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何のために働くのか?<LIFULL SPACE STORY#2>

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「まさかサービスローンチの2日前に、どんでん返しがあるとは全く思っていなかった…。」の話の前に、いくつか時系列で過去の話に触れておきたい。

突然浮かんだ「韓国留学」の理由

「何のために働くのか」
働いていると誰もが思い悩むこの命題に対して、より深く考えるようになった出来事がある。

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僕の母は、僕が中学2年生の時に病気で他界している。それ以来、父が仕事も家庭も懸命にこなし、兄弟4人を育ててくれたが、高校卒業後の進路にかかるお金は、全て自分で用意する必要があった。

高校卒業後の進路について考えていた時、なぜかふと、韓国に行こうと思った。

僕と韓国との接点は、幼少期に両親が仕事で不在がちであった頃、韓国出身の近所のおばちゃんが「大変そうだし、ご飯くらい作ってあげるよ」と面倒を見てくれたことだ。「すごく良い人だなあ」という思い出が、高校卒業後の進路を考え始めた頃、突如韓国への興味となって湧いてきた。

「韓国に行きたいです」

高校の進路相談でそう伝えた時、担任の先生はとてもびっくりしていた。「そんなことを言う人は初めてです。本気で行きたいの?!」と言われ、言い出したからには引っ込みもつかず「はい…」と答えたら「私にはアドバイスができません」と言われ、面談が早急に終わったことを記憶している。

はっきり言ってそれほどよく考えた上での発言ではなく、「強くやりたいこともないし、人と変わったことをすればいいかな」くらいの軽い気持ちだった。

突発的な発言だったが、想いを言葉にすることで、自分の中で決意が徐々に高まっていった。様々な人に心配もされたが、それでも韓国に行くと決めた。思い立ったら行動、まず必要なのはそのための資金だ。

高校を卒業し、まず韓国への留学費用を貯めるためにバイトを始めた。

「稼げるバイト」で、働くことの意味に悩む

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当時、アルバイトに求めていたのは、とにかく稼げること。個人宅に電話回線の切り替えやネット回線を売る完全歩合制の営業の仕事を選んだ。

個人宅をとにかく訪問しまくったが、99%断られる。それでも同じトークを雨の日も風の日も繰り返した。1件も契約できず怒られる日もあったが、ただひたすら続けた。

卒業してから約2年間、そのバイトで留学資金を貯め、まずは韓国の語学学校に1年程通った。その後、留学生枠で大学へ進学するテストに合格したため、そのまま韓国の大学に進学した。しかし、学費・生活費・渡航費などは全て自分で稼ぐ必要があった。(ちなみに、韓国では留学ビザではまともなバイトは難しく、当時は時給も非常に低かった)。考えた結果、長期の休暇時に日本に戻り、学費を稼ぐためにまた完全歩合制のバイトをした。稼げなければ、次の学期に通うことができない。火事場の馬鹿力からか、良い時は月100万円以上稼ぐこともあった。お金は稼げてはいたが、同じトークを1日何百回と繰り返し、その場のやりとりだけで契約を取る仕事に心は荒んでいた。

「働く」ってなんだろう…。
そんなに稼いで何がしたいんだろう…。

そんなことを思いながら営業をしていると足取りが重くなり、このまま車にでも轢かれれば保険金で大学に通えたりしないかなど、鬱にでもなったかのような不純な気持ちになる時もあった。

世の中のためになることと、ビジネスは両立できるのか

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一方、大学では日本人留学生が学園祭で出店するたこ焼き屋の店長、韓国の方に日本語を教える日本語教室サークルの会長。韓国にいる日本人の就職活動を支援する就職支援サークルの会長。そして休学して行ったオーストラリア&フィジーでの海外ボランティアなど、様々な活動をした。

海外ボランティアは、オーストラリア各地をハイエースのようなバンで周りながら寄付活動を行い、お金が溜まるとプロジェクトに派遣されるというものだった。僕たちが担当したプロジェクトは、「フィジーの建物をリノベーションする」というものだったが、それだけではつまらないと、清掃活動やカルチャーフェスティバル、スポーツフェスティバルなど9個のプロジェクトを同時に進めた。ちなみに恥ずかしいが、英語は「This is が Is this」になるあたりで挫折していたので、みんなが起きる前に勉強し、少しでもコミュニケーションがスムーズに取れるように努力した。

どの活動も共通しているのは、「壁を乗り越えようとしている人」がそこにいて、「自分が役立てる」ことをとにかく一生懸命やったことだ。それによって、みんなが喜んでくれ、それが嬉しくてさらに頑張ることで、徐々に周りが認めてくれ、プロジェクトの中心人物になっていることが多かった。

自分がお金で苦労しているからこそ、お金を稼ぐことの重要性はよく分かっているつもり。それでもお金だけではなく、みんなが喜んでくれることを追求したい。完全歩合制の営業時の違和感、大学時代の小さな成功体験を経て、その頃の僕は世のため・人のために情熱を燃やしている人に非常に魅力を感じていた。

世の中のためになることと、ビジネスとは両立できるのだろうか。

そう思いながら就職活動していた時、LIFULLの会社説明会で、代表である井上の熱い言葉を聞いた。
情熱的に語るその想いに魅せられて、僕は今、LIFULLの一員になっている。

                            →<STORY#3>

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LIFULL SPACE代表取締役 奥村周平プロフィール
幼少期から転勤族で日本各地を転々としたのち、中学から高校までを沖縄県那覇市で過ごす。大学は突然の思いつきから韓国に。LIFULL(旧NEXT)に新卒で入社し、新規事業提案制度「SWITCH」で優秀賞を受賞。社会人3年目で事業責任者となる。社会人5年目からは子会社化し、LIFULL SPACE代表取締役に。B型で4人兄弟の長男、二児の父。動物占いは「志の高いコジカ」。


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