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宮崎県小林市に移住した青野雄介さんのLOCAL MATCH STORY〜偶然の産物から生まれた地方起業の道のり〜

移住を経験し、地域で活躍されている人を紹介する「LOCAL MATCH STORY」。
今回は、宮崎県小林市に移住された地域おこし協力隊OBの青野 雄介さんをインタビューしました。

「名水の街」と呼ばれるほどに水がおいしく、高品質な農産物が季節問わず楽しめる「食材の宝庫」としても有名な宮崎県小林市。

移住者の受け入れも積極的に行っており、今回の主人公である青野雄介さんも2016(平成28)年5月に「地域おこし協力隊」として、家族とともに小林市へ移り住んだ一人です。

現在は小林市で地域商社「株式会社BRIDGE the gap(ブリッジ ザ ギャップ)」を立ち上げ、地元活性化の立役者として奮闘する日々を送っています。

35歳の時に勤めていた専門商社を辞め、起業を目的に移住を決意した青野さん。

紆余曲折を経て“今が幸せ”と公言する青野さんは、果たしてどんな移住ストーリーをたどったのでしょうか?

プロフィール

青野雄介(あおの ゆうすけ)

1980年生まれ、千葉県出身。大学卒業後、専門商社に入社。転勤で過ごした九州に惚れ込み、宮崎県小林市に家族で移住。地域おこし協力隊の活動を経て、地域商社「BRIDGE the gap」を立ち上げる。夫婦とお子さん2人の4人暮らし。移住5年目。

幼少期の環境問題への意識が地方移住につながった

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写真:小林市の人口は約4万4千人。総面積562.95平方キロメートルの約4分の3は森林の街。

千葉県市川市出身の青野さんが地方移住にいたる小さなきっかけと出会ったのは、さかのぼること小学6年生の頃。図書館で地球温暖化について書かれた本を読み、環境問題に関心を持ったことでした。

「いつか環境問題を解決したい」

そんな思いを胸に抱き大人になった青野さんは大学卒業後、専門商社に就職。入社後は福岡に配属され、そこから3年半かけて、宮崎、鹿児島と転勤で九州を回ることになります。

その後、大阪本社に戻り32歳の時に転職を考え始めたのをきっかけに「地方移住」を本格的に考え始めることになった青野さん。根本にあったのは、変わらず持ち続けていた環境問題を解決したいという強い思いでした。

移住を考え始めた当時は省エネ機器を販売するなど環境問題に関わる部署に異動となり、自分がやりたいことが叶えられる可能性が高まっていたタイミングだったとか。

しかし、より具体的に環境問題を解決していくためには、「資源を掘って、そこからモノを作って、消費する」という社会のあり方自体を変えなければならないと考え始めていったそう。

別ルートで環境問題にアプローチするため、青野さんは転職を意識するようになります。

「環境問題に対して、自分はどんな関わり方ができるのだろう?」

毎朝出社前の30分をカフェに通い、やりたいことを探り始めること1年。

「新しいものを作っていくだけではなく、今あるものを磨いて発信すること」が環境問題の解決に大切だと考えるようになった青野さんは、当時メディアでも盛り上がりを見せていた「地方」に目を向けるようになります。

そして使い捨ての「消費社会」から、今あるものをうまく活用しあらたな価値を生み出していく「循環型社会」を目指せる土地として、地方の魅力に惹かれていくのでした。

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妻の説得に1年。家族移住のために続けたこと

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写真:移住当時は0歳と4歳だったお子さんも現在は4歳と9歳に。

