自分がコミュニティに見出している価値・意義から、より本来的な私に還るヒントが得られる!?
はじめに
2013年にコミュニティについて書いた記事があるのですが、今振り返って読んだ時に、自分がコミュニティに見出している意義・意味には、自分の人生・自分自身に対してないと思い込んでいるが故に、無意識レベルで望んでいる価値が投影されているのかもしれない、ということでした。
今回は、当時の記事や今の感覚について書いていきます。
まず当時の記事から。
2013年当時の記事
コミュニティについて思っていること
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それは、「家族みたいな」感じが土台にある集まりだと思う。
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「家族みたいな」っていうのは言い換えれば、一緒にいることに理由がいらない関係・損得、好き嫌いを超えた関係・どんな仕事、役割を持っていたとしても互いに「人間として」扱う関係っていうのかな?
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その土台があって、その上で何かを身につけたり達成するという、言ってみれば、あり方とやり方が掛け算されたものがコミュニティなんじゃないかなって思うんです。
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だから、やり方偏重というか、効率や成果だけが求められていて、そこに人間的なつながり、言い換えればいい意味での無意味、ムダが見受けられない集まりに行くと「うーん」ってなってしまう。
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そして、それはきっとコミュニティリーダーに因果があるのだとも思う。
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家族の雛形が両親にあるようにコミュニティの雛形はコミュニティリーダーのあり方、生き様がすべて反映されてしまうように感じる。
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だから、言ってしまえばそのコミュニティリーダーが誰かと「家族みたいな」関係を築くことができていれば、きっとそのコミュニティは「家族みたいな」関係を土台においたコミュニティに自然になっちゃうんだと思う。
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ちなみに、私はそういうコミュニティが好き。
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とはいえ、「家族みたいな」のもととなっている血のつながりの家族でさえ「家族みたいな」関係を育み、体験、体得する場になっていないことが多いんじゃないだろうか。
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少なくとも私は、社会に出てとある人たちと関わり始めてから始めて目覚めたように思う。そして、逆輸入のように父親、母親、妹との絆を育み直しているという実感がある。
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今は多くの人がコミュニティを求めているのかな?
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どうだかよくわからないけど、それは深いところでは「家族のようなつながり」「土台からくる安心感」を求めているのかもしれませんよね。
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私のフォーカスがどこにあるかといえば、そういう想いを求めている人が「家族のようなつながり」「土台からくる安心感」を得るだけでなく、その人から始まる家族において、その循環を再構築、再スタートさせるにはどうしたらいいんだろう?っていうこと。
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私が好きな言葉に「修身、斉家、治国、平天下」という言葉があります。
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これは中国の古典『大学』に書かれている世界平和を実現するための方法なんですが、
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天下を平らげるためには国を治める必要がある
国を治めるためには家を整える必要がある
家を整えるためには自分を修める必要がある
(ざっくりこんな感じ。細かい誤訳はご勘弁を~)
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っていう意味なんです。
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だから、究極、家族みたいな人間関係であふれる地球を実現する最小単位は
やっぱり自分自身から始まるってことなんだけど、その自分っていうのは誰かとの間に存在するものだから誰かとの関係、関わり方をコンディショニングすることから、家族みたいな人間関係を土台にした人生、ビジネスの再構築は始まるのかなぁなんて思ってます。
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個人的には生き様を通じて3丁目の夕日のようなあったかい人間関係を土台にしたコミュニティづくりが日本中にあふれるようにしてきたいなって思ってたりします。
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名づけて
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昭和2.0プロジェクト!!
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もはや意味不明 笑
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古きよき、おせっかい義理人情と最新のソーシャルシステムの融合
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まずは、雛形づくりから始めることなのですかね。
記事の内容を読んで今思うこと
当時は、一緒にいることに理由がいらない・損得、好き嫌いを超えた・どんな仕事、役割を持っていたとしても互いに「人間として」扱う、という意味での「家族のような関係」を求めていたんだなぁ。
そして、まさにその価値を受け取れるコミュニティで人と関わっていくなかで、過去の延長線上にない母や父との関係を育んでいくことができ、その後、足がけ6年近く経った後、それまで「ない」という思い込んでいたことが「ある」ことに変わりました。
それは言い換えれば、自分が自分を上記の「家族のような関係」として扱えていなかったがゆえに、特定の人物やコミュニティに投影していたところからの脱却を意味しています。(投影自体が悪いということではなく、誰もが必要なプロセスとして経験するものだと捉えています。そして、その人の理想の価値観、理想の人生がどうであるかによってその投影をどう捉えるかが変わると思っています。)
今、間違いなく言えることは、当時のようなことをコミュニティに求めていないということ。
では、「今の私は何をコミュニティに観ているのか?観たいのか?」はじっくり考えてみたい・感じてみたいポイントだなぁ。
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