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WIRED12月号を読んで考えてみた(4)人間の再定義はゆるやかに進んでいる!?

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はじめに

雑誌WIRED(ワイヤード)の12月号のテーマは地球のためのディープテッ ク。地球破壊の文脈に置かれることが多いテクノロジーをむしろ活用することによって地球環境問題を解決していく事例をたくさん紹介している号です。

私は「地球環境問題×テクノロジー」というテーマに強く関心があったので今回初めて購入しました。読んでみると1つ1つの記事が示唆に富んでいて深く考える機会をたくさんもらえました。まとめるとかなりの分量になってしまったため分割して書いていきます。

今回は3つ目です。

過去の記事はこちら。
・持続可能な人間社会を創るために重要な人間の価値観とは?
・今後、深刻な食糧難や資源枯渇が起こることはない!?
・世界で日本が影響力を高める方法とは!? 

合成生物学の発展に見る「人間の再定義」は現在進行形であるということ

合成生物学という分野について聞いたことはあるでしょうか。私は初めてだったのですが、シンプルにいうと品種改良が洗練されたものとのこと。例えば以下のようなものがあるそうです。

彼らは、牛のゲノムの中の牛乳タンパク質を生成する遺伝子配列を改良・合成して、それを酵母菌に組み込んだ。新たな機能をもった酵母菌は、発酵の過程で牛乳タンパク質を効率よく生成することができる。これを原料に使用した「ヴィーガンチーズ」は、まさに牛乳を原料としたかのような味わいになるのだ。それも広大な土地や資源を使うなど、環境負荷の大きい乳業を育てる必要がないので、環境に優しく、論争の的になっている抗生物質やホルモン剤も投与しなくて済む。"動物性食品"ではないので、アニマルライツの問題からも解放される。

p92から引用

世界中で1億5千万人以上の人々に健康被害を及ぼしている「ヒ素」に、微生物の特性を利用して対処することを提案している。

p92から引用

上記を読めば、地球に優しくかつ、人間同士の争いも生み出さない形で今の食生活を続けることができたり、健康被害を減らすことにも繋がる、という大きなメリットがあるように思えます。
 
しかし、一方で以下のような懸念もあります。

簡単な遺伝子編集技術はバイオテロなどに悪用されうる潜在的な危険性をはらんでいる。

p93から引用

そして、記事の後半で書かれている以下の内容は私たち人間の定義そのものを拡張せざるをえない現実がすでに進行形であることを示唆しています。

遺伝子疾患をもつ人々の遺伝子を編集して苦しみから救うことができるだろう。

これから生まれてくる子どもたちを遺伝子編集で"デザイン"する未来も、そう遠くはない。
 地球の歴史上初めて、人類は"進化"の縛りから解放された。「地球を救う手立て」である合成生物学は、人間を含む生命の進化すらもコントロールできる強力なツールへと急速に発展を遂げた。いまや「できるかどうか」ではなく「やるべきかどうか」が問われる時期が来ているのだ。
 だからこそ、バイオセーフティやバイオセキュリティにかかわるポリシーの確立も早急に行う必要がある。

p94から引用

最近私はサイバーパンクを中心にSF映画を好んで観ています。
 
そこでは、スマホを通じてではなく、人体から直接ネット空間に接続していたり、機械によって身体能力を強化したり、脳と脊髄以外は全て機械化されている人間(サイボーグ?)が登場したりしています。あるいは、感情を持つアンドロイドも登場しています。
 
つまり、人間と機械の境界線が限りなく曖昧になっているのです。
 
ちなみにサイバーパンクの代表的な映画である「ブレードランナー」「攻殻機動隊」では人間と機械の違いを子孫を残していけるか(自身のコピーではない存在)に置いていました。
 
一方で上記で語られている遺伝子操作の話になるとアメリカンコミックとして人気を博したX-MENが浮かびます。X-MENは突然変異の超能力者として描かれていますがこのような人間を人工的に生み出すことも可能でしょう。(すでに映画などで出ている可能性が高いですが詳しく観ていないので分かりません。これから観てみようと思います。)
 
機械化は外から変化を加えるものだとしたら遺伝子操作は中から変化を与えるものと言えますね。
 
このような変化が当たり前になると、メリットで言えば記事で紹介されているような障害を持った人が健康的な生活を送れるようになるということです。平等な生活を送れる人間が増えるということでしょう。一方で、デメリットで言うと力を悪用するケースは当然出てくるとして、極端な話、心臓と脳が残っていれば後はなんとでもなるとしたら身体を大切に扱う意識が薄れ、人間関係がますますゲーム感覚になってしまうこともありえます。
 
上記のような人間に変化を起こす技術は、人間を救うものであり、儲かるチャンスでもあるので記事に書かれているようにあとは「やるべきかどうか」という倫理観の問題になっているということです。
 
このやるべきかどうかを考える上で発生するテーマは、「どこまでを人間とするのか?」という定義の問題であり「どこまで機械化、遺伝子操作された人間を認めるのか?」という程度の問題です。
 
何を罪と置くのかを決めていき、民意でその意思を表明することで抑止していくしかないのではないでしょうか。2007年にクローン羊の話が話題になりましたが、この時のような議論が必要ということでしょう。

ちなみに、当時生まれたクローン羊はまだ2016年時点では元気に生きているそうです。こちらの記事参照

そうなると、民主主義国家において大切なことは私たち1人1人の価値観・考え方となります。一党独裁体制下では代表次第で独断専行される可能性もあると思うので怖いですね。
 
しかし、いずれにしても民意がどこにあるかは無視できない要素なはずです。
 
だからこそ私たち1人1人が大事なことに対する自分の意見を持つことなのですが、その一方で、今回紹介したテーマなどについて自分の意見を持てていない人が多いように思います。自分の意見を持てないままだと、善悪や因果関係が分かりやすいニュースに影響を受けやすいです。
 
その結果、不安を煽られて、リスクに思えることが増えてしまい行動が制限される、など自分の動物的な脳(生存を求める、反応的)で判断するケースが多くなるように思います。
 
私がこのことについて思うのは、せっかく人間として生まれたのに、(動物が劣っているという意味ではなく)動物的な脳だけを使って生きるのは勿体ないということです。
 
ただ息を吸って吐いて命を続けるのではなく、ポテンシャルを発揮し、全身全霊で生きて個性ある人間としての役割を全うすること。言い換えれば、個人というアートを表現すること。
 
私はこちらの道をオススメしたいです。
 
とはいえ、日本人の特に都会に住む人たちは自分の意見を持つために学ぶ時間や気力に余裕がなかったり、それ自体が義務感のようになってしまいがち
という課題があると思っています。
 
この対策としては、断捨離のようにまずは何かを捨てて余裕を作ること。その上で、まずは好きなこと楽しいことをやることが大事だと思っています。
 
ただ、個人として楽しいことを追求するだけではここでいう人類の持つ課題というテーマに興味関心を自然と持つような自己認識の拡張は行われないのではないかと思っています。
 
このあたりはまだ考察中なので、引き続き考えつつ、個人的にも実践していきたいと思います。

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今回の記事のテーマである「人間の再定義」に関連して映画X-MENを観て考察について書いてみました。よろしければご覧ください。


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