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イノチ。最期の過ごし方。

社会人2年目、そして看護師2年目。生活に少し余裕が出たため、考える時間を持つことができるようになりました。そこで考えたこと、感じたことを残していくことに決めました。初めての投稿です。

 ここ最近、人が死ぬまでの時間(最期)の過ごし方がこんなにも人によって違うのかと感じさせられる。この仕事をしているからこんなことを感じさせられるのであろう。

 ある人は、『opeはもういらん、こんな長生きしてもしゃないから、食べたいもん食うて死ぬんや〜、早く死ぬことが俺の今の目標!』と話していた。術後経過良好のため一度退院したが、吐血・下血のため緊急入院し、絶食の指示が出た。食事が再開し、飴ちゃん摂取可の指示が出たためベッドサイドには飴ちゃんが置かれていた。しかし再度下血したため、また絶食の指示が出た。その夜、急変した。ベッドサイドには飴ちゃんの食べカスがあり、食べてはいけないと言われていた、大好物の飴ちゃんを食べて亡くなったのであった。
 ある人は、まだ60代なのに『もう歳やから死ぬのはしゃないです、孫と3年前に行った○○へ、誕生日にもう一度家族で旅行したい、もしそこで急変してもかまいません。』と言って、旅行に行った。最期は家で過ごしたい、という意思表示をし、疼痛コントロールのため麻薬を内服している、死の受け入れができている人。
 ある人は、30代で子どもが欲しいからといって転移している癌を取らなかったら、進行してしまい余命数カ月程度。まだ1歳にならない赤ちゃんの母。鼻からイレウス管を入れ絶食中。先が見えない不安と恐怖、何とも言えぬ感情が彼女を襲っているため、部屋からは悲愴感が漂っている。
 ある人は、余命あと1週間程度であることを理解しており、兄弟しか身寄りがない彼は葬儀について全て計画し、神の国に行くことを確信し、辛いことや心配事はないと、明るく余命を楽しんでいた。わたしの生まれた時から引っ越すまで通っていた教会のクリスチャンの方である。

 人はどこから来てどこに行くのか、それを知っているか知らないか。いつやってくるか分からぬ死の受容が、できているかできていないか。自分が何故今生きているのか、どう生きるべきか、時々考えさせられる。

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