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2020年10月、母が突然大腸がんと肝臓、肺、リンパへの転移を診断されました。何もしな…

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2020年10月、母が突然大腸がんと肝臓、肺、リンパへの転移を診断されました。何もしなかったら余命は半年と。父は要介護3で10年前から介護施設。そんな両親を持つひとりっ子息子(嫁、1歳半の子あり)が備忘と、誰かに気持ちだけでも応援してもらえたらうれしいなと初めたnoteです。

最近の記事

201224|抗がん剤投与後2度目の診察

おさらい201210 CT、採血の結果について腫瘍内科にてフィードバック。ギリギリの瀬戸際の状態だが抗がん剤は実施。ただし時間を争うので急遽翌日に投与。 201211 初めての抗がん剤投与(イリノテカン+(T)S-1)。  ・イリノテカン→点滴。3週間に1回のペースで投与  ・(T)S-1→錠剤。朝晩食後に服薬 201212 14時〜15時くらいから寒気、発熱、強い倦怠感、下痢、認知(記憶)力低下、朦朧、発話しどろもどろ。 201213 発熱悪化 38.8度まで上がる。夜の服

    • 201217|初めての抗がん剤投与後初めての診察

      おさらい201210 CT、採血の結果について腫瘍内科にてフィードバック。ギリギリの瀬戸際の状態だが抗がん剤は実施。ただし時間を争うので急遽翌日に投与。 201211 初めての抗がん剤投与(イリノテカン+(T)S-1)。  ・イリノテカン→点滴。3週間に1回のペースで投与  ・(T)S-1→錠剤。朝晩食後に服薬 201212 14時〜15時くらいから寒気、発熱、強い倦怠感、下痢、認知(記憶)力低下、朦朧、発話しどろもどろ。 201213 発熱悪化 38.8度まで上がる。夜の服

      • 201215|抗がん剤投与開始からの数日。

        201211|抗がん剤投与開始201210の抗がん剤投与できますよ診断から急遽、予定を作っていただき、翌日の201211の昼から抗がん剤投与が始まりました。 内容としては大きく2つの抗がん剤を投与。 1. イリノテカン(点滴) 2. S-1(TS-1)(服薬) いわゆる、IRIS(IRInotecan+S-1)療法というものになります。 もともとの予定として、イリノテカンを1度投与した上で、次の投与は約3週間後。そしてS-1については、朝と夕それぞれの食後に服薬。 昼

        • 201210|母、抗がん剤投与ができるかの回答。

          いよいよ、という日がやって来ました。 母の抗がん剤投与が肝臓の数値的に危ういという話をされてから1週間。 1週間長いなとも思うし、この日が来てほしくないとも思うし、仕事に忙殺されると一瞬で時間が過ぎてしまうし、いろんな葛藤を抱えながら過ごした1週間でした。 腫瘍内科の先生との面会時間が近づき、母からのハンズフリーの電話連絡を待つこと小一時間。母から電話が入りました。 先生から、「じゃあ抗がん剤どれ使いましょうか?」という感じで話が始まり、母も、手足のしびれの薬ではなくて、

        201224|抗がん剤投与後2度目の診察

        • 201217|初めての抗がん剤投与後初めての診察

        • 201215|抗がん剤投与開始からの数日。

        • 201210|母、抗がん剤投与ができるかの回答。

          201207|母の兄(叔父)が肺がんにて突然亡くなりました。

          私の母は5人兄弟姉妹で、 ・長男 ・次男 ・長女 ・次女(母) ・三女 という構成です。ひとりっ子の自分にとってはこの兄弟構成は羨ましさそのものです。そして母以外の兄弟姉妹は皆、子ども(私にとっての従兄弟)を複数人産んでおり、私はひとりっ子コンプレックスを小さい頃から抱えることにも繋がりました。 そんな5人兄弟姉妹ですが、次男である叔父が、12月7日の昼ごろ、72歳の若さで亡くなりました。肺がんでもともとステージ2(?)あたりの診断を受けており、手術、抗がん剤治療などを行い

          201207|母の兄(叔父)が肺がんにて突然亡くなりました。

          201203|抗がん剤が打てないかもしれない。腫瘍内科のお話。とその後の親戚との会議。

          2020年12月3日(木)。今回は腫瘍内科で初めて抗がん剤に関する説明を受けました。 母の付き添いを叔母に託し、私は母が繋ぐハンズフリーの電話を経由して先生の話を伺う予定でした。(もちろん先生からの許可はもらいました) しかし予定時間になってもなかなか電話の連絡が入らず、ヤキモキしていた中、母から電話の連絡が入りました。 「先生に話をしてもらうのだけど、厳しい話もあるっていうから、聞いて。」 というセリフを母から聞き、先生と挨拶をさせてもらって、そこから先生の説明は始

