見出し画像

一ヶ月ぶり

一ヶ月ぶりにnoteを開いた。夏休みは駆け足で過ぎていって、もう秋学期が始まった。

祖母が亡くなってから4ヶ月ぶりに帰省し、仏壇に置かれている祖母の遺影や、がらりと変えられた家具の配置が、私に祖母がいなくなったことをわからせた。
仏壇の前に座り、微笑んでいる祖母の写真を見た時にはもう、とめどなく涙が溢れて、しばらく泣いた。

雑用をこなしていた母も、泣いている私に気づいて隣に座り、静かに待っていた。


実家のベッドで何度も寝返りを打っているうちに、カーテンの外が明るく、白んできた。そういえば、高校時代もこんな風に眠れない日があったな、と思い出す。

まあ、今寝られないのは単に怠惰な生活を送っているからなのだけど。

先のわからない不安や、人間関係に囚われていたあの頃はよく天井を見つめて、頬を伝う涙に少し安心してから眠っていた。

この前何気なく母と高校時代の思い出を話していたら、
「高校生の時は、夜に突然泣いてたりしたよね」と言われ、心当たりがなさすぎて「本当に?」と聞き返したことがあった。

確かに思春期特有の不安定さはあったろうけど、それほどまでとは思っていなかった。
今振り返ってみても、いろいろあったなあ、くらいにしか思い出せないのだけど、たまに「うーん、あれは確かにしんどかった」という思い出が蘇ることもある。


久しぶりに小説を読んだ。芥川賞を受賞した「ハンチバック」という本だ。
感想も色々浮かんだのだけど、ほとんど忘れてしまった。

ただ覚えているのは、主人公が自身が異質であることを受け入れた上で、それでも普通の人間としての欲望を叶えようともがく姿が印象的だったことだ。

社会的弱者。それが何たるかを深く考えさせられた。


最近、自分が変わっていると感じることがよくある。いい意味でも悪い意味でも、人間らしい部分がどんどん出てきて、正直生きづらい。
潜在的なコンプレックスを再び実感させられたり、社会格差や政治のことを考えてはげんなりしたり、夏休みだったはずなのに、休んだ実感がまるでない。


もうすぐ20歳になる。人間関係もどんどん広がる一方で、自由がだんだん失われていく抑圧感に耐えるのに必死になっている。全部辞めたくなるのに、辞めた後が怖い。誰かを傷つけるから。
そういう複雑な感情に囚われ過ぎて、楽しくなくなった。


今年もあと三ヶ月しかない。歳を取るたびに一年が過ぎるのが早く感じるというが、今でこれなのだから老人になればもっと早く感じるのだろう。虚しくはないのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?