移住を考え始めた当時はすでに結婚し、お子さんも生まれていた青野さん。

家族への同意はいかに得られたのかをたずねると「妻には当初全く取り合ってもらえませんでした」と笑いながら当時を振り返ります。

移住前の生活プランとして就農を考えていたこともあり、「農業をやりたい」と唐突に伝えたところ、案の定「はぁ?」と一蹴されたとか。

ほぼ1年間はまともに話を聞いてもらえないなかでも、とにかく1日に1回は移住の話題を口にして、地方暮らしの魅力を伝え続けたそう。

するとある日、奥様から「あなたはこういうことがやりたいんじゃないの?」と雑誌か何かのページを見せられたと言います。

ようやく手応えを感じたという青野さんですが、後になって当時のことを奥様に聞いたみたところ、夫の粘り強さに根負けし「反対することを諦めた」と語ったそう。

しかし、説得に当たっていた青野さん自身も地方移住に対して決して楽観視していたわけではなかったと当時の心境を振り返ります。

なによりサラリーマンとして10年以上働いてきた青野さんにとって、会社を辞めるという決断は一大事。しかも移住当時は幼いお子さんを子育て中だったこともあり、家族の生活は何よりも優先すべき課題でもありました。

そのためまずは経済的な基盤を整えようと何が起こってもしばらく食べていけるだけの貯金額を設定。目標金額に達したら、仕事を辞めて行動を起こすというボーダーラインを自ら決めたと言います。

最終的には目標額よりも少ない額になりましたが、ある程度目処がたったタイミングで青野さんは移住へと本格的に動き出していくのでした。

下調べで訪れた糸島で痛感した地方移住の現実

ようやく移住準備に入り始めた青野さんは、転勤時代に九州の豊かな食文化と人の温もりに魅了されたことで移住先は九州とはじめから決めていたそう。

当初は農業で生計を立てることを希望し、糸島への移住を考えていたと言います。

糸島には新規就農を応援する農業法人があるため、アポを取って話を聞きに行った青野さん。

しかしそこで待ち受けていたのは、想像を超えた厳しい現実でした。今から農業を始めたいと考える青野さんに対して農業法人の担当者がかけた言葉は「絶対やめとけ」のひと言。

経験もなく、家族もいて、裸一貫で始めるにはあまりにも無謀なことだと伝え、別の収入源を確保しながら、時間をかけて取り組む道を示すためのアドバイスを与えてくれたのでした。

この経験から農業1本ではなく別のことをやりながら両輪で生計を立てることに考えをシフトした青野さん。以前から知っていた「地域おこし協力隊」の制度を軸に移住を決めます。

小林市の「起業する人募集!」に即決

そんな折、とある移住説明会で出会ったのが現在の移住先である小林市でした。

たまたま小林市のブースの前を通りかかった青野さんは小林市の担当者に声をかけられ、話を聞いてみることに。すると小林市が掲げる地域おこし協力隊のミッションがなんと“起業すること”だったのです。

もともと農業で起業を目指していた青野さんにとっては、目から鱗の内容。

しかも活動内容に関しても、青野さんにとってはメリットだらけの小林市独自のルールがありました。

それは、就業時間の何割かを起業準備に当てられるというもの。

1年目は就業時間の3割、2年目は5割、3年目は7割を定住のための事業作りに時間を使うことができると言うのです。

「僕の場合、当時農業を考えていたので畑を耕す時間に使えるわけですよね。それでお給料ももらえるなんて、そんな理想的な募集は聞いたことがなかったです」

しかも募集締め切りは話しを聞いた2週間後。すぐに申し込み手続きを行い、こうして小林市への移住が決まっていったのでした。

世帯収入は2/3に。それでも貯金ができる小林市の暮らし

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写真:田舎と街が共存しているという小林市の暮らし。地域に根ざしたイベントも多いなか、地域の人とはよい距離感を保てるそう。

引っ越しを終え、いよいよ小林市での生活が始まった青野さん一家。いざ暮らし始めた感想はどうだったのでしょうか?

「想像以上に暮らしやすかったんです。思ったよりも街がしっかりしていて、田舎と街の暮らしが両立できる場所でした」

青野さんが暮らす農村部からは車で10分かからない距離に大型スーパーがある中心地にアクセスができ、非常に利便性の高い環境が整っていたと言います。

さらに宮崎県でも人口規模第5位を誇る小林市は、田舎独特のルールや人間関係のしがらみも少なく感じられ、風通しのよさも持ち合わせていたそう。

しかし、青野さんにとっては利便性もよく暮らしやすい反面、「妻からしたら今までの生活と比べて買い物の物足りなさもあるみたいで…」と笑いながら本音をもらしてくれました。

あえてのマイナスポイントはその点くらいで、とにかく都会からの移住者もなじみやすく、生活しやすい土地柄であることは間違いなさそうです。

では暮らしやすさの次に気になる移住後のお金事情とは?