          201203|抗がん剤が打てないかもしれない。腫瘍内科のお話。とその後の親戚との会議。

          201202|執刀医から手術後の経過確認、説明。そして1203は腫瘍内科の説明。

          12月2日(水)10:30- 大腸の手術をしてくださった医師から直接、手術後の経過確認と説明がありました。 傷もうまく閉じていて、問題ない。お風呂も温泉も入っても大丈夫。私が担当するところとしては以上なので、あとは腫瘍内科で先生の話を聞いてください。 ということでした。 “温泉も入って大丈夫” というのが、思い出作りに温泉に行っても大丈夫と、なんとなく終わりを意識させるコメントのように聞こえてしまったのが、私が悪く解釈してしまっているだけなのかどうか分からないけれど、

          201202|執刀医から手術後の経過確認、説明。そして1203は腫瘍内科の説明。

          201127|母、(一旦)退院

          前日の夜に自宅を出て、退院の朝に実家に到着 母が退院する際に家に1人とならないように、退院当日の朝から母のいる実家に到着しました。今後、自分の実家に戻るリズムを掴む意味でも、今回は短めの滞在としました。木曜の夜に家を出て、金曜の朝に到着。土曜の夜に実家を出て、日曜の朝に家に到着。仕事は一応リモートワークで対応できるものの、影響を最小限にしつつ、週末を家にいる妻や子どもとも過ごすことができるという形で考えてみました。 母、帰宅。親戚の叔父叔母に連れ添ってもらい、母は無事帰宅

          201127|母、(一旦)退院

          -201127|母、手術後から退院まで

          手術後最初の連絡はLINE電話普通であれば、手術直後、母が目覚めるまでベッドで横に座って待っていて、母が目覚めるとともに、横から「具合は、どう?」なんてやりとりをするのがいわゆる手術後目覚めた時のイメージだったりします。 ところが今はコロナ禍。入院中の母に面会することはできず、母の目覚めを知る手段は、母自身からのLINEなのであります。11月20日(金)9時〜13時の間での手術が終わり、母から最初の連絡が来たのは、翌11月21日(土)12:16のLINE電話でした。その間に

          -201127|母、手術後から退院まで

          201120|母の大腸手術終了。

          2020年11月20日(金)13時、母の大腸手術は無事終了しました。 親戚が手術直後の説明を聞いてくれ、切除した部位も見せてもらった模様。 改めて、医師から「末期に近い状態でした。」と説明を受けたようでした。 私は、母の家でその連絡を待ち(万が一の時は病院に駆けつけることができるようにと思って待機していました)、手術の終了を聞いて、自分の自宅に車で帰りました。 手術が終わって(気持ちの面で)安堵、というわけではなかった万が一の場合は人工肛門をその場でつける可能性もある、な

          201120|母の大腸手術終了。

          201118|執刀医から母の手術の説明(大腸がんはステージⅣb)

          2020年11月18日(水)、執刀を担当する医師から、20日(金)に実施する母の大腸の手術について説明があった。 大腸の手術に関する説明・がんを取り除く目的での手術ではない ・腸が詰まる(腸閉塞?)ことを極力回避することが主たる目的 ・がんの治療はあくまで抗がん剤を用いた治療となる ・(改めて)現在の大腸がんの進行状態は、「ステージⅣb」である といった説明が、手術を行うにあたってその後発生する諸々のリスクを「0ではないので可能性の話として聞いてもらいたいのですが」という

          201118|執刀医から母の手術の説明(大腸がんはステージⅣb)

          201105-1112|母、血糖値を下げるため入院

          2020年11月5日(木)、母、病院に一時入院。 目的は、手術を行うにあたって、糖尿病に伴う合併症リスクを少しでも回避するために、食事内容を改め、インスリン注射を打つ(母は10年前から糖尿病と診断はされていたがインスリン注射はしていなかった)ことで、血糖値を下げるため。 血糖値を下げるため、食事を気をつけてインスリン注射を打つための入院というのも退屈だろうな。 退院後、手術までの期間や、手術後はある程度自分で食事を気をつけないといけないというのもあるだろうと思ったので、都

          201105-1112|母、血糖値を下げるため入院

          201120|母、これから手術。

          2020年11月20日(金)午前9時、まもなく母の大腸の手術。 ただ、癌を切除する目的ではなく、腸閉塞を回避するための手術です。 (がんはどこまでいっても抗がん剤で対応するしかないということ。) 目安3時間予定の手術。お腹を開いてみて時間が前後することは考えられる。 「がんばろうね」という言葉をLINEに打ち込んでみるも、変に気負わせてしまうからあんまり良くないかなとか、手術の目的を母も聞いている状況ではあるので、虚しい気持ちにさせたくないなと思って、しばらく送信ボタンを押

          201120|母、これから手術。

          余命宣告|このままだと半年。

          2020年10月26日母が大腸がんを起点に肺と肝臓にもがんがあると診断された。 2020年10月30日さらにリンパにも転移が認められ、根治は難しいとも診断された。 本来、まずは大急ぎで大腸の手術を行い、抗がん剤の治療をする必要がある。 にも関わらず、母は糖尿病を患っており、血糖値が高い。 (何の指標かわからないが、「数値が10あるのを下げないといけないらしい」と母に付き添ってくれた叔母から聞いた。) そのため、血糖値を下げることができなければ、合併症を起こすリスクが高く、

          余命宣告|このままだと半年。