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ハワイ島での生活でひらめいた「これからの時代に合った生き方」とは!?

はじめに

最近、男性性と女性性にまつわる記事を書いています。

上記で紹介しているファニー・ノーリン氏は自身のweb記事の中で「社会の流れと男性性・女性性の関係」について考察されている箇所もあります。

今回は私が、そのテーマについて一番最初に考えた時のメモを参照しながら紹介したいと思います。

ハワイ島でのひらめき

社会の歪みはどこからきた?

私は2010年にハワイ島のオーガニックファームで3ヶ月間、ほぼ自給自足をしながら暮らす体験をしました。

詳しくは省略しますが、その中で「私は生態系(いのちの循環)の中を生きているのか!」と全身で感じる体験をすることができたのです。

(その時の体験が私のティール組織への強い興味関心にも繋がっています。体験について詳しく書いた記事はこちら。)

その後のある日、雑草を抜いている中で、ふと「この草は人間目線で不要だから雑草として抜いているけれど、いのちをつないでいる立派な存在だな」と思いました。

そして、そこから思考が巡り、人間という種でいうと女性がいのちをつないでくれている存在なんだなぁと感じ、そう感じられてから一気に、感謝と尊敬の念が湧き上がってきたのです。

一方で、この「いのちの循環」という目線で捉えた時に、私が住んでいた東京はどうもいのちの循環を阻害するように思えてなりませんでした。

そして、この歪みは歪みは一体どこから来たんだろう?そんな疑問が湧いたのです。

当時は、感性が研ぎ澄まされていたのでしょうか。すぐに浮かんだのは、男性性と女性性のことでした。

※当日捉えていた、男性性・女性性についての簡単な説明

女性性とは?男性性とは?

 
人間には女性的な面、男性的な面のどちらも存在しています。この点については何となく分かる方が多いのではないでしょうか。
 
この女性的な面のことを女性性、男性的な面のことを男性性と呼びます。
 
<それぞれの特徴>
・女性性        ・男性性
感覚的          思考的
受容的          成長的
水平的          垂直的
あり方的         やり方的

私は所有意識というものは、男性性に関係があると思っているのですが、この所有意識が肥大化したこと、そして効率性のみを優先してきたことによって、この社会の歪みが生まれたのだと思ったのです。

そして、この歪みを牽引してきたのは男性性が優位であることが多い男性だとも思い、この文脈でいえばいのちの循環を阻害してきた男性に対する「何やってんだよ」という強烈なツッコミが浮かびました。

大袈裟かもしれませんが、この点だけにおいては何のために存在してるんだ!?という、ある種の実存的危機くらいまで感じてしまったことを覚えています。

こうして、"肥大化した所有意識"が現代社会の歪みの根本原因ではないかと思ったわけですが、その原因に気づいた当時、これからはいかにして生きていくべきか?も考えたわけです。


これからの時代にチャンネルの合った生き方とは?

その結果、行き着いたのが"共に"というキーワードでした。

男性たちが自身が効率的に所有したいという動機で形作られてきて、行きすぎて、色々な歪みが生じてきた中で、今度は逆に女性中心だ!という話が出てきていました。

この時に、本質は何だろう?と思った時に男性中心であっても女性中心であっても「構造は一緒じゃないか」と思ったんです。

どんな構造かというと「性が偏っている」ということです。

男性中心という傾きが、クルっと女性中心に変わっただけでは実は本質的な変化にはつながらないんじゃないか?と思ったのです。

そして、大切なことはそもそもの軸が立っている場所を変えることじゃないか。

今までの軸が立っていた場所が「男性性」だけになっていたのであれば、これからは「どちらも」が立つ場所に土台自体をシフトさせる必要があるのかなと思ったのです。

「どちらも」というのは、白か黒かがすぐにハッキリするものではないし、葛藤や矛盾状態が続くものかもしれない。自分、の思い通りにいかないことの方が多いかもしれない。

ついつい功を焦って効率性を重視してしまうけれど、そもそも、いのちを
重視するならば、それらは非効率的なもの。子どもだっていつ授かれるか分からないし、男女関係、人間関係だって、土台には非効率な時間が不可欠だと思いますし、

言ってみれば土台に非効率さ・曖昧さを受け入れることが不可欠だということ。

これは言い換えれば、効率性のために削ぎ落としてきたことを、削ぎ落とさないこととも言えます。

こういったいわば「男女性のどちらも(共に)大事にして進んでいくこと」がこれからの時代とチャンネルが合っている生き方なのではないか。

そう思って以来、この「(男女性を)共に」を自身の行動指針として過ごしてきました。


さいごに

今思うと、社会の歪みの要因分析についてはまだまだ浅いなぁと思いましたが、昨今の社会の動きを観ていると、今後、何が重要になってくるかについて適切な見立てはできていたように思えます。

2010年に直感した行動指針を胸にこの13年生きてきましたが、2018年に「ティール組織」を初めて知ったときにあの時ハワイ島で体験の続きが始まったような感覚がしたことを覚えています。

その後、ティール組織に始まり、ご縁からソースプリンシプル(原理)、リジェネラティブリーダーシップ、西田哲学なども探究が進んでいますが、これらの叡智のいずれもがあの時感じていた感覚の解像度を高めてくれていると実感する日々。

人生は螺旋のようだ、ということを聞いたことがありますが、本当にそうなのかもしれない。何かが一周したのかもしれない。なんてことを思っています。


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