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眠る前の1編だけで、ぐっすり眠れる本【今夜もそっとおやすみなさい/小手鞠るい】


きっとこのブログを読んでくださっているあなたなら、本を読むことがお好きなのではないかな、と推察します。

どんなジャンルの本がお好きですか?


本に限らず雑食派な私は、「これ!」と特定なジャンルではなく、その時気になった本(食べ物、飲み物、興味関心の焦点も)を手に取ります。

本来はそうやって好き勝手に読むスタイルが好きなのに、一時期は、自己啓発系の本や仕事に関するジャンルの本などを選んで、気分の良し悪しに関わらず、無理やり詰め込むように読んでいました。
また、身体にまつわる知識を少しでも多く手に入れようと、身体の仕組みや心と身体の健康についての考察本なども読みました。
確かに、ためになること、知らなかったことを知る面白さ、すぐに仕事の場で役に立つような豆知識などが手に入りました。それらをメモしたり付箋に書いてPC画面のふちに貼り付けたりしながら、自分のお尻を叩いていたように思います。

何かに焦っていたんでしょうね。


手に取るもの占い


興味関心のアンテナは、まさに自分の心模様を映し出すツール。
食べたいものが日々変化するのは、身体が欲しているもの=今の自分に足りていないものを知らせてくれるからだと言われますが、これは選ぶ本についても当てはまるな、と思います。

いわゆる〝意識高い系〟な自己啓発本を一生懸命読み漁っていた私は、意識が高い人なのではなく、〝意識が高い人になろうともがいている人〟でした。何者かにならなければ認められないと思い込んで、知識を詰め込むことがそれを埋めてくれると必死だったんですね。

自分が手に取ろうと思うものを見れば、今の自分がわかる。
かなりよく当たる〝手に取るもの占い〟みたいなもの、でしょうか笑。


ベッドサイドの積読本たち


眠る前のひと時、本を手に取ることが多いです。一日をせき立てるスマホを、せめて寝る前くらいは手放したいし、冷たい電子機器を手にピカピカ光る画面に照らされながら文字を追うよりも、紙の手触りとページをめくる音を感じながら本の世界に没頭したいから。
日中は、やることが多すぎて逆に思考停止してしまうことも多いけれど、夜眠る前ならいくら没頭してもそのまま夢の世界に行けばいい、その後自分を追い立てるものは何もないという安心感があります。
ベッドサイドは、日中読めなくても夜なら読めるはず・・・という最後の砦になっており、手に入れてはなかなか読破できない(なんなら、最初の数ページでとまったまま)、そんな本たちが積み重なっていきました。

読めるはずの場所と時間なのに、いつしか積読置き場になっていることが、新たなプチストレスになってしまったのは、なぜ・・・!?



何に焦っているのか、私は



そんな時、Xでたまたま見かけた方の呟きが目に止まりました。
私の地元では、今まであり得なかった住宅地のエリアにまで熊が出没して、大騒ぎになっていた時期でした。
ニュースもワイドショーも、人間vs熊の陣地争いのような対立の構図。
そもそも動物と共存するはずのエリアに家を建て道路を作ったのは人間で、人間の営みに勢いがあった時は動物たちの方が遠慮して深山にすんでいてくれたけれど、人が少なくなってきたから「空いてきたのかな?」と移動してきたのが熊の言い分なんじゃないかな、なんて感じていました。
確かにあんな動物と出くわすのは怖いですが、熊が人間のテリトリーを脅かすために出てきたかのような報じ方は違和感・・・。
でも、その方の呟きを読んだら、お住まいの窓から見える景色の中に熊も静かに登場しているようでした。人を襲うつもりでもなく何かを狙っているわけでもなく、そもそも人間なんて眼中になさそうな熊と、それを風景の一つとして捉えている人との距離感が自然で、思わずプロフィールまで見に行ってしまいました。
アメリカにお住まいの作家さんでした。



こういう感覚をお持ちの作家さんの本を読んでみたい・・・!


「知識を得なければ」「何者かにならなければ」と眠る前の神聖な空間にまで、誰にどう思われたいか?が軸になった思考を持ち込んでいた積読エリアに、異色の本が一冊、加わりました。


【今夜もそっとおやすみなさい/小手鞠るい】





ブックカバーの優しいザラザラ感。
1話ごとで完結していて、眠る前にふわっと読み切れるボリューム。
合間に差し込まれた穏やかの風景写真。
なんなら「今のままのあなたでいいじゃないの」と言ってくれているかのような内容のエッセイ・・・。


どっさり積まれた本を手に取ることはなくても、この優しい水色の本はなんとなくいつも手にとって、気が向いたところを開いてその章だけを読むようになりました。日によっては同じ章を開いてしまうこともあって、既視感・・・と思いながらも、気に入っていればそのままもう一度読みました。1話を読み終えたら栞をはさむようなこともせず、また明日、たまたま開いたページとのご縁を楽しみにしながら閉じるのです。

もちろん、静かに本を閉じて照明を落とすと、心地よい眠りにつけるのでした。


過去を味方につけて


特に気に入っている部分を一部抜粋してご紹介しますね。

アメリカで暮らすようになって、三十六歳は「とても若い女性」であると実感しています。四十代も五十代もアメリカでは「若い女性」です。実際に人からもそう言われますし、そう見られていますし、アメリカ社会の中では、ありとあらゆる場所で、中年以上の女性たちが普通に活躍しています。少なくとも私の目にはそう映っています。

(中略)

アメリカでは、男女に限らず、六十代は黄金の年代とされています。六十代になってやっと、知力と気力と体力のバランスの取れた、成熟した大人になれる、というわけなのです。若い女性を偏重しないアメリカ社会では、若い女性だけがちやほやされることなどなく、若さとはむしろ、幼稚、未熟、未経験の代名詞にもなっています。あえて言い切ってしまうと、アメリカでは、成熟した大人ことが美しい人間なのです。

(中略)

あなたは、何歳になっても、輝きつづける女性でいられる、ということ。
あなたの生きてきた過去、過ごしてきた時間を、これから生きる時間を、あなた自身が味方につければいいのです。美しく歳を取る、ということは、美しく装うことでもなく、若返ることでもなく、美しく振る舞うこと、美しい内面を保つこと、美しい生き方を心がけること。自戒の意味を込めて、私はそう思っています。

【過去を味方につけて】より


何者かにならなければならない

若さを、気力を、保ち続けなければならない


そうやって自分が自分に課していることが、自分を責める。

ベッドサイドの積読本が増えるたび、その重圧から本を手に取る気がしなくなっても無理はないよなぁ、と今は思います。


眠る前のひと時くらいは、ありのままの自分でいいんだよ、を、自分に言ってあげてもいいんですよね。
そうやって充電する時間(もしくは、カッカしている内なる焦りを放電する時間)を持つことで、心も身体もバランスを保ってくれるのだろうな、と。


Xがきっかけで出会った作家さんと、今の時代だからこその交流がありました。


面白い時代です。

全く接点のなかった方と、一冊の本で交流が生まれ、私はまたその方の世界にもう一歩足を踏み入れようとしています。







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