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「社会人のための学びの場づくり」についての「学びと実践」の軌跡シリーズ〜その1:過去編〜

はじめに

先日、以下のような背景からLearning Journey Shareシリーズという記事を書きました。

人が何かを学んだ結果・成果は、書籍やイベントで共有されている一方で、
学んでいるプロセス・文脈はブラックボックスになっている。
 
情報過多になっている昨今では、どういう風に学んでいったのかというプロセスが可視化されていて、それに触れて、プロセスを真似ぶことができることは価値になるんじゃないか?という仮説を持った。
 
またこの領域は、大人の学び直しが必須だと思える現代においても意味があるのではないかと思った。

この取り組みを、Learning Journey Shareと名付け、その第一弾?と呼ぶのか何なのか、前回は「ティール組織と私」(現在進行形だけど)というテーマで記事を4つ書きました。
 
今回は、「社会人のための学びの場づくり」というテーマで書いていこうと思います。
 
なぜこのテーマで書こうと思ったかというと、今月からこちらの講座に出ることにしたからなんですね。

なぜこの講座に出ることにしたかの紹介は次にとっておいて、今回はこのテーマと私の最初の接点から遡って、今に到るまでを書いていきたいと思います。(こちらが思ったより長くなってしまいました 汗)

過去:原体験は大学生のとき。

「学びの場(環境)」という枠組みを一番最初に意識し始めたのは、大学3年生の冬でした。
 
私は就活期に「自分で夢を叶えていく楽しさを感じている人を増やすことを通じて自分の暮らす地域を元気にしたい!」という夢を見つけました。
 
その後、就活や大学のゼミの関係で関東や関西など他大学の学生と交流する機会があったことで、比較対象ができ、自分がいる地域・大学を外側から観る視点が少しできました。
 
当時は、同じ大学の人があまり自己主張しないように感じる一方で、他大学の学生が積極的に意見交換をしているように見えて、羨ましかったり、悔しかったことを覚えています。
 
この時から「何によってこの違いが生まれているんだろう?」と考えるようになりました。
 
そこで気づいたのは「きっかけの足りなさ」でした。(今言い換えると、情報や選択肢の少なさでしょうね。)
 
夢ややりたいことに気づくきっかけも足りないし、それが見つかってもこの地域ではすぐに叶えられないものもある。
 
こう思うようになってから、きっかけがたくさんあるという環境の面で東京の凄さを実感するようになりました。

これは15年近く前の話です。その頃の1地方大学生の私にとって、パソコンは講義に関連して使うものに過ぎませんでした。表層的に考えると、昨今ではインターネットの一般化・スマホの登場から情報の格差は限りなくなくなってきていると思えますが、実際はどうなんでしょうね。実際、何が変わったのか、変わってないのかを考えるのは面白そう。

また、同時に人は弱い存在だから、きっかけがあるだけでは元に戻ってしまう。(今は元に戻るのではなく、その分だけ進んでいると捉えています。)
 
環境に影響を受ける生き物だからこそ、夢・やりたいことに気づくきっかけだけではなく、環境づくりも大事だと思うようになりました。
 
そこから具体的には、学生団体を作り、学内に夢・やりたいことを語り合える会を定期開催する形で環境づくりにもチャレンジしていきました。
  
この後、自分で環境(場)をつくるというのは大学卒業後しばらくストップします。

過去:環境よりも個人へ。高さ、よりも深さへ。

就職してから継続的な「社外の学びの場」と接点ができたのは2007年の後半でした。
 
新しく出会った友人がきっかけで起業家育成スクールに入学することにしたのです。
 
といっても、この時の自分が求めていたのは「自分がほっとできる居場所」「共に探求しあえる仲間」が一番であり、起業するために学び実践することは二の次だったように思います。(それが目的であればよりゴリゴリのところに行っていたでしょうね。)
 
そのスクールでは「経済的な豊かさ」だけではなく、「心の豊かさ」や「頭・心・体」をすべて磨き抜く「全人的成長」を重視していました。

補足)
近年注目されている、成人発達理論の大家の1人であるR・キーガンが言うには、自己成長には2つの種類があるそうです。
 
2つの自己成長
 
(1)垂直的な成長:意識の器の拡大:パソコンでいうとOSのアップデートのイメージ。
 
(2)水平的成長:知識やスキルの獲得。パソコンでいうとアプリケーションソフトを追加するイメージ。

これで言えば、(1)に重きを置かれた環境だったと言えます。

また、あるとき、この講師の人が行う講演(その時の名称はLIVEでした)にいきました。
 
そこで、彼が言っていたことに私は大きく感化されたのです。それはおおよそこんな内容でした。(細かい表現は忘れました)

「LIVEといっても、すでに決まっている内容・あるいは過去にやった内容を披露するのは本当のLIVEじゃない。
 
LIVEというのは生きるという意味があるのだから、本当のLIVEとは生きていることをそのまま分かち合うことだ。
 
そういう意味で、本当の講演家は生活している中でいつ壇上に上がっても、LIVEができる人のことを言うと思っています。」
(彼は実際に会場を感じながらアドリブで進めていました。それが実に素晴らしい講演LIVEだったのです)