「現在の世帯収入は移住前の2/3ほどになりました。それでもかかる生活費がかなり下がったことで、貯金もできている状態です」

移住にあたり、青野さん一家の場合は引っ越し代や車の購入費用などで100〜200万円ほどの出費があったそう。

その時は一気に貯金額が減ったものの、移住後、単純に“食べていくこと”を考えた場合、金銭的な苦しさは全く感じなかったとか。

自分たちで農作物を作ることもできるため、都市部に比べて生活費のハードルがグンと下がり、経済的にもゆとりが持てたと話します。

「地域おこし協力隊」の活動がつなげた起業への道

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写真:青野さんが実行委員長として運営した朝一イベント「こばやしマルシェ」の様子

小林市に移住してきてから、いよいよ地域おこし協力隊として小林市での活動を始めることになる青野さん。

しかし自発的に組織を立ち上げ、精力的に活動するに至るまでにはそれなりに紆余曲折もあったようで…。

そもそも仕事を指示される環境ではないことから、自分から仕事を見つけて動かなければ、1日中パソコンの前でぼーっと過ごすことになることも。

動き出さなければ人とのつながりも生まれないというなかで、青野さんのもとに月1回開催の朝市イベント「こばやしマルシェ」の話が舞い込みます。

「こばやしマルシェ」自体は前から計画されていたものの、誰が担当するかが決まらないまま、さまざまな人に話しが回っていたそう。

そんな折り、「やってみない?」と突然青野さんにお声がかかったのです。

当時は特にやることもなかったため、「やります」と二つ返事で引き受けたという青野さん。

「こばやしマルシェ」の実行委員長として中心に立って進める立場についたことで、その後のキャリアの大きなターニングポイントを迎えることになるのです。

他部署とも連携を図り、商工会議所やJAといった街のなかでも重要な機関を巻き込んでいかなければいけない立場。

なかば強制的にさまざまな人と交流をしていくなかで、いつの間にかつながりが増え、地域に根ざしていく感覚をおぼえていったと言います。

初回の「こばやしマルシェ」では約50店舗が集まり、1000人以上の来場者のもと、イベントは成功をおさめます。

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写真:こばやしマルシェで開催した餅つき大会の様子。地元の人々と一体となれるイベント作りに取り組む青野さん。

2回目以降の開催でもさまざまな地元の出店者と交流を持ち、イベントを開催するたびに知り合いが増えていったことが、小林市での仕事作りのベースにもなったと話す青野さん。

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写真:有機農家さんのネットワーク「Kobayashi Organic」の勉強会に参加する青野さん(手前)

その後も若手有機農家さんたちと「Kobayashi Organic」を立ち上げ地元野菜の販路開拓を行ったり、「薬草・ハーブ活用推進会議」のメンバーとしてハーブを活用した街づくりを行ったり、小林市の地域活性化に熱心に取り組んでいきます。


そして、これらの“人とのつながり”が今の事業の橋渡しにもなってくれるのでした。

地域商社「BRIDGE the gap」が生まれるまで

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写真:教育委員会からの業務委託で運営を行う「TENAMU(てなむ)交流スペース」

現在青野さんが経営する「BRIDGE the gap」は、地域内外の「人と人」「人とモノ」をつなげる商社的な役割として、地域の交流スペースやコワーキングスペース、ゲストハウスなどの運営を行なっています。

移住当初は農業で起業を考えていた青野さんでしたが、地元には素晴らしい農家さんが山ほどいることを知っていくなかで、考えが揺らぎ始めたと言います。

「これだけたくさんの技術の高い農家さんが揃っているなかで、自分が農業をやることは小林市にとって価値があるのだろうか…」

そんな迷いを感じていた時、「こばやしマルシェ」で知り合った農家さんから“地域商社”のキーワードを聞いたことが青野さんにとって大きな転機になります。

地域の農産物を外に売っていくという文脈で使われた「地域商社」という言葉を耳にしたことで、「売る側」「発信する側」として何かできるのではないかと考え始めた青野さん。

