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【コロナ禍フィンランド留学】一か月を経て


 今日は、よく眠れなかった。頭の中を、考えの虫がぐるぐる飛び回る。最近、たまに起こる。ということで、せっかくならば文字に起こそうと思い立った。私の頭を整理したいと思っているので、読みやすい文章ではないと思う。ご了承ください。

はじめに

 今日で、フィンランドに来てから一か月が経つ。この一か月は、あらゆるものが新鮮で、瞬く間に過ぎていった。

 私は、2021年1月からフィンランドのヘルシンキ大学の農林学部(Faculty of Agriculture and Forestry)にvisiting studentとして留学している。日本の大学3年生を終え、来年度休学をする予定だ。
https://www.helsinki.fi/en


このタイミングで留学?

コロナウイルスの感染が依然として収束しない状況で、なぜ今留学?と思われるだろう。でも、一言でいうならば、来たかったからとしか言えない。もちろん、留学を実行するにあたり、大学の指導教員、お世話になっている教員、留学支援の方々、先輩、友人、家族...といろいろな人に相談した。けっきょく、みんな応援してれた。経緯については追々話します。

 こんな状況で行っていいのだろうか。同じ奨学金プログラムの友人達は、留学を延期している中、自分だけ行くなんて、自分はおかしいのでは。(確かにおかしい。)お金も不安が残るのに、どうするのか。あれ、でも行こうと思えば行ける状況にあるじゃん。

 あれよあれよ、という間に月日は流れ、気づいたら渡航前日。最寄りの駅まで、車で送ってくれたお母さんにハグをした。(私の家には、ハグ文化はない。)お母さんの優しいにおいが私を元気づけてくれた。お母さん、涙目になっていた。わたしも泣けそうになるじゃないか。

フィンランドでの一か月

 そして、ついにフィンランドに到着。フィンランドでは、日本の大学の教員の友人であるフランス人の夫婦のもとでお世話になっている。(奥さんをEさん、旦那さんをPさんとする。)2年前の出会いが無ければ、私はここにいなかっただろう。とても親切な方々で、「自分達もこれまで、いろんなところでお世話になってきたから、今度は私たちの番だから。」と家族のように扱ってくれる。(留学を決めるにあたり、お金の制約がかなり大きい。物価の高いフィンランドで、無償で住まわせてくれるなんて、なんてありがたいのだろうか...。)

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 しかし、学生アパートに住んでいない自分にとって、友達を作る機会が無いという大きな課題があった。異国の地で、異常ともいえる状況で、支えあえる仲間が欲しいと切実に思った。授業は、オンラインで行われるため、大学に行く機会もない。それでも、チューターさん企画の交流会などで、何度か学生に会う機会があった。
 初めての交流会では、フィンランド人のチューター2人と留学生4人が参加。英語に慣れていない自分にとって、学生達の英語はとても早く、ほとんど会話について行けなかった。しゃべりたいのに何を話せばいいのかわからない。この悶々とした思いと共に帰宅した。ホストファミリーは、私に合わせて会話してくれるし、奥さん(Eさん)は日本語も多少話せる環境にいた自分に現実を突きつけられた、いい経験だった。
 2回目の交流会には、前回よりは多い人数の女の子が参加して、話も盛り上がり楽しいものとなった。必死に伝えようとする私を見て、母性が湧いたとも言われた。 
 私があった学生は、ほとんどがヨーロッパのエラスムス学生で、学生アパートに住んでいて、同じ国から来た友人と国内旅行の計画を立てているような。一方、私は数少ないアジア系(zoomの授業で、中国人の子がいたくらい。)で、学生とは住んでいなくて、旅行に行くような友人もまだいない。やばい、このまま友達できないのではと不安になった。

今、思うこと

 その不安は消えた。というよりも、自分の状況を受入れることができた。「フィンランドでフランス人の家族と暮らすという、面白い経験をしているね」とある友人に言われた。確かに、ご飯はフランスの家庭料理で、おいしくて食べすぎている。週末には、スキーやスケートに連れて行ってもらっている。フィンランドの友人を紹介してもらって、共に食事をしながら、フィンランドの料理や文化を教えもらっている。たくさんのことを経験してるということをに気付かされた。なんで気づかなかったんだろう。

 日常になっていたら気づかない。当たり前のことに感謝しなさいって言われるけれど、その当たり前が、どの程度ありがたいことなのか、相対的な比較をしなければ計り知れない。「ご飯が毎日食べれることに感謝しなさい」って言われてきたけれど、給食が残っている日だってあったし、残された食べ物がたくさん捨てられていることも知っていた。インドで小さなこどもに無言で手を差し伸べられたときに、初めて気づいた。自分は、とても幸せな環境にいるんだと思うと、申し訳なくなった。日本の状況にも目を向けなければならない。…それも大事だけれど、自分で経験を比べたり、他人からきっかけをもらったりするまでは、気づくことってなかなか難しい。でも、感謝の気持ちを述べることは、誰にでもできるはず。

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 自分がだれかを喜ばせる番は、いつくるのだろうか。一生の課題だろうな。

 コロナのせいで・コロナのおかげでということもできる。コロナ禍のフィンランド留学という貴重な経験を大事にしていきたい。ある方からの言葉の一部に感銘を受けた。

「「人生、 経験です」。人はそれによって形成されていますから、どんどん、〇〇〇(名前)を造り続けてください。・・・新たな困難を、ストレスと感じる必要はないと、いつのころか、気づいて、それを単なる新たな体験と扱うようになりました。実は、困難は、過酷であっても、新たな体験です。実は、私たちには大切な命以外には、失う心配をする対象は無いと思います。一生懸命、真摯にやっていれば、親も友人も、応援してくれます。」(一部抜粋)
 いろんな経験をする人生にしたいなっ。!

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