私はこの言葉を聴いたときに、この人に「本物感」を感じましたし、この人の言うような生き方を自分もしたいと強く感じました。

補足)
学習には段階があると言われていて、いくつかのステップがあるようですが私はその昔、以下のステップを学びました。

知る → 分かる → 行う → できる → 分かち合う

振り返って思うと、「できる」の後に「分かち合う」ってあるのは変ですね。
 
なぜなら、他の全てのフェーズにおいて分かち合うことはできるので、別の軸だと思うからです。
(知っていることを分かち合う、分かっていることを分かち合う)
 
今改めて、上記を軸に沿って書き直してみると

知る → 分かる → 行う → できる → 生きる(※)
 
の方がしっくりきますね。そしてこの軸とは別の軸で共有か所有かという軸を置くこともできそう。(すぐマトリクスにしたくなっちゃう 笑)

「何かを学ぶ」ということを考えた時に、このそれぞれのフェーズの人から学ぶがありますね。
 
知っている人から学ぶ、分かっている人から学ぶ・・・
 
おそらく私がそれまでに出会ってきた人たちは「できる」までの人だったのでしょう。
 
私にとってその人は初めて「生きる」レベルから指導している人だと思えたのです。
 
ここから私は、「生きるレベルでしているテーマ」を指導してくれる人のことを「本物の教育者」だと感じるようになりました。
 
まぁ、これは今だから言語化できますが当時は「この人は本当のことを言っている気がする!」といった印象でした。
 
また、当時の私は、二元論的捉え方が強かったので「生きるレベルでしているテーマを教えることだけが本物の教育だ!」といった盲目的な捉え方をしていたり、自分を棚に上げて言行不一致な人を判断したりしていたように思います。 汗
 
このように、社会人になってからは環境づくりよりも、個人としての成長に大きく意識が向きましたし、
 
その成長の内容は水平的成長(個人的なキーワードは高さ)ではなく、垂直的成長(個人的なキーワードは深さ。広さ)に向かうことになりました。
 
そこからの私は色んなご縁も合まって、大別すると頭・心・体という3つのジャンルの「生きるレベルでしているテーマ」を教えてくれるリーダーたちのプロジェクトを支援しながら、その人の作り出す学びの場に触れ続けることになりました。
 
この傾向は、2015年まで続きました。

過去:1対1の延長線上というスタイルからのシフト

その後、2016年にはそれまでと一転して、自分発の色々な企画を行っていきました。
 
2015年頃までに私が触れてきた「学びの場」はその多くが「場の存在」を活かすのはどちらかというと副次的であり、あくまでメインなのは講師側と参加者側の1対1の関係だったように思います。

分かりにくいのは覚悟で別の言い方をすると、これまでは場自体が器として存在しているよりも、提供者側と参加者側の1対1の線がたくさん引かれて、結果として場のように見えていたイメージ。(面としての場と呼んだ方が適切かも。)

これが2016年になってから私が運営ではなく主催者・提供者側になる経験をしたことも含めて、1対1の延長線上といったスタイルの限界を感じることになりました。
 
その結果、よく分からないながらも「場を活かす」という要素も取り入れていったのが2017年でした。
 
その時は分からなかったのですが、今思うと2018年はじめに「ティール組織」というコンセプトに出会い、惹かれたことや実際にそのコンセプトを標榜しているベンチャー企業に入社したことは、人の自己成長に対して、それまでの自分のスタンダードだった個人として直接関わるというスタイルではなく、場(環境)から関わることを主として、補助的に直接関わるというスタイルへシフトしたタイミングだったと言えるのかもしれません。

最近:さいごに

そんな流れの中で、コロナの状況になってからオンラインイベントは一気に増えましたよね。
 
私は、自分が参加者の立場だったり、イベントのスタッフ的にちょこちょこ参加しています。数えてみたら、4月、5月で合わせて15回参加していました。
 
参加する中で、気がつけば自然と考えていたのは「全体の場やブレークアウトルームでどうしたらもっと活性化するのかな?よりよい場ってどんな場だろう?」といったことでした。
 
そんな中で、知ったのが今回の講座だったというわけです。
 
参加の一番の理由は、身もふたもない理由ですが「ピンときたから」なんですね。
 
私は最初に理由が説明できないけれど感性が惹かれることは途中や後でその理由が分かってくると思っています。

ちなみに、ライフシフトのタイミングでは最初に理由がハッキリしていることよりも「なぜか分からないけど惹かれる」という軸で試着、試食してみることを強くオススメしたいです。
 
なぜなら、理由がハッキリしているということは過去の延長線上にある(今までに考えたことがある)からです。

それは、それまでの自分という枠の外にあることとは言えませんし、まだ枠の外なんだけど、気になるカケラを集めていくことで、過去の延長線上にない未来へシフトしていくことができるからです。

こうして経緯を書いたり、次で書く「今の時点で受けようと思った理由の言語化」をすることで新たに気がつけることがあります。
 
この気づき自体も楽しいですし、ライフシフト期の自分にとっては、次につながる道しるべになる訳です。
 
という訳で、思わず長くなってしまいましたが今回は終わります。
 
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