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秘境・椎葉村で代々受け継がれる世界農業遺産 焼畑

日本三大秘境の一つ、椎葉村(しいばそん)
何千年にわたり、人と森が寄り添って生きてきた里山。
木は神と崇められ、死んだ人間は木になった。

宮崎県の北西部に位置し、標高は800mを超え、約96%が森林で覆われています。
平家の落人伝説が残り、平家の末裔として椎葉家や那須家があります。
源氏の目をかいくぐって隠居してきた椎葉の民は生きる知恵と生命力にあふれています。

椎葉村では今でも焼畑農業が維持伝承されています。
この焼畑農業は農薬や肥料を使わず、自然の力を活かした循環型農業として注目を集めています。
2015年には高千穂郷・椎葉山地域が世界農業遺産に登録され、地域固有の農林業や文化が評価されています。

椎葉村の最奥部では焼畑を実践している人たちがいます。
日本全国で焼畑は18カ所で実践されており、何十年にもわたって代々受け継がれているのは民宿焼畑を営む椎葉家のみ。

椎葉の焼畑は森の木々を伐採し、木の幹を運び出した後、木の枝と草を焼きます。
焼き灰には窒素やリン酸、カリを含むため土の栄養となります。

焼きの後、微生物たちのはたらきで土が肥えるため、すぐさま土を利用することができます。
1年目にはソバ、2〜3年目にはあわ・ひえをまき、4年目以降は休耕します。
30年の歳月をかけて森を蘇らせていくのです。

焼畑をする場所は毎年変わるため、作物を育てる場所も変わっていきます。
土の栄養が枯れることがないため、農薬も肥料も必要ない。

種はすべて直まき。
ポットも水もいらない。
畑を焼くだけ。

焼けば時代が入れ替わる。
土地が代替わりする。

焼畑をすることで多様な生物が共存できる環境が生まれます。
スギやヒノキの植林された森は林床部が暗く、下草や昆虫が生育しにくい環境になってしまいます。
定期的に木を伐り、火を入れ、山の中に日当たりの良い土地を作ることで多様な環境を生み出すことができるのです。

山で暮らす際に、動物や昆虫とともに生きることも大切。
焼畑を中心となって行う椎葉勝さんは「ネットや電柵を張る時代ではない」と言います。

焼畑をした土地に栗を2万株植えたおかげで動物たちは畑におりてこなくなりました。
人間が食糧を独占するのではなく、栗や柿など動物にとってのごちそうを分けてあげることで共存を目指すのです。

椎葉村で忘れてはならないのはクニ子おばばの存在。
今年で98歳になるものの元氣なお姿は今も健在。
子どもは6人、ひ孫にいたっては57人いるという。

山に入っては400種類以上の野草を見分け、たくさんの山の恵みを取ってくる。薬草の知識も豊富。
その場でとれる食材を使って独自の郷土料理を生み出し、今もなお伝えている。

焼畑を行う日を決めるのに、虫の声、鳥の声、雲行きだけで判断し、雲が山から谷に向かう時を待ちます。

そんなクニ子おばばのエネルギーを見て感じたのは、「丹」が尋常ではないほど強いこと。
それはクニ子おばばが日々山に入って丹を鍛え、生命力の高い食材を食べているからではないでしょうか。

クニ子おばばは、椎葉の森から一歩も出なくても生きていけます。
お金が一銭もなくても、火と水と塩があれば世渡りできるとさえ言います。

パーマカルチャーセンタージャパン代表の Kiyokazu Shidara さんは「椎葉の人は歳を取らない」ともおっしゃっていました。

その秘訣はクニ子おばばの暮らしと生き方を見ると腑に落ちます。
農耕民族たる日本人の本来のあり方を提示しているような氣がしてなりません。
どこか憧れているところがあり、実現可能なところまで迫っている自分がいて、クニ子おばばに親近感が沸きました。

ぜひ椎葉村と焼畑、そしてもうすぐ100歳を迎えるクニ子おばばをおとずれて見てください。

【ちょっと耳寄り情報】
民宿焼き畑の隣にある「ほっこり家」は素泊まり500円の援農者向けの宿があります。
食料持ち込みスタイルで、農業を学びながらステイできます。

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