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限界夏休み日記1

あつい、死ぬほど暑い。
「暑い」という文字がもうすでに暑い。

わたしは春から秋田に拠点を移したのですが、初めての一人暮らし!初めての環境!初めての人々!初めての…
って、初めて尽くしでほぼ死んでました。
ほんとに、ちゃんと、死にかけて、何度かもうこんな将来の幸せも見えない世界で生かすなと神すらにもキレてました。

そんな中で、実家の方へ夏休みという口実で逃げ帰ってるのが今なんです。

そこで、まぁ、限界夏休みを過ごしてるんですが、なぜ限界なのかって気になりますよね。
気にしてなくても話したいので話しますが、、、

実家に帰って気づいたことは

秋田だから死にかけてたわけではなくて、ずっと死にかけだったということ。

そして、多分これからもその生き方も変わらないこと。

この2つに気付かされたんです。
おもしろいですよね。
ほんとに、自分がいかに他所に原因を見出そうとしていたか。
そして、原因を見つけ出そうとしていたか。
なんて、ダサいことか…。

ちなみに、ここで言う死にかけは悪い意味ではないんです。
必死に生きすぎて、生きることを忘れてるって感じです。
だから、悪いことじゃないんです。

でも、その苦しさに耐えかね始めてた自分があまりにも滑稽に生きてた、そんな事実はあまりにもダサい。

これが限界夏休みと自分の夏休みに名前をつけた所以です。

夏休みなのに休めてないとか、遊んで無いとか、やりたいこともできてないとか。
まぁ、夏休みなんてそんなもんで。
こいつ何もしてないなと見限られるのではなんて、思ったりして病みそうにもなるんです。というか、すぐ病むんです。

そう思ってたんですけど、この帰省で、初めて結婚について触れられなかったんです。
そして、あまり将来についても言及されなかったんです。

その事実は=私に普通をもう求められていない
ということでした。
“普通”を求めて、生きていたこの23年。
人からはみ出さず、同級生からもはみ出さず、性別からもはみ出さず…

趣味もない、こだわりもなくぼやっと生きてた。
初めて感情のぶつけ先にできて、続けられた美術。
みんな部活とか勉強とかすげぇキラキラしてんじゃんとか思って、
“普通”にキラキラできるものが
羨ましくて始めた美術。

そうすれば、得られると思っていた“普通”
いつの間にか、“普通”から逸脱してる現実。

たぶん、打ち込むものを間違えた。
美術が“普通”になるわけがない。
当たり前なんですけどね。

やだやだ、ぐちぐち言ってめちゃくちゃダサい。
かっこよく生きてぇです。
まだまだ遠いね。

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