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事業再生のこと−7

デザイナーの仕事って忙しくて、最盛期の頃は1ヶ月のうち家に帰れたのが3日とか異常な忙しさだった。生産している量に対して支払われるペイは今も昔も割りに合っていない。
ただでさえ割りに合わない仕事をクライアント、特に代理店と呼ばれる中間マージンだけで収入を得ている人たちは能力もないのに間違った指示を出して1時間で終わる仕事を3時間に延長させたりした。

現在は最前線からは身を引いて、周辺のわずかな実務を処理しながら経営の方に注力しているけれど、実務の間に少しだけ時間を作れるようになってきた。
(いずれはまた実務に追われる日々が戻るだろうけれど)

ものすごく忙しかった30代の時代に「今、全力の何%ぐらい使ってますか?」と問われて
「70%位」と答えたことがある。
週の3日は徹夜で、朝から仕事を納品に行って昼から撮影の立ち合いで、夕方から次のプレゼンの用意をして、夜にデザインを進める。なんて毎日を送っていたけれど、自分では70%位だなと感じていた。
つまり、あと30%位余裕があると思っていた。

とにかく目の前の仕事を処理するのに躍起にはなっていたけれど、「まだ出来る」と感じている自分がいた。
でも「全力」を出すのに「何の意味があるのか?」とも考えていて、全力を出して倒れたり、仕事を止めたりするよりはその30%は継続させるためのエネルギーとして残しておこう、と考えていた。

あの時代にやりたくて出来なかったことは「経営の勉強」だった。
自分の仕事だけではなくてクライアントを含めて社会の構造をもっと知っておかなくてはと気持ちが焦っていた。
28歳で独立経営者となってクライアントから仕事を受けるのに、自分自身はまだ社会の仕組みについてあまり知らずにいた。そのことはこれから仕事を続けていく上で必ず支障となるだろうと思っていた。

でも周りのクリエイターを見ていても経営の勉強なんてしている仲間はほとんどいなかった。唯一手立てとしてあったのは周りにいる人たちが優秀な経営者が多かったことで、もっと話をして勉強しておけばよかったと思っている。

今、本体の事業が拡大して方向性が定まってきたところで、わずかな時間を縫って経営の勉強を始めて3年。とはいえ独学なのでもっと根っことなる下支え出来る知識が欲しいけれど、そういうものは実践を伴いながら定着してゆくのだと本能的にわかっている。

少しづつ知識や見識が増えてくると仮説を立てて実際の事業に置き換えるとどうなのかを考え始める。

朝、食事をした後で近くのカフェでお茶をしながら2冊のノートを広げる。
一冊は思いついたことを落書きのように書き殴る用。もう一冊は書き殴ったノートを見ながらまとめる用。
実際には4冊あって、2冊が現在している事業の落書きとまとめる用。
もう2冊はこれから将来起こしてゆく事業の落書きとまとめる用。
その日の気分でこの4冊のうち2冊を持ち歩いて考えをまとめてゆく。
3年前に始めて今で3代目のノートになっているから手元には6冊のノートが残っている。

ノートに書かれたどれだけにことが実現しているか?といえば約60%は実現していると考える。
それは書かないよりも書いたほうが実現することを実証している。

最近時間を作れるようになって、いろんなことに考えを巡らしてノートを書く時間が増えた。じっくりとこれからの事業の発想、問題点、解決案を考える時間が増えた。

以前デザイナーで激務だった頃は実務作業に追われて、現在よりも急激に事業を拡大していたけれど、考えずにただ拡大していただけのような気がする。
1年目500。2年目800。3年目1200。4年目1800。5年目2400。6年目2800。その後、バブル崩壊の影響で売上は半減。
でも経営計画から作った現在の事業は、
1年目160。2年目370。3年目1000。4年目2300。5年目2700(予想)。6年目4200(予想)。
以前のデザイナーの売り上げというのは景気の動向、クライアントの質などに影響を受けやすかったけれど、現在の事業は直接ユーザーとつながっているので多少の景気の影響を受けることはあっても現在のところそれほど大きな変動はない。

経営計画を立てたり、新しい事業への投資の計画を考えたり、事業に対する問題点や障害を予測することは「事業を育てる」という意味ではとても重要なことで、
以前のように体力をすり減らしながら無理をしながら事業を拡大するよりも、カフェでお茶をしながら計画を立てている現在の方が生産性が高くなっていることに気がついた。

デザイナー時代も「生産性」については常に気にしてはいたけれど、現在の「生産性」は誰に何を担ってもらうか?次のステップでどれだけの資本をどこに投下するのか?という計画によって引き上げている。
まだ、事業としての仕組みを確立しているわけではないけれど、これから数年で「生産性」の高い仕組みの基礎を時間を割いて築き、そこからは各エリアごとに専門家の力を借りながら分業し、それらを合わせて一つの事業体に組み直すことになるのだろう。

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