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メイクアップは誰のもの

自粛生活以降、外出する機会が減り、自ずと化粧をする機会が減った。
そして、キラキラとしたコスメアイテムたちとの距離も離れた。

以前なら、煌びやかなアイテムを眺めにデパートに立ち寄ってばかりいたのに。
コスメ雑誌を眺めながら、「次はどのブランドの新作を買おうかしら」と思いを巡らせていたのに。
メイクアップアーティストの方がインスタライブでおすすめしているものを、「かわいい」という単純でスカスカの感情だけで購入していたのに。

それが今ではこうだ。
化粧に使っていた時間とお金のすべてを、本と対話に使いたい。
注ぎ込みたい。
ぶち込みたい。
知識を頭に植え付けたい。

私の中の意識がアメーバになって、少しずつ形を変え、求める場所を転々としていくように。
求めるものが変わっていく。
私の考えが変化していく。
ずっと頭の中にふんぞりかえっていたひとつの意識が、どんどん縮こまっていく。
輪郭がぼやけてどこかに溶けていく。なくなる。消える。
また別の意識が幅を利かせるようになる。

その、変化と循環がおもしろい。
私は、その変化の上でトランポリンをしているみたいなイメージ。

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【メモ】
最近読んだ本の中で一番感動した本が平野啓一郎さんの『私とは何か 「個人」から「分人」へ』。この本に書かれていることはすべて、生きるための術とギア


とはいえ大人のわたくしですから。
然るべき時にはメイクをしないといけない。

人とお会いする仕事の前には、少しでも鼻を高く見せてやろうとか、目を大きく見せてやろうとか、顎のラインをシャープに見せてやろうだなんて、悪あがきにも似た行為に勤しむ。
そうすると、なんとか人に会える顔になる。
私のテンションも、なんだか上がる。

そうしてヒールを履き、外へ出て、人に会い、心を高めて帰ってくる。
最高。天職。俺の、俺だけの仕事。

ところが最近のオンライン取材ときたら…!ああ…!
オンラインで人に会うために施したメイクは、一体何のためのメイクなんだろう。
整えられた眉毛は、
スッと伸びたまつ毛は、
色付けられたまぶたや頬は、
画面上でぼやけて、にじんで、見えない。
誰にも届くことがない。

そんなかわいそうなことを、私は、私に、してしまっている。
「色づいたあたしを無意味なものに しないで」と歌ったaikoの気持ちが今ならわかる。

「自分のためのメイク」だと割り切れば、私の気持ちは晴れるだろうか。
大好きなCHANELの赤リップをつけていれば、私はかわいそうではなくなるだろうか。

いや。
やっぱり、「今日はあの人に会うから」こそ、赤リップの出番だ。
太陽の下であの子に会うからラメ弾けまくりのオレンジ色をまぶたに塗りたくなるし、
夜の町界隈であの子に会うからお洒落でシックで、ちょっと冒険した唇にしてみようかしら、となる。はず。

そうだそうだ。
私と相手をつなぐための、メイクなんだ。

色付く私が無意味なものにならないために。
素敵なメイクは、私と出会ってくれた素敵な人たちのために。