砂浜の足跡(浅野浩二の小説)

砂浜の足跡

武司の期待はあたった。少女はこの前と同じ場所でこの前と同じ表情でじっと海をみつめている。先週武司は勇気をだして声をかけてみた。
 「ねえ君、何を悩んでるの。失恋でもしたの。よかったらちょっと話しない?」
 少女はさめた一瞥を与えたのち、だまってその場を去った。
 「あなたみたいな人じゃロマンチックな気分がだいなしだわ。」
 少女の無言の表情はこう語っていた。武司もその通りだと思った。その時はもう二度とくるまいと思った。だが武司はどうしてもこずにはいられなかった。そのかわりこれを最後にしようと思った。国道の下を横切るトンネルの先からは以前と同じ位置に以前と同じ漁船が三隻凪いだ海で静かにその営みをしていた。
武司はトンネルからおずおずと顔を出して砂浜をみた。
はたして少女は武司の予想通りこの前と同じ場所で、この前と同じ表情でだまって海を見つめていた。少女はすぐに武司に気づいてふり返った。
 「やあ。」
武司はへどもどして頭をさげた。だが少女はそれを無視した。そして、すぐその視線を海へ戻した。武司はがっかりして、江ノ島へむかって歩きはじめた。砂を一歩一歩踏みしめて歩きながら、武司は自分の存在が彼女の目ざわりになったことを後悔していた。
 「自分みたいなダサイやつはよけいなことなどするな。」
武司は自分にそういいきかせた。江ノ島は陽炎の中でゆらいでいた。武司はそれをみつめて歩いた。
    ☆  ☆  ☆
 もうみえなくなったかな。
武司の心にあった最後の未練な気持ちが彼をふり返らせた。すると少女はいつの間にか、裸足になって波とたわむれていた。その顔はたしかに笑っていた。
寄せる波からは逃げ、引く波は追い・・・・・。
すると武司もうれしくなった。武司は国道に沿って並んでいる大きなコンクリートブロックのかげに少女にみえないように腰掛けて、少女が波とたわむれるのを見守った。
あたりにはだれもいない。少女は自分が一人きりだと思っているのだろう。だんだん調子にのって波をばかにしだした。すると海の方でも怒ったのか、静かだった海は突然大きな波をひとつこしらえた。
 予想外のことに少女はあわてて逃げようとした。が、砂の中にうまっていた木のかけらが少女の足を捕らえた。少女はころんだ。さらにわるいことに足がつってしまったらしい。
少女は這ってにげるしかなかった。波の音にふりかえった少女の顔は恐怖のために真っ青だった。だが時すでにおそかった。大きな波は容赦なく少女を襲った。少女の全身はずぶ濡れになった。
 波は引いたが、少女の足はまだつっていた。このままでは、また次の波におそわれる。少女は必死になって這って逃げようとした。
 夏の陽射しが強い午後だった。逆巻く波の音が聞こえだした。彼女を襲う二度目の波の音だった。
 「逃げられない。」
少女は観念した。目の前では濡れた砂の上で小さな蟹が一匹、陸に向かって歩いていた。
 「手かしてもいい?」
人の声が聞こえた。少女は顔をあげた。さっきの少年だった。少女は黙ってうなずいた。少年は少女に肩をかして少女を立たせ、波のこないところまで彼女を運んだ。そしてそこに少女をすわらせて、足のつりを治した。四、五回、少年は少女のつった足を屈伸した。
 「もういいわ。なおったわ。」
少女がそう言ったので少年は少女の足から手をはなした。そしてチラっと少女を見た。
 「ははは。」
少年はてれ笑いをした。少女は顔をしかめて少年から目を避けた。少年はどうすればいいかわからなかった。
 沈黙が少年を苦しめた。
 「わあー。」
しばしまよった末、少年は海へ向かって駆け出した。そしてそのまま海につっこんだ。少年の体もずぶ濡れになった。そして再び少女のところへ戻ってきて腰掛けた。
 「ほら、これで僕も同じだ。」
 少女はあきれた顔で少年をみた。
 「ははは。」
少年は笑った。
 「ふふふ。」
少女も笑った。
 「へんな人ね。」
 「へんな人さ。」
二人は立ち上がった。そして、手をつないで、江ノ島へ向かって駆け出した。
 「ははは。」
 「ふふふ。」
 いつしか二人は心が通じていた。
誰もいない砂浜に二人の足跡だけが点々としるされていた。
勢いのある波ははやくもそれを消しかけていた。


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