「例えば農業で言えば、縦軸ではすごい農家さんがたくさんいるのに横軸のつながりが少ないことに課題を感じていたんです。だから“つなげる”というポジションに立つことは僕が小林市にきた意味なんじゃないかと感じるようになっていました」

そこから事業テーマを農業から地域商社に変更し、中心地の活性化のひとつとして“まちライブラリーカフェ”という交流スペースを構想していきます。

地域おこし協力隊の活動を通して、人が交わり、その化学反応によって新しいものが生み出されていくことを体験していた青野さんは、交流スペースを作ることが地域内外の人と人、人とモノとの偶然の出会いや新しい価値を作れると考えたそう。

実際に店舗を構えて、移住2年目から事業をスタートしようと計画していたタイミングで思いがけない偶然に恵まれることに…。

なんと小林市の教育委員会より「TENAMU交流スペース」の業務委託を受けることになったのです。

このタイミングで独立を決めた青野さんはさまざまな事情もあり、1年11ヶ月で地域おこし協力隊の任務を修了することになります。

地方で働くなかで何より大切にした「信頼づくり」

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写真:宮崎県の地域おこし協力隊同士で課題解決を目指す「地域おこし協力隊みやざきサミット」の様子

現在は「TENAMU交流スペース」以外にもコワーキングスペース「TENOSSE(てのっせ)」や泊まれるビストロ「BISTRO HINATA(ビストロ ヒナタ)」を運営している青野さん。

スムーズな形で地方起業を叶えた裏で、チャンスを掴むために心がけてきたことは一体どんなことだったのでしょうか?

「地方では能力があってもどこの誰かわからない相手に仕事は任せてもらいにくい面があると思います。だから自分は何ができるのかも含めて、まずは自分のことを知ってもらうための行動をしていました」

具体的には移住1年目から行政のなかで色んな人に課題をヒヤリングしたり、課題に対して自分なりのアイデアを出したり、自ら積極的に動いたという青野さん。

これらの行動は、専門商社時代からずっと大切にしてきた「信頼がまず先」という考え方がベースにあったそう。

信頼関係づくりを大切にしてやってきたことが成果を生み出し、今の青野さんの充実した暮らしを支えてくれる礎になったと言います。

今だから伝えられる「移住の心構え」

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写真:かつては気がかりだった子どもの教育問題。今では自然に囲まれ楽しく過ごす子どもの姿を見て、よい決断ができたと実感しているそう。

最後に移住を考える方へのメッセージをお願いすると、青野さんからはシビアかつ希望のある言葉が返ってきました。

「やはりユートビア的に地方を目指して移住することはやめたほうがいいですね。ただ、その時大切にしたいものを基準に『どこで暮らしてどういう仕事がしたいか』を考えたうえで、選択肢の一つとして飛び込んでみるのはいいと思います」

都会を離れれば都会のよさを痛感するもの。忘れてはいけないのは、「すべての問題を解決する解決策はないという前提」だと語る青野さん。

だからこそ「地方と都市という対立軸で考えるのではなく、その時の自分の生き方としてふさわしい場所を選択することが大切である」と移住における大切な心構えを伝えてくれました。

おわりに

終始なごやかな雰囲気で進んだインタビューでは、物腰柔らかにお話しをしてくださった青野さん。話を聞いていて印象的だったのは、ご本人いわく理屈っぽい性格の青野さんが地方移住を経て柔軟に変化していく様子でした。理屈では説明できない「偶然」の存在を強く感じ、事業のテーマにも組み込んでいった青野さん。都会にいたら見えなかった物事を発見し、新しい価値を柔軟に取り入れ変化していく姿には移住を通して人生がよい形で変容していくさまを感じました。

(終わり) 執筆時期:2020年9月

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