会います。

しばらく読み続けた後、いったん離れたこともありましたが、時折思い出してはブログを読んでいました。

そこでお弟子さんの1期生の方たちのことを知り、その後お弟子さんたちのブログも読むようにもなりました。

その頃私は、「自分の人生はこのままでいいのか」 ということを考えるようになっていました。周りの人たちはどんどん変わっていくように見えるのに、私はずっと同じ場所にいて変わらないような気がしていたからです。

でもいろいろ考えても、どうすればいいのかわからなくなっていました。さんざん考えた後、もう自分の力だけではどうすることもできないのではないかと思ったのです。

そこで浮かんだのが、今まで受けようと思ったこともないカウンセリングでした。
ずっとブログを読んでいたお弟子さんの1期生の方たちなら受けてみたい、そう思えたのです。

根本師匠がお弟子さん制度を作ってくださったおかげで、私の中でカウンセリングを受けるハードルがかなり下がったと思います。
未知のものに対する怖さよりも、好奇心のほうが強かったかもしれません。

お弟子さんたちがいなかったら今もカウンセリングを受けていなかった可能性が高いです。だから自分がお弟子になる前から、根本師匠にはひそかに感謝していました。

その後初めて先輩のお弟子さんのカウンセリングを受け、「こういう見方があるのか!」など新鮮な驚きがありました。
それは今から5年前のことですが、今でもはっきり覚えています。

その数年後から、また別のカウンセラーの方の力を借りながら、自分と向き合い続けてきました。今まで自分ひとりで悩んでいたことを一緒に考えてくれる人がいる。それは私にとって、とても心強いことでした。

そして2024年の今年、ずっと気になっていた根本裕幸カウンセラーのお弟子さんになりたい!と心に決め、現在お弟子の9期生として心理学やカウンセリングについて学んでいるところです。

それらを勉強していて、その難しさに試行錯誤していますが、なんとかくらいついているところです。
そしてまだまだ自分の問題というか、ここを良くしていきたいと思うところがたくさんあることを感じています。

始まる前はドキドキしていたお弟子講座も、もう半分が終わってしまいました。
早すぎることに驚いてしまうし、もうすでに少し寂しい気がしています。

後から振り返ってきっと懐かしいと感じるであろう、この貴重な時間を、大切に味わっていけたらと思っています。

私は正直なところ、カウンセラーになるかを決めかねているところがあります。
私になれるのか?という不安があるから、そう思ってしまうのかもしれません。

でももし私でも、誰かの力になれるのであれば、微力ながらお力になれたら、という思いはあります。

もしカウンセラーの道を選ぶのであれば、
まだ見ぬあなたのことを、私の好きなサッカーチームのように温かく、心の中では熱く、応援したいと思っています。

とりあえず、今できることとして、次の講座までの課題がギリギリにならないように勉強を頑張りたいです。
(今月もギリギリになってしまったなぁ、来月こそ!)



とても長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。また講座のことや、日々感じたことなどを書いていけたらと思っています。

あきでした。

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